城跡巡り

室(牟呂)城(西尾市室町):東条吉良氏宿老"富永氏"居城

2018年6月10日

令和四年新企画のお知らせ

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室城

城 名:室城
鎮座地:西尾市室町上屋敷
築城年:永正年間(1504年~1521年)か?
築城主:徳永氏
城形式:丘城
遺 構:曲輪、土塁
規 模:

訪問日:2018年5月22日

沿革・詳細

東条吉良氏の宿老だったと言われる"富永氏"が東条城へ通じる街道筋の防衛拠点として築いた城であり、富永氏の居城となっていたのが今回紹介する室城になります。鎌倉街道から分岐してきた街道がこの室城近くを通り東条城に通じていたので、東条城の北面の要だったんだと想像できます。

室城を築いた富永氏は、岡山城(吉良町)の城主も兼任しており、居城の室城を中心に東条城周辺から駒場・貝吹・永良という吉良氏領地の北側一帯を納めていました。

桶狭間の戦い直後の勢力範囲を地図にしてみました。青色が吉良方を示しています。対松平氏を考えた際、八ツ面の荒川城と室城が一つの防衛ラインになっていることがわかりますね。吉良氏として松平氏と抗争していく中で誤算だったのが、荒川城を守る荒川氏が松平方に寝返り、荒川城を拠点に西条城を松平方に奪取され、防衛拠点が室城のみになってしまったことでしょうか。

吉良氏末期には周囲を松平方に囲まれてしまっていた室城ですが、意外と松平家との縁が深い城で松平元康の父"松平広忠"の時代にも室城は重要な役割を果たしています。


前述していますが、松平宗家七代目"松平清康"が織田領に攻め込んでいた時、森山で家臣に殺された所謂"森山崩れ"で、急遽宗家の家督を継いだのがまだ十歳程の"松平広忠"になります。


松平清康公仮葬地碑


松平清康と清康の叔父にあたる"松平信定"は不仲であったとされ、清康の森山出兵にも参戦していませんでした。そして森山崩れ後、信定は宗家居城だった岡崎城を占拠し、実権を握ってしまいます。そして、森山崩れの翌年(天文五年)、松平広忠は信定の暗殺計画を察知し、阿部定吉(森山崩れで清康を切り殺した阿部正豊の父親)の手助けもあり、岡崎城を脱出し一説には伊勢に逃げたと言われています。これはその頃伊勢に所領を持っていた吉良持広を頼って向かったとされています。(吉良持広は松平清康の妹を娶っています。)

その後、三河国再入国の一歩として、今川氏の支援を受ける形で松平広忠は富永氏が守る室城に入城します。(室城滞在の間、信定は室城を攻め込んで、広忠勢は室城に火をつけて退却したという話もあります。)そして、譜代家臣の働きもあり、天文六年、松平広忠は岡崎城に再入城に成功します。信定は広忠の岡崎帰還後は広忠の家臣として帰順しています。が、所詮は自分が松平家のトップに立ちたい信定ですので、広忠に対し恭順とは言えない態度を取り続けていたそうです。

まだこの頃は、今川氏が徐々に三河進出の機会を窺うように様にはなってはきているが、吉良氏、松平氏共に取り込んでいるわけではなさそうですね。今川氏の力が一際大きいですが、それでも領主同士の付き合いをしている事がうかがえます。松平氏が今川氏に取り込まれるのは、小豆坂合戦前後であり、吉良氏の場合は、織田家と通じようとしていた吉良義安を今川氏によって追放された時になります。

訪問記

現在の室城址は、神明社と林松寺が建っているのですが、ちょうど神社と寺院の間が駐車場になっていて、そこに室城址の案内板が掲げられています。

城郭そのものは非常にこじんまりとした丘城であり、籠城戦には向いていない城だなと思います。

広島市立図書館には「浅野文庫蔵 諸国古城之図」が保管されており、東北から九州までの各地の古城を描いた絵図177枚からなります。その大半が江戸時代前期には廃城された城の絵図になります。その中に、室城の図もありましたので、掲載しておきます。

城郭の右側、黒い太線で囲まれていない曲輪部分に現在神明社が鎮座しています。反対の左側の主曲輪部分は現在墓地となっており、そのふもとには林松寺が鎮座しています。

主曲輪北側は写真の通り切り立った崖の様になっています。高さは10mほどでしょうか。

ぐるっと城跡を回りこんでいくと、南側は田園が広がり、城郭部分のみ木々が生え丘のようになっているのがわかります。

主曲輪ふもとに鎮座する林松寺。東条吉良観音霊場の二十九番札所になっています。

蔵屋敷と書かれている場所に鎮座する神明社になります。この神明社の例大祭で行われる御櫃割という神事は西尾市の無形文化財に指定されています。

御櫃割 from MotionVisualJapan on Vimeo.

参考にしてみてください。


皆様もぜひ訪れてみてください。木々の切れ間からにはなりますが、当時とあまり変わっていないだろう田園風景を見ることができますよ。

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