名古屋市北区

山田元大将之社(名古屋市北区山田)名古屋十名所

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

大正十四年に名古屋十名所第十番「山田村元大将之社」として選出され、現在は山田天満宮の境内社「銭洗い神社」として知られている金神社の紹介です。

神社情報

神社名金神社
鎮座地名古屋市北区山田町四丁目四十二番地(Googlemap)
例大祭十月二十五日
創 建社伝に創建は延享三年(1746年)とあるが創始はそれ以前とする。
御祭神岐神
金山彦神
大国主神
旧社格無格社
神名帳

境内社

境内社

文化財

国 宝
国指定
県指定
市指定
町指定
村指定

参拝情報

御朱印
URL
駐車場
参拝日2022年4月20日

御由緒

 昭和五十八年に「山田天満宮/紹介記事」へ合祀となった為、現在では山田天満宮の境内社となっている金神社ですが、江戸時代以前は「大将の宮・大将の社・上の宮」などと呼ばれていたそうです。

元境内地は?

 元々の境内地は現在「山田緑地」となっている場所になります。

 ストリートビューで紹介させていただきます。神社の遺構は全く残っておらずここが神社跡だとは全く想像できないですね。

 そして、この金神社と境内を接するように鎮座しているのが黄檗宗の寺院である「大應山廣福寺」になります。現在は境内にて山田幼稚園を経営している為、平日は中々参拝する事が躊躇われる寺院なんですが、この門前に気になる石柱が据えられています。

 それがこちら。名古屋十名所の石碑と山田重忠舊里の石柱になります。

 鎌倉時代この辺りの地頭職であった山田重忠の屋敷がこの辺りにあった様です。山田重忠は承久三年(1221年)に起きた承久の乱において後鳥羽上皇側に着き鎌倉幕府軍と戦うが最後は自害、嫡男である山田重継も捕らえられ殺害されてしまいます。たぶんこの時に山田氏は地頭職を外されてしまったと思われ、その跡地に何時頃創建なのかは調べきれていないので不明ですが黄檗宗の廣福寺の境内になっていった様です。

 山田重忠は大正六年(1917年)に正五位が追位されています。この辺りは、明治時代に行われた「建武の新政」に尽力した皇族・武将の再評価の流れの中で、承久の乱において朝廷側について鎌倉幕府と対峙した山田重忠も評価されたという事なんだと思います。

名古屋十名所

新愛知新聞社は大正十四年に破天荒な好人気」と自称するほどの盛況ぶりをみせた葉書投票による「新たな名古屋十名所を選ぶ!」的な企画を実施しています。そんな中で「山田町元大将之社」は十番目の得票数となる59,029票を集め、名古屋十名所にその名を連ねています。

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 大将之宮(金神社)が何故59,000票もの票数を集める事が出来たのでしょうか・・・。正直、当時日本各地に鎮座していた「村の鎮守さん」と何ら変わらない神社だったと思うのですが、ここまで票数を伸ばしたのはあくまでも自分の想像なんですが、大正六年の政府による山田重忠への追位の影響が非常に大きいのかなと思うのですが、正直そんな突拍子もない想像でもないような気がします。
 ただ、建武中興十五社と異なり大将之宮(金神社)の御祭神に山田重忠の名前がない訳で、更に妄想を膨らますと日本が満州事変を契機に戦争へと突入せず平和な時代が続いていればもしかしたら山田重忠を御祭神とする山田神社の創建の動きも起こりえたのかもしれませんね。

 社伝に延享三年(1746年)十月の創建とあるが、創祀はもっと古く、大将の宮・大将の社・上の宮と称したが、明治初年に金神社と改め据置公許となる。

 本神社は昭和五十八年八月二十三日、山田天満宮へ合祀される。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」

御祭神

  • 岐神
  • 金山彦神
  • 大国主神

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?

参拝記

 当サイトで紹介している「山田天満宮」は大曾根駅からJR・名鉄の高架線に沿って北側に進んだ場所に鎮座しています。先に述べていますが、「山田村元大将之宮」として名古屋十名所に選定されている「金神社」はこの山田天満宮と合併となり、境内社として遷座しています。元金神社の境内地は山田神社の西側の市道を北に200mほど進んだ場所にありました。それが「山田緑地」になります。

現在の金神社

 今では、金運招福の御神徳がある神社として多くの参拝者が訪れる神社となっています。

 社の前に「銭洗い」を行う場所が設けられています。ザルに入れた小銭、御札(濡れないようにジプロックの様な物にいれるそうです。)に柄杓で水をかけながら祈願すると「福徳利益」のご神徳が得られると言われています。ただ、この銭洗いって合併する前から行われていたのでしょうかね。

山田重忠屋敷跡

 現在門前に名古屋十名所の石碑が据えられている「大應山廣福寺」は境内全体が「やまだ幼稚園」となっています。自分の目で確認した訳ではないのですが園内に山田重忠の正五位追位記念の石碑があるとか。今ではまったく想像できませんが、戦前において山田重忠への人気はかなりあったのかもしれませんね。


遊び予約/レジャーチケット購入サイト「asoview!(アソビュー)」


鎮座地を神社で確認

神社名 金神社
鎮座地名古屋市北区山田町四丁目四十二番地(Googlemap)
最寄駅電車:JR・名鉄・地下鉄「大曾根駅」徒歩5分
バス:名古屋市帝バス「大曾根バス停」徒歩5分

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

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