寺院情報
寺院名 | 常光山宝樹院 |
所在地 | 愛知県常滑市奥条1-52 |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
宗 派 | 西山浄土宗 |
創 建 | 大永元年(1521年) |
札 所 | 直伝弘法大師 六十七番 知多本四国 三十一番 常滑郷廿一大師 二十一番 知多百観音 七十五番 法然知多 十四番 |
御朱印 | 〇 |
H P | - |
参拝日:2018年10月9日
直伝弘法大師霊場について
常滑郷廿一大師霊場について
弘法大師八十八ヶ所霊場 | |||
=尾張地方= | ●知多四国 | ●四国直伝弘法 | 知多本四国移 |
尾張新四国 | 大名古屋八十八 | ||
=三河地方= | ●三河新四国 | ●三河准四国 | (旧)三河新四国 |
三河海岸大師 | 東三新四国 | 西加茂北部新四国 | |
弘法大師二十一ヶ所霊場 | |||
=尾張地方= | ●名古屋廿一 | ●西春北部廿一 | ●御母公廿一 |
扶桑廿一 | 光明廿一 | 岩倉廿一 | 布袋廿一 |
古知野廿一 | 常滑郷廿一 | 大野谷廿一 | 嶋崎廿一 |
知多西浦廿一 | |||
=三河地方= | ●豊鳳廿一 | 三河海岸廿一 | 渥美廿一 |
弘法大師霊場(三弘法) | |||
=尾張地方= | ●名古屋三弘法 | 尾張三弘法 | 大名古屋三弘法 |
扶桑三弘法 | 布袋三弘法 | 丹陽三弘法 | 知多三弘法 |
=三河地方= | ●三河三弘法 | 知立三弘法 | 額田三弘法 |
東三河三弘法 |
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観音三十三ヶ所霊場 | |||
=愛知県全域= | ●愛知梅花観音 | ||
=尾張地方= | ●尾張観音 | ●城東西国観音 | ●知多西国観音 |
●南知多観音 | 尾張西国観音 | 知多坂東観音 | 知多秩父観音 |
=三河地方= | ●三河観音 | ●三河白寿観音 | ●穂の国観音 |
●豊橋西国観音 | 三河西国観音 | 西条吉良観音 | 東条吉良観音 |
三河坂東観音 | 三河秩父観音 | 岡崎西国観音 | |
その他観音霊場 | |||
=尾張地方= | 知多百観音 | 名古屋百観音 | 知多六地蔵 |
くるま六地蔵 | 尾張六地蔵 | 尾張国六地蔵 | 府下六地蔵 |
知多六観音 | 知多十二薬師 | ||
=三河地方= | 東三河十八薬師 | 東三河廿四薬師 | 渥美半島観音 |
三河三観音 | 三河三薬師 | 岡崎三十六地蔵 | 善光寺三河願所 |
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その他の霊場 | |||
=尾張地区= | ●尾張三霊場 | ●鳴海宿十一寺 | ●法然知多二十五 |
法然新尾張二十五 | 野間開運 | 南知多円空三佛 | |
=三河地区= | ●三河三封寺 | ●三河三不動 | 法然三河二十五 |
三河十二支 | |||
広域霊場 | |||
東海不動尊 | 西方四十八願所 | ||
七福神霊場 | |||
=尾張地区= | 尾張七福神 | 高蔵寺七福神 | なごや七福神 |
大府七福神 | 南知多七福神 | ||
=三河地区= | 三河七福神 | 吉田七福神 | 東海七福神 |
名数 | |||
=尾張地区= | 知多三山 | 名古屋三大仏 | |
=三河地区= | 三河七御堂 | 西郡四大寺 | 西郡五社 |
饗庭三社三箇寺 | 三河三白山 |
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沿革・由緒
龍松山正住寺第七世の空隣守覚上人が大永元年(1521年)正月に正住寺住職を辞し、奥条の海沿いの丘に一宇を建立し、常光山宝珠院を開創されたのが始まりです。
知多四国霊場を行く~寄り道遍~
前回紹介した「龍松山正住寺」の住職が隠居し、自ら一宇を建立したのが始まりという「宝樹院」を参拝していきます。こちら宝樹院は、知多半島全域を霊場とする弘法大師霊場の「直伝弘法大師霊場」と「知多本四国移霊場」の札所にもなっています。
