名古屋市熱田区

高座結御子神社(名古屋市熱田区高蔵) 熱田神宮摂社

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

神社紹介

神社名高座結御子神社
鎮座地名古屋市熱田区高蔵町九番九号
御祭神高倉下命
旧社格熱田神宮摂社
創 建不詳
神名帳延喜式 尾張国愛知郡 高座結御子神社 名神大
境内社鉾取社、新宮社、御井社、稲荷社
例祭日四月三日
御朱印
H P〇/web

参拝日:2020年2月5日

由緒・沿革

 創建年は不詳ですが、熱田神宮の創建と同年代とも、天武天皇の御代(673-686年)の創建と伝えられています。祭神である「高倉下命」は、尾張国を支配していた豪族「尾張氏」の始祖とされています。この事から、高座結御子神社は尾張氏による創建と考えても問題ないだろうと考えられます。ただこれは、創建当初から祭神が高倉下命で合った場合に成り立つ推測になります。長い歴史の中で神社の荒廃または兵火によって神社が荒廃してしまい社伝が消失してしまったり、時の権力者が変わっていく中で祭神も変わっていく事もあったりして、創建当初の祭神が不詳となってしまう事は全国的にみられる事だと思います。
 伊勢神宮ですら応仁の乱から豊臣秀吉の天下統一までの120年間ほどの伊勢神宮は朝廷や幕府からの庇護が亡くなり、急速に衰退し式年遷宮が行われなくなってしまう時期があり、境外社にいたっては元々の鎮座地すら分からなくなってしまった社もあったといいます。今の境外社の中には、江戸時代に入り、資料を元に鎮座地を推定し再興した所もあります。
 伊勢神宮ですらこんな状況だった訳ですので、高座結御子神社の祭神は現在では「高倉下命」となっていますが、江戸時代から戦前にかけては様々な祭神の名前があげられていました。

 承和二年(836年)「続日本後紀」では、「尾張国日割御子神、孫若御子神、高座結御子神、惣前奉預名神、並熱田大神御児神也」という記述があります。これは「尾張国の日割御子神孫若御子神高座結御子神の熱田大神御児神3神を名神に列する」となり、熱田神宮に関する神が鎮座していると読めます。また、名古屋市史によると、祭神は仲哀天皇或いは成務天皇、或いは仲哀天皇、成務天皇相殿、或いは高倉下命天香語山命としていると書かれています。

 高座結御子神社の祭神として名前が出てきた神々は、日本武尊と非常に所縁のある神々になります。高蔵下命は、「天香語山命」が瓊瓊杵尊の天孫降臨に付き添った神の一柱とされ、天下り後熊野邑に住み着き「高倉下命」と称したと日本書紀に書かれています。高倉下命は尾張氏の始祖であると言われており、その子孫に日本武尊の東方遠征の際に娶られ、草薙剣を預けられた「宮簀媛」がいます。宮簀媛に草薙剣を預け、伊吹の神に挑み返り討ちされてしまい、病に侵され伊勢国にて死亡してしまった日本武尊。預けられた草薙剣を奉斎する為に宮簀媛は社を建立したと言われます。この社が「熱田神宮」になります。
 そして、仲哀天皇は日本武尊の嫡子であり、成務天皇は日本武尊の弟になります。因みに、十四代天皇である仲哀天皇は八幡大神、八幡大権現と同一視される事になる十五代天皇応神天皇の父親になります。

 天火明命
   ┃ 
天香語山命(高倉下命)
   ┃ 
   ┗ 尾張氏 ━ 宮簀媛
            ┃
(12)景行天皇 ┳ 日本武尊 ━(14)仲哀天皇
        ┗ (13)成務天皇

系図を記すとこんな感じですかね。

続日本後紀」に書かれていて、先に紹介した「尾張国の日割御子神・孫若御子神・高座結御子神の熱田大神御児神3神を名神に列する」という文章に出てくる「御子神」というのが、熱田大神の御子という意味なのかはよく分からないのですが、何となく日本武尊に繋がる神々が祀られているのではないかと個人的に感じています。

 大正に書かれた名古屋市史にも祭神には様々な説があると書かれており、現在の高座結御子神社の祭神が「高倉下命」であるとしたのは、戦後になってからなのかな?と思います。

 その後、織田信長が本殿を造営し、元和四年(1618年)蜂須賀家政が修理を行ったといいます。蜂須賀家政は蜂須賀小六の嫡子であり、徳島藩祖と言われている武将になります。
 戦前までの社殿は尾張造の丹塗りであったが、昭和二十年の太平洋戦争による空襲により社殿の殆どを焼失していまいます。戦後の昭和三十八年(1963年)に焼失以前に準じる形態で再建されています。

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名古屋二十一大師霊場を行くー寄り道遍ー

 「木津山不動院/参拝記事」を参拝し、その南側に鎮座する熱田神宮の摂社である「高座結御子神社」を参拝していく事にします。熱田七社と呼ばれる神社の一つになるそうです。また、子育ての神としても非常に有名な神社なんだとか。

熱田七社

熱田神宮八剱社
高座結御子神社日割御子神社
氷上姉上神社上知我麻神社
下知我麻神社

 名古屋二十一大師霊場遍路の旅四日目の行程も半分以上が過ぎてからになりますが、道中の交通安全を祈願していこうと思います。

参拝記

 高蔵公園の南側にある鎮守の森の中に高座結御子神社が鎮座しています。南入りの境内になり、駐車場は境内の中にあるようです。その為、車で鳥居を潜る事になってしましますが、現代では致し方ない部分になりますかね。

境内入口

 「熱田神宮摂社式内名神大社 高座結御子神社」と彫られた社号標を崇する神明鳥居の設けられた境内入口になります。名古屋駅に次いで主要ターミナル駅となる金山駅からもほど近い場所で周囲は都市化されている場所なんですが、摂社といえ境内が広く、この辺りではとても貴重な鎮守の森が広がっていますこの高座結御子神社はこの辺りでは緑のオアシスにもなっている感じです。

社殿

 戦前までの尾張造に準じて再建された社殿になります。尾張造がどういった造りなのかはいまいち分からないのですが、こういった拝殿と本殿の造りを言うのでしょうかね。

御井社(境内社)

 境内社である「御井社」になります。井戸を祀っている神社という事ですね。毎年六月一日に「高座井戸のぞき」という神事が行われ、井戸を除く事で子供たちの虫封じに霊験あらたかといわれているようです。

 昭和二十六年、二十七年の井戸のぞきの時の風景なんだとか。まだこの時社殿は再建されておらず、仮殿だったはずなのですが、かなりの人数の参拝者であることが写真からわかります。

高座稲荷社(境内社)

 豊臣秀吉との母なか(後の大政所)が幼少だった秀吉(当時は藤吉郎)を連れて参拝したと伝えれる稲荷社になります。秀吉が天下人に出世した事から「太閤出世稲荷」と呼ばれ崇敬されている神社になります。

地図で所在地を確認

神社名高座結御子神社
鎮座地名古屋市熱田区高蔵町九番九号
最寄駅名古屋市営地下鉄名城線「西高蔵駅」1番出口徒歩2分

次の目的地は?

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名古屋二一大師を行く-寄道遍-

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