安城市 安城市

塚本山明法寺(愛知県安城市安城町)

2020年7月13日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名塚本山明法寺
所在地愛知県安城市安城町拝木三十三番地
御本尊阿弥陀如来
宗 派浄土真宗大谷派
創 建伝:嘉禎元年(1235年)
札 所
御朱印
H P

参拝日:2020年6月23日

沿革・由緒

 開基は浄土真宗三河教団の源流「和田門徒」の祖と言われる「明法房円善」になります。元々は碧海郡和田荘に建立された寺院とされ、大永年中(1521-28)に現在の場所に遷座したと伝えられています。

和田門徒とは?

 「三河念仏相承日記」によると、慶長八年(1256年)親鸞の弟子である「真仏」、「顕智」、「専信」と下人の弥太郎が関東より親鸞に面会するために上洛する途中、矢作の柳堂薬師寺(現在は廃寺)において念仏勧進を行っています。

 四名はその後上洛し親鸞に面会し、顕智はしばら親鸞の元に留まる事になったと言い、先に関東に戻る真仏は顕智に対し、三河国に留まり念仏勧進を行うよう命じたとされています。同年末、親鸞の元を離れ三河国に向かった顕智は、碧海郡和田荘の権守「安藤綱房」(出家名「明法房円善」)のもとに滞在し三年にわたり念仏勧進を行っています。これにより円善の嫡子「袈裟太郎」(出家名信願房)など三十五名が真宗に帰依しています。顕智が去った後は円善が中心となり三河真宗教団を築き上げていき、円善の居館があった和田荘から「和田門徒」と呼ぶようです。

 岡崎市大和町にある真宗高田派の「桑子山妙源寺」の伝承によると、和田門徒を率いた円善の子の「信願房了海」が碧海郡赤渋に建立した道場が「勝髪寺」、「念信房蓮慶」が建立した道場が「妙源寺」の始まりとされています。これらの道場によって三河国(特に西三河)に真宗が広まったと言われています。

※三河国で布教したのは真宗高田派三世「顕智」ではなく親鸞門弟の「専信(専海)」であるとする資料もあるようです。

安藤綱房(明法房円善) 明法寺建立
  ┣ 安藤信願(信願房了海) 勝髪寺建立
  ┗ 安藤親平(念信房蓮慶) 妙源寺建立

 鎌倉期を通じて「三河真宗」と呼ばれるある種浄土真宗の一派ともいえる教団を布教していった「和田門徒」の中心といえる寺院だったと言えるのではないでしょうか。特徴としては、太子信仰が非常に強い事があげられます。現在では三河において高田派または本願寺派(東西分裂後は大谷派、本願寺派)となっている三河真宗だった寺院ですが、和田門徒のは如道が越前国(福井県)に大町専修寺を建立し、和田門徒の流れを汲む「真宗三門徒派」が現代でも存続しています。

 ちなみに、和田荘とは現在の岡崎市の上和田、宮地、井内、野畑、下和田、坂左右、法性寺、牧御堂、上土井、下土井、赤渋、天白(福嶋新田)の地域を指すみたいです。

 国宝で親鸞聖人の姿を描いた「安城御影」というものがあります。親鸞聖人八十三歳の時の姿と言われています。岡崎市舳越町の願照寺が所持し八代の「了正」の時に本願寺に収められたと伝えれていますが、願照寺の前に明法寺にこの安城御影があったという話もあるようです。その為、明法寺の門前に「安城御影御傳地」と書かれた石碑が建てられています。

歴史探訪

 「安祥城/紹介記事」の北側にある寺院が今回参拝する「塚本山明法寺」になります。元々碧海郡和田荘にあった明法寺ですが、由緒でも紹介したように大永年間に安祥城の北側になる現在の境内に遷座したと言います。「碧海郡誌」によると、「戦死者を埋葬する安祥に移り、塋域(墓域)を慣らしそこに堂宇を建立し冥福を祈るために擬す。依って山号を塚本山と称す。」とある様に、明法寺の境内は元々何らかの戦による戦死者を弔った塚であったようですね。

安祥城周辺散策

参拝記

 安祥城址公園から県道78号線を挟んで北側にあり、県道と明法寺の間が運輸会社のトラック駐車場になっていて、県道からも明法寺の境内を望むことができます。車で参拝する際は、通用口から境内に車を駐車する事になるのかと思います。

境内入口

 山門が一段下がり城郭でいう所の虎口の様な感じになっている境内入口になります。寺院を巡っているとこういった造りをよく見かけるのですが、これはどういった意味がるんですかね。(こういった門前の造りの寺院を紹介するたびに疑問の思っている気がします。)

