知多四国八十八ヶ所 知多市

白泉山妙楽寺(愛知県知多市新知下森) 知多四国霊場七十九番札所

2019年12月6日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

知多四国霊場を開創した「亮山阿闍梨」が住職と務めていた知多市にある真言宗の寺院である「白泉山妙楽寺」の紹介です。このため、妙楽寺は知多四国霊場の七十九番札所だけでなく開山所にもなっています。知多四国霊場、知多坂東観音、知多百観音

寺院紹介

寺院概要

寺院名白泉山妙楽寺
所在地愛知県知多市新知下森二十九番地
創 建明徳元年(1390年)
宗 派真言宗豊山派
御本尊大日如来

霊 場

霊 場知多四国霊場 七十九番札所
知多四国霊場 開山所札所
知多坂東観音 二十二番札所
知多百観音  八十六番札所
前札所霊 場次札所
宝泉山 福生寺知多四国霊場海鳴山 栖光院
福寿山慈眼院知多坂東観音願王山種徳寺
普門山龍雲院知多百観音福寿山慈眼院

文化財

国 宝
国指定
県指定
市指定
町指定
村指定

参拝情報

御朱印
URL
駐車場
参拝日2018年11月21日

御由緒

 明徳元年(1390年)開創の妙楽寺は当時七堂伽藍を有し、後花園天皇の祈願所であったと伝えられています。本尊の大日如来像は仏師春日の作と伝えられています。

 天正六年(1578年)の兵火の時、本尊、薬師如来、地蔵菩薩、大黒天、白山大権現以外はすべて焼失してしまい、豊臣時代には寺領も没収され、塔頭(末寺)は転散し寺運は衰微してしまったが、寛永十二年(1635年)現在の地に再興しました。

 知多四国霊場を開創した「亮山阿闍梨」の住職寺になり、亮山阿闍梨が知多四国霊場開創の為に行脚に使われた「手甲」が妙楽寺にありますが、その大きさから察すると身の丈六尺(180cm)の偉丈夫だったと想像されています。また知多四国霊場を開創後に自ら知多四国霊場を遍路しその時に使用した「某」と書かれた納経帳が保管されています。

知多四国めぐり

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を補完されてみたらいかがですか?

参拝記

名古屋鉄道常滑線「古見駅」から徒歩で2分という場所にあるのが今回参拝する「白泉山妙楽寺」になります。由緒にもありますし、知多四国霊場の11日目の旅行記にも書いていますが、妙楽寺は知多四国霊場を開創した「亮山阿闍梨」が住職を務めていた寺になります。亮山阿闍梨は隠居後は七十八番札所「宝泉山福生寺」に移り住んでいます。そのまま福生寺で亡くなった亮山阿闍梨の墓は住職を務めていた「妙楽寺」にあるそうです。そして、妙楽寺は七十九番札所でありながら、開山所としての番外札所も兼ねる事になった様です。

コラム

亮山阿闍梨が知多四国霊場を開創した時には既に「知多本四国(移)霊場」が存在していた為、開創当初は「知多准四国霊場」と呼ばれていたと言われています。その後、「四国直伝弘法」も開創され、知多半島には三つも弘法大師八十八ヶ所霊場が並び立つ事になります。しかし、戦後になると知多四国霊場以外の霊場は廃れ忘れられてしまう霊場になってしまいます。(四国直伝弘法その後、奇跡の復活を果たしていますが、まだまだ知多四国霊場と比較するとまだまだ遍路されている方は少ないですね。)

そんな知多四国霊場の中心ともいえる場所が「妙楽寺」になるかと思います。

名鉄常滑線「古見駅」から国道247号線方面に伸びる県道256号線沿いに今回参拝する「白泉山妙楽寺」はあります。県道から奥まった所に山門が据えられており、山門と県道の間は駐車場になっている様です。以前は、ここから山門に向けて参道があったんだと思いますが、時代の流れで参道というよりまさに駐車場といった趣になってしまっています。

県道沿いには石柱があり、その脇に知多四国霊場の幟が建っているので通り過ぎてしまう事はないかと思います。

石柱には「新四国開山 阿闍梨亮山大和尚」と彫られています。まさに、知多四国霊場の開山所を教えてくれる石柱になりますね。

山門

片側に袖壁が設けられた薬医門の山門になります。
門前には神社でよく見かける様式の瑞垣が設けられています。

山門の柱に掲げられている金色の額の様な物に気付いて頂けたでしょうか。

ここ妙楽寺では、弘法大師の御姿を金紙に配して参拝者に授与する「金弘法」という物があるようです。色々調べていると、妙楽寺の札所本尊である弘法大師像を別名「金弘法」とも呼ぶとされていますが、情報が錯綜している気がします。

この「金弘法」ですが文政七年(1824年)に始まった物だそうです。文政七年と言えば、知多四国霊場のすべての88の札所制定完了して、札所本尊となる「弘法大師像」の奉安が終わり、開眼供養を修した年でもあります。まさにこの年から知多四国霊場の歴史が始まったといってもいいであろう年に「金弘法」が生まれたわけですね。当然、この「金弘法」を発案したのは住職である「亮山阿闍梨」になるでしょうね。

本堂

入母屋造瓦葺平入の向拝と濡れ縁が設けられた本堂になります。こちらには本尊である「大日如来像」が奉安されています。

この本堂の前には・・・

いぼ地蔵

四百年前に「地蔵池」から引き揚げられたお地蔵様が奉安されています。
いぼ地蔵=「がん封じ」なんですね。ここにある石で悪い所を撫で、そのまま持ち帰り、癌が融解したら倍の数の石を治めれば良いようです。

大師堂

右側の寄棟造妻入りの建物が開山所の大師堂になり、左側の宝形造の建物が七十九番札所の大師堂になります。両方とも大師堂と称したように札所本尊は「弘法大師」になります。

開山所

こちらが知多四国霊場の開山所の大師堂です。

中央には亮山阿闍梨の立像が奉安され、向かって左側に弘法大師像が奉安されています。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・・

七十九番札所

こちらが七十九番札所の大師堂になります。

中央の弘法大師の石像以外にも左右に大師像が奉安されています。厨子が用意され扉が閉まっていますが、この厨子の中にも弘法大師像が奉安されているのかな?

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

鎮守社

鎮守社である白山大権現と秋葉大権現の社です。火伏の秋葉大権現と山岳信仰の白山大権現・・かってなイメージですが真言宗の寺院には白山神社(白山大権現)の鎮守社が多いような気がします。

御朱印

参拝を終えて

境内に据えられている亮山阿闍梨の銅像とその後ろには修行大師像が据えられています。

まさに、亮山阿闍梨が住職を務めていた妙楽寺といえる場所ではないかと。亮山阿闍梨が発願しなければ知多四国霊場が生まれなかった訳ですし、さらに十六年という長い時間をかけて札所を整備したその負けない力はすごすぎるなと思います。今とは比べ物にならない同じ仏教でも宗派の壁という物が存在していたでしょうし、想像を絶する努力だと思います。

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所在地を地図で確認

寺院名白泉山妙楽寺
所在地愛知県知多市新知下森二十九番地
最寄駅鉄道:名古屋鉄道常滑線「古見駅」徒歩2分
バス:

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

 元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

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