岡崎三十六地蔵 岡崎市 岡崎西国観音

善入院(愛知県岡崎市松本町) 岡崎三十六地蔵十六番札所

2021年5月4日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名善入院
所在地岡崎市松本町一丁目七十一
御本尊一光三尊善光寺如来
宗 派浄土宗
創 建慶長十年(1605年)
札 所岡崎西国観音 二十七番札所
岡崎三十六地蔵 十六番札所
御朱印
H P

参拝日:2020年11月18日

沿革・由緒

 永禄三年(1560年)に徳川家康は父「松平広忠」の亡骸が埋められた墳丘が置かれていた月光庵の跡地に菩提寺となる寺院の建築を命じ「能見山松應寺/紹介記事」を創建します。その後、慶長十年(1605年)、松平広忠五十七回忌に伴い、松應寺を大造営工事が行われ、境内が拡張され様々な伽藍が建造されています。この時に、塔頭として善入院が創建された様です。

 現在の善入院本尊は「一光三尊善光寺如来」になります。この善光寺如来は徳川家康次男「結城秀康」の孫になる越後国高田藩主「松平光長」とその室「浄信院(毛利秀就娘)」が崇敬していた仏像(持念佛)になると伝えられています。光長の死後遺言により大本山増上寺に寄進された善光寺如来像ですが、善入院十九世「信誉秀邦」の嘆願により増上寺よりこの善光寺如来像が請来し、善入院の本尊となったと伝えれています。

松平光長とは?

 徳川家康の次男「結城秀康」の嫡子「松平忠直」の嫡子となり、家康の曾孫にあたる武将になります。光長の父である松平忠直は慶長十二年(1607年)、父秀康の遺領越前藩七十五万石を継ぎ、さらに慶長十六年(1611年)には二代将軍徳川秀忠の娘「勝姫」を正室に迎えるなど、秀忠の寵愛を受け幕政の中心を似合う武将になる様に期待されていましたが、大坂の陣を経て幕政に不信を持つ様になり徐々に将軍家とは不仲となり最終的には元和九年(1623年)に隠居を迫られ、従わない場合は討伐軍を出兵するとまで言われ、隠居を受諾して豊後国へ流罪となります。
 本来でしたら忠直の嫡子である「松平光長」が越前藩を継ぐのが本筋であると思うのですが、幕府からは越前藩を継ぐのは忠直の弟「松平忠昌」となり、光長は忠昌が藩主であった越前高田藩二十六万石を継ぐことになります。
 光長の正室は毛利秀就の娘「土佐」。光長の嫡子「松平綱賢」が未嗣子のまま死去してしまい、六十歳を超えていた光長は改めて世継ぎを決める必要が出てしまい、甥にあたる永見万徳丸(元服して綱国と称します。)を世継ぎを決めますが、この事が後に「越後騒動」と呼ばれる高田藩の御家騒動に繋がり、最終的にお家お取り潰し(改易)に繋がる事になります。
 天和元年(1681年)に改易となった光長は伊予国松山に流罪となります。貞享四年(1687年)には赦免され江戸柳原に新たに屋敷を与えられ、宝永四年(1707年)九十三歳で死去しています。

系図

徳川家康 ┳ 於万の方(永見貞英娘)
   結城秀康 ┳ 中川出雲守娘
      松平忠直 ┳ 勝姫(徳川秀忠娘)
         松平光長 ┳ 土佐(毛利秀就の娘)
            松平綱国

 系図を見て分かる様に、徳川家康に通じる一族であり、更に徳川秀忠の娘「勝姫」から生まれた光長は御三家に準じた立場で、うまく立ち回れば二十六万石以上の石高の藩主となってもおかしくない家柄なのになあと思わなくもないですね。

 (旧)岡崎市史では光長使用の香筥や浄信院の書紺紙金泥三部経四巻なども収蔵されていたようですが、岡崎空襲でなんとか本尊である善光寺如来は持ち出された様ですが、それ以外は焼失してしまった様です。

 善入院は、松本町二番地に在り。境内三百七十四坪九合を有す。同町松應寺の末寺である。慶長十年徳川家康の創立にして、其後明和五年六月十五日信誉秀邦の時より善光寺如来立像を本尊とし、以て今日に至った。此善光寺如来はもと越後国高田城主従三位中将越後守松平光長並びに其室浄信院の威得佛にして後其子澄誉上人に移り、次で弟子秀邦和尚に傳はりしものである。尚當院に松平光長使用の香筥一個及び浄信院の書紺紙金泥三部経四巻を蔵して居る。寺境に地蔵堂、秋葉堂の二宇があり。地蔵堂は天保四年七月の建立にして、明治七年當町内より此境内に移転せしもの。秋葉堂は加具土命を祀り、明和八年九月の勧請である。もとは此辺一帯は松應寺境内に属して居った。