 「二十四輩安静御影御奮地」と彫られた石碑になります。
 二十四輩とは親鸞聖人が関東にいた頃の二十四名の高弟を指します。明法寺は二十四輩に挙げられる僧侶により建立された訳ではないですが、和田荘にあった頃、もしかしたら京都と関東を行き来している中で二十四輩の内のだれかが立ち寄っているのかもしれませんね。

山門

 山号でも寺号でもなく院号である「安静院」と書かれた扁額が掲げられている四脚門の山門になります。

手水舎

 木造瓦葺六本柱タイプの手水舎になります。井戸と水盤を有する手水舎になり、造りと更に屋根をみてもかなり大型の手水舎であることがわかって頂けるかと思います。

本堂

 入母屋造瓦葺平入の向拝が設けられ高覧のある濡れ縁がある本堂になります。浄土真宗の寺院の本堂といえばこの造りといった感のある本堂かな。

安城市天然記念物「イブキ」

 樹齢が凡そ400年と伝えられる安城市天然記念物に指定されている「明法寺のイブキ」になります。説明板にもありますが、イブキ自体は明法寺の中庭にある為、近くによる事はできないのですが、建物越しに見るイブキはかなり樹高ある事が見て取れます。

義民中川覚右衛門の墓碑

 「安祥山大乗寺/紹介記事」や「安祥毘沙門天/紹介記事」などでその遺構を紹介してきている「中川覚右衛門」の墓碑が明法寺にあります。そして、こちらは「中川覚右衛門墓碑」は安城市の指定史跡に昭和43年4月1日に指定されていて、安城市教育委員会によって現地説明板が設置されています。

 大乗寺に据えられた「頌徳碑」と「自害の地の石碑」を見た時、この中川覚右衛門って誰?って疑問に思ったのが正直なところです。大乗寺を訪れる観光客のが圧倒的に多いと思うので、ぜひとも大乗寺の方に中川覚右衛門の説明板を設置してほしいなと願う訳です。安祥城周辺の散策MAPを見ない限り、こちら明法寺の墓碑がある事すら分からず、当然明法寺を参拝に訪れる観光客は皆無となってしまうんじゃないかな。

阿部新四郎正信、新四郎重尚墓碑

 明法寺にはもう一基瑞垣に囲まれた墓碑が安置されていました。
 墓碑を読むと、
 大永五年二月二日に戦死した阿部新四郎正信
 天文九年六月六日に戦死した阿部新四郎重尚
と彫られいました。
 戦死された年号から正信の子が重尚になるのかなと思われます。

 現地に何も説明するものが無かったため、当時はよくわからないままだったのですが、江戸時代に書かれた「寛政重脩諸家譜」にその名を見つける事ができました。これによると、正信は松平清康に仕え、大永五年の戦にて戦死。重尚は正信の嫡子で松平広忠に仕え、天文九年の上野上村城攻めの際戦死。重尚の嫡子は「阿部重吉」になります。

阿部重吉は父重尚が戦死後広忠に仕え、天文十一年、竹千代(後の徳川家康)が生まれると広忠の命により竹千代に仕える事になったといいます。竹千代が織田家の人質から今川家の人質となる時、「酒井与四郎親吉、天野三郎兵衛康景、平岩七之助親吉、高力与左衛門清長、内藤与兵衛、村越直吉、江原孫三郎、古橋宗内、榊原平七郎、渥美太郎兵衛友勝、平岩新八郎、平岩善七郎、本橋金五郎、渡辺勘解由左衛門、天野又五郎、石川彦二郎、石川内記、植村新六郎家政」らと共に家康に従い駿府に向かっています。家康の側近として仕え、家康の鷹狩の際、献上された村正を二刀与えられています。以降鷹師として家康に仕え、重吉の子孫も歴代将軍家の鷹匠として仕えている様です。
 阿部重吉以降、文京区小日向の日輪寺を菩提寺としています。

 あまりにもひっそりと墓石が安置されているので、気付いていない方も非常に多いのではないでしょうか。家康の人質時代に小姓として従事した武将は言わば家康の側近衆という事もでき、将軍家の鷹匠として仕えていく阿部一族をもう少し注目してもいいのかもしれませんね。

雑誌・マンガに加えて旅行雑誌の定番"るるぶ"も月額500円(税抜)で読み放題!

やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。
やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。

所在地を地図で確認

寺院名塚本山明法寺
所在地愛知県安城市安城町拝木三十三番地
最寄駅あんくるバス1号安祥線「歴史博物館バス停」徒歩3分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

https://amzn.to/2UHeO79

少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

-安城市, 安城市
-,