常滑市 知多四国八十八ヶ所

八景山 中之坊寺(愛知県常滑市) 知多新四国霊場 六十六番札所

2018年12月21日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名 八景山 中之坊寺
所在地 愛知県常滑市金山字屋敷二十五番地
御本尊 十一面世観世音菩薩
宗 派 真言宗智山派
創 建 天文年間
札 所 知多四国霊場 六十六番札所
知多西国霊場 十五番札所
御朱印
H P

参拝日:2018年7月25日

知多新四国霊場公式ホームページのご紹介


http://chita88.jp/

沿革・由緒

大野城主の祈願所として建立された、宮山の金蓮寺一山九ヶ寺の中の一坊で、能見寺中之坊と称したが天文年間に開山した。金蓮寺は、天正十二年(1584)、九鬼水軍に大野城とともに破却され、その壮麗な伽藍を焼失する。天正十九年には現在地に金蓮寺の本尊十一面聖観世音菩薩を奉じて中興された。
その後、時代の流れと共に荒廃していたところ、二十三世加賀照阿吽により堂宇を整えた。

「知多四国めぐり」より


金蓮寺は一説には聖徳太子が建立したと言われる塔頭九ヶ寺を有する寺院だったと言います。その後、金蓮寺近くにこの地を納めていた一色氏によって1390年頃「大野城」が築かれます。
そして時代は下り、応仁の乱による混乱の中、知多守護職を解かれこの地を去った一色に替わり、大野城は一色氏の代官だった佐治氏が治めることになります。知多半島は、大野城の佐治氏、河和城の戸田氏、緒川城の水野氏の勢力争いの舞台になっていきます。この中でも佐治氏はいち早く織田信長に接近し、信長の妹が佐治氏に嫁ぐなど一門として扱われるようになります。

しかし、織田信長が本能寺の変にて変死してしまい、その後起きた小牧長久手の戦いで佐治氏は徳川家康方に付きます。実はこの時の佐治氏の領主は佐治一成なんですが、羽柴秀吉の意向により「お江の方」が嫁いでいたのですが、裏切られたことにより、「お江の方」とは離縁とされ、羽柴秀吉の命により九鬼水軍が大野城を攻め、佐治氏は領土を没収されてしまいます。その後、佐治氏は織田信包に仕え筆頭家老となったそうです。

知多四国霊場を行く

知多四国霊場巡り5日目になります。
前回からほぼ二か月ぶりになりまして、天候も雨空で肌寒かった5月から一転、まさに酷暑と言うのがふさわしい気温35℃超えの中の巡礼の旅となります。今回の巡礼のポイントは、熱中症対策ですね。

五日目は、常滑市の大野駅周辺の札所の巡礼となっています。
本来?であれば、前回すっ飛ばした二十五番札所から師崎方面に向かうのが順番的にもいいと思うのですが、あまりにも暑くてタイムリミットまで巡礼するのは無理だなと思い、札所がまぁまぁ集まっている大野駅周辺に向かった次第です。


国道155号線、247号線の「堀田」交差点を東方面に向かうと六十六番札所「八景山 中之坊寺」にたどり着けます。非常にわかりにくいかと思いますが、電柱に「中之坊寺」の案内看板が出ています。


管理人が行く知多四国霊場巡礼の旅

観光バスで知多四国霊場の巡礼をお考えの方は、クラブツーリズムの知多四国巡礼ツアーがお勧め!

≪国内旅行≫リピーター続出!クラブツーリズムの大好評ツアーはこちら

参拝記

中之坊寺は大野城からほど近い場所に建っていて、これだけ近ければ、大野城を攻める九鬼軍による兵火によって金蓮寺が消失してしまっても不思議では無いなあというのが実感ですね。しかし、それより金蓮寺が聖徳太子による創建というのが本当なの?と思ってしまう訳ですが・・・。

境内入口

新四国霊場の札所案内の石柱になります。
ここ中之坊寺には山門、石柱門は存在せず、札所案内の石柱が立っているだけです。

ストリートビュー凄すぎます。
右手に伸びている坂道の先に「中之坊寺」があります。

手水舎・水盤

瓦葺木造四本柱タイプの手水舎になります。
なかなか柱が細く、か弱い雰囲気の手水舎ですね。

本堂

寄棟造瓦葺平入の向拝のある本堂になります。
正面には、本尊である十一面聖観世音菩薩が安置されています。

弘法様は、本堂の右側(向かって左側)に安置されている様です。

参拝した日は、所用でお寺の方が誰もいらっしゃらなく、扉が閉められていた中を窺う事はできませんでした。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

御朱印

セルフ御朱印になります。
やっぱり自分だとうまく押せないものですね。

参拝を終えて

ここ中之坊寺の境内のすぐ隣には、熊野神社が鎮座しています。
寺院と神社が隣接している場合、直接行き来ができない様に塀が境内の境に建てられてるのが普通というかよく見かける様式だとおもうのですが、ここ中之坊寺と熊野神社には遮るものがなにもありません・・・。
申し訳程度に鎖の仕切りがありますが、こんな仕切りは何の役にもたっていません。

ここまでがっつり隣接していてよく明治政府が許したもんだなぁ~。


中之坊寺には、国の重要文化財に指定を受けている「絹本著色仏涅槃図」という物があります。

明の時代の物なんだとか。
国の重要文化財なんでいつでも見れる物ではないと思いますし・・中之坊寺で保管されているのかなあ・・・。


詳しくは

https://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/kaiga/kunisitei/0167.html

 

次の目的地は

知多四国霊場六十六番札所「八景山 中之坊寺」を後に、六十七番札所「松尾山 三光院」を目指したい所ですが、その前に隣に鎮座している「熊野神社」を参拝していこうと思います。

-常滑市, 知多四国八十八ヶ所
-, , , , ,