昭和四年発刊「(旧)岡崎市史」第七巻より

霊場をいく

 岡崎三十六地蔵霊場十五番札所「能見山松應寺/紹介記事」を後にして、門前に広がるアーケードを抜けて少し歩いた場所にある十六番札所「善入院」に向かいます。江戸時代までは松應寺の塔頭であり、本末制度が廃止されるまで松應寺の末寺だった寺院になります。

・十四番札所「浄誓院/紹介記事
・十五番札所「能見山松應寺
・十六番札所「善入院
 元々は松應寺の境内に建っていた塔頭「浄誓院」「善入院」を含めた三ヶ所の札所は昭和三十年に再興されたときに選ばれた札所になります。天保五年の創建当初は「松應寺門前地蔵堂」が十八番札所に選ばれていたようです。昭和二十年の岡崎空襲で岡崎の神社仏閣も大きく変貌せざるを得なかった事を考えると、札所の再選定はある意味当然の流れ何だろうと思います。

 この記事を書いている時点でスタンプラリーに使うスタンプ台などが設置されているのかは不明ですが、現在でも「おかまいり」の公式サイトが稼働している(H3.4.29現在)ので、まだスタンプラリーは実施されているのかも?。巡ってみたいと思った方は、まだスタンプラリーがやっているかどうかを岡崎市観光協会に問い合わせる事をお勧めします。

 松應寺の本堂前からだと約120m、参道入口からだと約80mの距離に善入院の境内はあります。浄誓院からは見ると東側の別区画の一角に境内がある感じになります。位置的に見ると、浄誓院の門前(道を挟んだ反対側で善入院の本堂裏辺り)に建つ秋葉堂は由緒などから元々は善入院の鎮守社なのかなと思います。それくらい近い距離に寺院が建っています。

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浄土宗は赤地に文字ぬきのスタンプ!

参拝記

 善入院の境内は前面道路に対して非常に開放的な境内となっています。石柱門なども特に設けられていないようです。

本堂

 入母屋造瓦葺平入の唐破風のある庇が設けられた本堂になります。大屋根の一部がせり出して向拝としているよく見かける造りではなく、屋根の下側からかなり大柄な銅葺の庇がせり出して向拝の様な造りになっています。この特殊な造りはこの本堂が元々は大沼地区に建っていた雅楽堂を移築した事と関係があるのかもしれませんね。

地蔵堂

 本堂の前に建つ入母屋造銅板葺妻入りの地蔵堂になります。扁額には「油掛地蔵尊」と書かれています。この名の通り、ここ善入院の地蔵堂には油を掛けながら祈願する油掛地蔵尊が祀られています。

 おかまいり公式HPの札所案内によると、

昔、諸国を旅しながら商売をしていた大阪・堺の油行商人が、或る時、歩き疲れて道端のお地蔵さまの前で一休みしていたところ、「この私(お地蔵さま)に油を掛けて供養すれば商売が繁盛しますよ」というお告げを聞きました。お告げの通り、お地蔵さまに油を掛けて供養すると、商売が軌道に乗り一代で大きな財産を築いて油問屋を営むまでになったといいます。戦後、縁あって京都の造り酒屋にあるそのお地蔵さまからお精をいただいて「油掛地藏尊」として善入院の境内に安置しました。以来、身体健全、商売繁盛を願う多くの方々がお参りに見えるようになりました。

とあります。こんな由緒から現在では善入院に油の奉納が多くあり、ごま油を油掛に使用し、サラダ油などは燈明などに使用されているそうです。

 この地蔵堂、中々な近代設備が整っていて

 油を使用しているという事もあるのか、お地蔵様が奉安されている場所は自動ドアが使用されて普段は締め切られた場所になる様になっています。油掛地蔵といっても普段は油掛けできないんだーっておもっていたらウィーンと扉があいたので「まじか!」と内緒の話です。

 スタンプ台は地蔵堂の前に置かれていました。夜などは地蔵堂の中にしまう様になっているのか折り畳み式のテーブルのスタンプ台になっていますが、やっぱりこういった台が置かれているだけで非常にスタンプが押しやすいですよ。

 この地蔵堂、実は寺院前面を通る道路側にも入口が設けられています。正面から入ってこちら側に出てくるのが正しい参拝の仕方なのかな?

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所在地を地図で確認

寺院名善入院
所在地岡崎市松本町一丁目七十一
最寄駅名鉄バス「能見町バス停」徒歩2分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

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