名所旧跡など

愛知県下新十名所巡りー相生山・八事山編ー

2022年7月26日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

愛知県下新十名所とは?

 昭和二年に今の中日新聞の前身となる新愛知新聞社が「読者投票によって愛知県の新しい十名所を決定しよう!」という企画を行っています。この企画がどうやら各自治体まで動いて投票運動が巻き起こるなど愛知県下では相当盛り上がったイベントとなった様です。昭和二年ですので、投票は郵便によって行われ、なんと1,414万票を超える投票が行われています。100票以上の得票を集めた名所候補地については公表されており、その数「57ヵ所」となっています。
 あまりにも投票が過熱して候補地も非常に多く集まった為、本来は1位~10位までを新十名所と決定するところ、11位~20位を新十勝地として選定しています。

57ヵ所の新名所候補地一覧はこちらから

愛知県十名所を知ってるかい?

 愛知県新十名所選定100周年まであと5年という中途半端な時期ですが、これほどまでに当サイト名と合致する物はまずありえないだろうという事で、既に何ヶ所かは紹介させていただいておりますが、昭和二年に愛知県民を熱狂の渦にいざなった愛知県下新十名所投票戦のそれぞれの舞台を見ていこう思います。

今回の行き先は?

 前回の愛知県下新十名所巡りでは愛知県一宮市にある真清田神社と木曽川桜を中心に紹介させて頂きました。こちらの模様は「愛知県下新十名所巡りー真清田神社・木曽川桜編ー」をご覧ください。

野並相生山

 今回は同じ尾張地方でも比較的三河に近い名古屋市東部エリアと、昭和二年の時点では名古屋市に合併されておらず「愛知郡」として紹介されている場所を巡っていこうと思います。
 今回ます最初に訪れる新十名所は、852,631票を集めて第5位に選出された「野並相生山」になります。グーグルマップの航空写真モードで名古屋市周辺を見てもらうと天白区に非常に大きな緑地があるのが解って頂けるかと思います。この緑地こそが相生山になります。河村市政になって開発が中断されて相生山を貫くように造られていた道路も完成間近で放置されるなど愛知県では一時期ニュース番組で登場していた場所にもなりますね。たぶん、河村市政の終了と共に開発事業が再開されそうな気もしますが、緑地は無くしたら最後復活する事はないので、緑地の保全と開発のバランスをどうするかが次期名古屋市長の腕の見せ所になりそうです。
 そんな(どんな?)相生山は開発中断以前には別荘地の様になっていたようで現在でも住宅が点在していたり、なかなか独特な雰囲気の場所となっています。この相生山の一角に昭和二年の投票戦で新愛知新聞社に届けられた葉書が集められて保管されている「葉書塔」が作られています。

 その葉書塔はこちら↓

 昭和二年という戦前の一新聞社が行った新名所選定戦に二千万以上の葉書が送られたという事実を現代まで語っている非常に貴重な記念碑だと思います。ただ、貴重なんですが愛知県新十名所をどれだけの方が存じているのか・・・少し不安な所です。

八事音聞山

 葉書塔と相生山緑地を散策して、次の十名所を目指して移動します。次に向かうのは2,978票を集めて第42位に選出された「八事音聞山」になります。現在でも天白区の八事の近くに音聞山という地名が残っています。現在では都市開発により当時の雰囲気は一変してしまっているようですが、昭和初期は名古屋市街からほど近い場所に広がる観光地だったようですね。

 明治二十三年(1890年)と大正二年(1913年)、愛知県において陸軍の演習が行われ、音聞山には指揮所が設置され、この地に明治天皇、大正天皇が遠州の統監をなされています。戦前は天皇は現人神であると崇拝されていた事もあり、この音聞山は「御幸(みゆき)山」と呼ばれる様になり、両天皇の聖蹟であるとしていた様です。
 現在でも「御幸山」という地名が残っていて、一番標高が高い場所に「御幸山公園」が整備されていてこの公園に両天皇が統監されたことを示す石碑が建てられています。

 正直、昭和初期の方達のイメージする音聞山がどこ辺りなのかは不明なんですが、その歴史からこの御幸山公園を愛知県下新十名所投票戦42位に選出された「八事音聞山」とさせて頂こうと思います。

 御幸山公園がこちら↓

 

 実は、愛知県新十名所投票戦で57位に選出されている場所が「八事山」となっています。この八事山は当サイトでも既に傷害している「八事山興正寺」の事になるようです。こちらは知多新四国霊場結願寺という事で既に参拝していますので今回はパスさせて頂いております。

今回の行程

 今回の遠征も従来と同様に主となる目的地をつなぐ間に点在する神社仏閣・史跡などに立ち寄っていきます。という事で、今回は名古屋市東部を巡っていく遠征と言えるかと思います。

名古屋市昭和区

2022/12/12

須佐之男神社(名古屋市昭和区汐見町)

名古屋市昭和区汐見町に鎮座する須佐之男神社の紹介です。元々は名古屋市東区の車道町に鎮座していたが、明治二十三年に現在の境内地に遷座されています。

名古屋市昭和区

2022/12/20

川原神社(愛知県名古屋市昭和区)

名古屋市昭和区川名本町に鎮座する延喜式内社と伝わる「川原神社」の紹介です。ただ、中世の頃には荒廃してしまった様で、詳しい社伝が残っていない様ですが、江戸時代になると尾張徳川藩からの崇敬が厚かった神社になります。

名古屋市昭和区

2022/12/20

神明社(名古屋市昭和区五件家町)

名古屋市昭和区五軒家に鎮座する神明社の紹介です。江戸時代初期にこの地の新田開発の守護神として勧請されたのが創建であるとしています。江戸時代を通じて景勝地とされた「檀渓」の近くに鎮座する神社になります。

名所旧跡など

2022/12/3

檀渓跡(名古屋市昭和区檀渓通)

名古屋市昭和区を流れる山崎川沿いに「檀渓通」という地名があり、山崎川にかかる「檀渓橋」という名の端がかかり、その脇には「檀渓跡」の標札があります。現在の様に都市開発されるまでは文豪詩人に愛された静かな川辺であったようです。

名古屋市昭和区

2022/12/3

須佐之男命神社(名古屋市昭和区広路町)

名古屋市昭和区の八事山の広路に鎮座する須佐之男神社になります。元々は現在の名古屋市東区にあった水筒先に鎮座していたが、後に現在の地に遷座された神社になります。

今回は比較的名古屋市でも岡崎に近いエリアを巡っている事から往復にかかる時間も多少短くなっている事もあって中々の件数を巡っております。自分でもこんなに回っていただなとビックリしていたり。これからそれぞれの参拝先の紹介記事をアップしていきますので是非読んでいただけたら幸いです。

-名所旧跡など