常滑城下という事もあり、この常滑郷には非常に寺院が多いのですが、弘法大師霊場だったり観音霊場だったりの札所になっている寺院も多く、古くから開かれた土地だったことがわかりますね。
参拝記
常滑市立常滑西小学校の東門の目の前にNTTの建物が建っています。その建物の脇を東側に抜けていく路地を進むと、今回参拝する「常光山宝樹院」があります。
山門
路地から少し奥まった石段を上った先に建っている長屋門の山門になります。
石段の前には寺号標が据えられています。
こちらの長屋門なんですが、とある場所から移設された物なんだそうです。
江戸時代、知多半島は尾張徳川藩の領地でした。そして、この常滑郷も尾張徳川家の家臣が領主として入っていたそうです。詳細は分からないのですが、この常滑郷を治めていた領主の屋敷に設けられいた長屋門がここ宝樹院に移設されたんだとか。この移設が行われたのが貞享五年(1688年)なんだそうで、最初、武家屋敷の門が移設されたと聞いた、明治時代の話かなとおもっていたのですが、江戸時代前期の話だと聞いて、自分が思い描いていた時代よりはるか昔の事で驚いてしまいました。
どういった経緯がこれまた分からないのですが、大正元年(1912年)に、旧常滑市役所が建つ場所に表門として移設されたんだとか。そして、昭和五十七年(1982年)に再び宝樹院に移築されています。この大正期、昭和期の移設の際、かなりな改修が行われているはずで、見る限り江戸時代初期の門とは思えないくらいしっかりとした木材が使われています。
鐘突堂
木造瓦葺の鐘突堂になります。
最近、自分の家の近所にある寺院から、夕方の鐘の音が聞こえなくなり、ついにここにも鐘の音の騒音問題がやってきてしまったかと思っていたのですが(鐘突きをやめた理由は解らないので、勝手に騒音問題だろうと思っている訳ですが・・・。)、近年では"除夜の鐘"もやめてしまっている寺院が多いと聞き、ここ宝樹院の鐘はその鐘の音を響かせることがあるのかな?とふと思ってしました。
本堂
入母屋造瓦葺平入の向拝が設けられた本堂になります。
向拝部分がかなり幅広くとられている本堂だなっていうのが第一印象です。
この本堂の奥に直伝弘法大師霊場を始めとする大師像が奉安されています。
三体の弘法大師像が奉安されていまして、直伝弘法大師、知多本四国移、常滑郷廿一大師の弘法大師像ではないのかなと思っています。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
御朱印
参拝を終えて
本堂の中で参拝する事ができたのですが、お賽銭箱の奥にこの様な物が据えられていました。さてこれは一体何を意味するものなのか・・・。浄土宗特有の物なのか・・・。梵字が書かれた五輪塔は一体・・・。
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やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。 やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。
所在地を地図で確認
寺院名 | 常光山宝樹院 |
所在地 | 愛知県常滑市奥条1-52 |
最寄駅 | 知多バス 常滑南部線「本町バス停」徒歩8分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。 https://amzn.to/2UHeO79 少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。
次の目的地は?
本来でしたら別々の記事で紹介できたらいいのですが、あまりにも情報が少なく、一本の記事するには辛すぎるので、2ヶ所同時に紹介させて頂きます。
一ヶ所は、常滑城の東端部分の曲輪部分に建っている「青龍山桃源寺」になります。そして、もう一ヶ所は、「補陀洛山大善院」、「常石神社」、「神明社」の由緒で何度も出てきていた「千代之峯古社」の場所に今も建つ社がありましたので、こちらを紹介していきます。