安城市

七つ井(愛知県安城市安城町) 

2020年7月6日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

史跡概要

史跡名七つ井
所在地愛知県安城市安城町新堀、赤塚周辺
指 定安城市指定史跡 昭和43年4月1日指定

訪問日:2020年6月23日

由緒

 安祥城が建つ安城村は碧海台地の東側にあり、元々は海沿いだったと言われています。海沿いというか入り江に近い場所だったのではないでしょうか。その後、矢作川から運ばれる土砂により次第に埋め立てられていき、沖積層が形成されていき、周囲は室町時代の頃には湿地帯かたは干拓されて田園なのが広がる場所に変わっていったと思います。

 安祥城、二子古墳、桜井城などがある黄色、オレンジ色の場所が碧海台地と呼ばれる場所になります。矢作川周辺に広がる緑色の場所が沖積層と呼ばれる場所になり、その昔は海または湿地帯が広がっていた場所になります。堀内貝塚が存在している事から、海→汽水域→湿地帯→干拓され田園と変貌を遂げた場所なのではないかと想像しています。

 そんな場所ですので、昔は普通に井戸を掘っても海水まじりの水しか湧くことがなかったと言われますが、今回紹介する七カ所の井戸からは真水が湧き、安城村の欠かす事の出来ない井戸だったと言われています。

七つ井の場所

 この中の安城市立安城南部小学校の体育館横にある七番「梅井」の所に今回紹介している「七つ井」の説明板が設置されています。

 この説明板をみると、安祥松平家二代「松平長親」により安祥城周囲で特に綺麗な水が湧いていた井戸を「七つ井」と名付けたと書かれています。
 明治用水が造られるまで碧海台地は不毛の地まではいかないにしても、かなり農耕には適していないかった場所だと聞いたことがあります。川がなく、人々の飲料水は井戸に頼らざるを得なかったとされています。
 当サイトでも紹介している「三河四名井」と同様に人々の生活を支えてきた井戸であると言えますね。

 安祥城を訪れると、安祥城址公園の一角にある「風呂井」を見かけたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。実際に井戸から水が湧き出でている訳ではないと思うのですが、公園内の水路に水を供給している井戸跡が整備されています。ここを出発点として安祥城周辺にあるその他六カ所の井戸跡巡りに出発です。

①風呂井

 安祥城址公園の中にある「風呂井」です。大乗寺の裏側、歴史博物館の正面玄関北側にあります。

②浅黄井

 「歴史博物館前交差点」から近く、県道沿いにある「浅黄井」址です。井戸跡はなく碑のみとなっています。

③筒井

 ここ「筒井跡」が安城市の指定史跡となっている場所になります。
 「歴史博物館前交差点」からほど近い場所にあるので、解りやすいかと思います。井戸脇には江戸時代などに置かれた碑なども据えられている様です。

 ただ石碑は風化が進んでいて、表面がはがれてしまい、いまいち何が書かれていたか解りません。

④中井

 個人宅の玄関先に「中井」址の石碑があります。井戸跡はなく碑のみが残っています。

⑤桜井

 個人宅の塀に半分埋もれた様な感じの「桜井」址です。

⑥柳井

 柳井跡は現在とある会社の倉庫脇にその碑があるのですが、巡っている日は平日で普通に会社も営業されていたので、邪魔してはいけないので写真は撮影していません。ただ、非常に分かりにくい場所ですので、伺うときは注意して下さい。

⑦梅井

 安城南部小学校脇にある「梅井」になります。小学校の敷地の安祥城址公園側に据えられています。ただ、公園からは駐車場を出てぐるっと回り込まないと近くまで行けません。

 安城市の指定史跡となっている「筒井」は、織田信広との人質交換で、尾張国から三河国に戻る際、この場所に立ち寄り、井戸水のうまさに竹筒に入れて持ち帰った事から「筒井」と呼ばれるようになったという伝承が残っているそうです。

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