寺院情報
寺院名 | 宝珠山 利生院 |
所在地 | 愛知県知多郡南知多町大井字真向二十七番地 |
御本尊 | 不動明王 |
宗 派 | 真言宗豊山派 |
創 建 | 神亀二年(725年) |
札 所 | 知多四国霊場 三十一番札所 島崎廿一大師 七番札所 |
御朱印 | 〇 |
H P | - |
参拝日:2018年9月26日
知多新四国霊場公式ホームページのご紹介
http://chita88.jp/
沿革・由緒
知多四国霊場三十番札所「宝珠山 医王寺」の塔頭東光庵として開創。
「知多四国めぐり」より
知多四国霊場を行く
無住である「医王寺」を共同管理している四寺院の一つ「宝珠山 利生院」になります。
医王寺とは目と鼻の先に鎮座している寺院でもあり、車での巡礼の場合は、駐車場と医王寺の中間に鎮座しているので、一度は前を横切っている形になりますね。
管理人が行く知多四国霊場巡礼の旅
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参拝記
県道281号線沿いに鎮座している形になる知多四国霊場三十一番札所「宝珠山 利生院」になります。自分が巡礼に伺った時は、御朱印については、三十二番札所「宝珠山 宝乗院」で頂くことになっていました。
境内入口
朱塗りの薬医門の山門が目を引く境内入口になります。
木壁が設けられていたであろう場所を改造して、庫裏さんの駐車場になっています。駐車場部分も瓦葺になっていて、景観の統一性が考えられていますね。
手水舎・水盤
手水舎はなく、水盤が置いてあるだけなのですが、きれいに清掃され、水が張られています。
本堂
本堂を撮影する余地がなかったため、かなり横向きのアングルになってしまっています。
切妻造瓦葺平入の向拝の設けられた本堂になります。手前側に移っているのは庫裏になります。
この本堂には、不動明王が安置されているのですが、
何故真言宗で不動明王が祀られているのかが書かれた案内板が掲げられていました。
「延暦二十三年(804年)弘法大師が入唐の際、浪風が荒れるたびに不動明王を念じた。するとそのつど不動明王が勇壮な姿を波間に表し降魔の劔を払って波を切りしずめ、風をはらって船をみちびいた。おかげで大師は事無く唐国に渡る事ができた。
それからの大師はふかく不動明王の遺徳を感じ帰国ののち一刀三礼の精神を込めて、不動明王と従者のコンガラ童子、セイタカ童子の像を刻み、開眼供養したのが成田不動尊であると縁起は語っている。」
と書かれています。
成田山との関係はいまいちわかりませんが、真言宗としては不動明王は特別な存在なのかなと思わせる文面ですね。
大師堂
本堂前に建つ、方形屋根瓦葺向拝の設けられたコンクリート造りの大師堂になります。
造形を見ていると、木造の造形をコンクリートで再現しようとしている大師堂だと思うのですが、木造と比べると低床化されていて、廻縁の付け方とか見るとちょっと違和感を感じてしまいますね。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
御朱印
参拝を終えて
本堂の欄間に掲げらえていた扁額です。塔頭の頃の東光庵と書かれています。
何時頃から利生院と寺名を改称したのかは不明ですが、昔の寺号を大切にしているのが分かりますね。
この利生院では「弘法さんの一年守り」と呼ばれる木札が頒布されています。
常時身に着けていると御利益があると伝えられています。ただ、名前の通り効力があるのは一年間という事で、一年後には返納して新しいお守りを身に着けるという事なんですね。
次の目的地は
三十一番札所「宝珠山 利生院」を後にして、道を挟んだ反対側に鎮座している三十二番札所「宝珠山 宝乗院」に向かう事にします。
朱塗りの山門の向こう側に見えるのが宝乗院になります。