豊田市

滝谷山長松院(愛知県豊田市滝脇町) 滝脇松平家菩提寺

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名瀧谷山長松院
所在地愛知県豊田市滝脇町西洞三十一番地
御本尊不明
宗 派曹洞宗
創 建天文十三年(1544年)
札 所
御朱印
H P

参拝日:2021年3月3日

沿革・由緒

 安祥松平家始祖「松平親忠」が九男「松平源四郎乗清」に滝脇の地を与え安祥松平庶家「滝脇松平家」として分立させています。伝承では長享元年(1487年)八月に親忠が麻生の天野景孝を攻め落とし、その地を与えたとされている所から十五世紀後半には滝脇を治めていたと考えられています。

 松平宗家である松平太郎左衛門家が治める松平発祥の地「松平郷」と岩津城を結ぶ松平往還の地ともいえる松平家としては重要な場所である大給郷は松平乗元(大給松平家祖)、滝脇は松平乗清それぞれに与えられています。「寛政重脩諸家譜」には、親忠次男が乗元、九男(末子)が乗清であると記されています。

 様々な伝承の中には松平乗清は大給松平家初代「松平乗元」の弟または子であり滝脇松平家は大給松平家の支流であるとするものがあるんだとか。「大給松平家/紹介記事」の中でも書いていますが、そもそも松平乗元は元々大給郷を領していた荻生季統の嫡子を松平親忠の娘の婿となり、松平家一族に加わったという伝承が昭和十七年発刊の大田亮著「姓氏家系大辞典」の中に「大給氏」についての記述の中に載っています。

 大給松平家四代「松平親乗」は弘治二年(1556年)に、突如として滝脇松平家の本拠である滝脇を目指して軍を動かします。一月には滝脇松平家二代「松平乗遠」の嫡男「松平正乗」が討ち死。三月には再び松平親乗は軍を動かし滝脇を攻め、滝脇松平家初代「松平乗清」と二代「松平乗遠」が討ち死してしまいます。この争いは「滝脇合戦」と呼ぶそうです。この辺りの滝脇松平家vs大給松平家の争いは今川家の三河支配への反発する国人たちの反乱(三河忿劇)が絡んでいるとされ、今川義元・松平広忠を支持する滝脇松平家と反今川親織田だった大給松平家という構図だったと見ることもできるようです。

 今回紹介する瀧谷山長松院は滝脇松平二代「松平乗遠」の二男「松平乗高」が祖父、父、兄の菩提を弔うために創建したと伝えられています。が、松平村史には創建は天文十三年(1544年)と書かれ、滝脇松平家vs大給松平家の争いが起こる前に創建されたとしています。

 この弘治二年の滝脇合戦により滝脇松平家の領地は松平親乗に押領され、大給領となったようです。この事は慶長六年(1601年)に滝脇松平家四代「松平乗次」が滝脇を改めて受領した際は大給領だったことからもわかるそうです。

 寛政重脩諸家譜によると、乗高は徳川家康に仕え、三河一向一揆においては「水野忠重」と共に蜂谷半之丞貞次と戦い高名があり、遠江国岩清水村に領地を得たとあります。
 そして、天正三年(1575年)、松平乗高は肉親の敵である松平親乗が居する大給城を夜襲。大給城は灰燼に帰したとされ、親乗は大給を離れ一説には尾張国に逃げ落ちたと伝えられています。この内部抗争に対して、主君である徳川家康は特に乗高を咎めていない所から、家康黙認の敵討ちであったと考えられています。

蜂谷半之丞貞次とは?
 徳川十六神将の一人に名を連ねる武将になります。この蜂谷貞次は三河一向一揆の際一向勢に加担し、主君徳川家康と対峙しています。松平乗高が水野忠重と共に蜂谷貞次と戦った戦いは永禄六年十一月に発生した上和田城の戦いの様です。この戦いでは上和田城を包囲した一揆勢と徳川家康自ら率いた軍勢が激突した戦いで、蜂谷貞次は主君であった徳川家康に刃は向けられないと撤退を決意するが、松平信孝の子「松平金助」が『蜂屋、逃ぐるか。きたなし、返せ。』と叫んだところ、『殿が来られたから逃げたのだ。うぬらに背は見せぬ。』と返して金助を突殺したが、家康が馬を寄せて「蜂屋、のがさぬぞ」と叱りつけて槍を構えたので、貞次は驚いて逃走した。という伝承が残っています。

 この戦いの中で、乗高は一向勢相手に奮戦し、主君徳川家康の目に留まったのでしょう。そして、その後の今川領を侵攻し浜松城に家康が居城を移した頃、それまでの軍功に対し遠江国清水村に所領を得たのだとおもいます。

 関東移封に際してはどこに所領を得たのかは不明ですが、慶長六年(1601年)、関ケ原の合戦後に乗高の嫡子「松平乗次」は旧領地である滝脇を含めて六百石を拝領した旗本となります。滝脇松平家の菩提寺が市谷の長龍寺であることから、基本的に江戸に常駐の旗本だったんでしょう。

参拝記

 現在は岡崎市と豊田市の市境、元々は額田郡と加茂郡の郡境を流れる「郡界川」に沿って走る県道338号線と岡崎市にある奥殿陣屋前を抜けて滝脇町方面に向かう市道が郡界川を渡河して県道338号線と合流する場所・・・わかりにくい説明で申し訳ない。・・・あたりが江戸時代にこの地に旗本滝脇松平家の陣屋がおかれていた場所になります。

 長松院の周囲には春日神社、浄土真宗の寺院「専光寺」などが鎮座しており、江戸時代には滝脇陣屋もあって滝脇の中心地だったんだろう場所の少し奥まった場所にあります。

 春日神社、専光寺の境内脇を進んでいくと、その奥に寄棟造の長松院の本堂が見えてきます。専光寺と比べると狭めの境内かな。

 長松院の境内入口部分はなにやら竹で色々柵など作られていて、なにやら庭?造が行われているのかなと思ったのですがどうでしょうかね。

 寄棟造瓦葺平入の本堂になります。

 境内の一角に基壇上に五基の墓石が並んでいる場所があります。この並んでいる墓石が滝脇松平家初代乗清、二代乗遠、乗遠の嫡子正乗の墓石なんだと思うのですが、どれが誰の墓石なのかは全くわかりません。あと、残る二基は誰の墓石なのかな。

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所在地を地図で確認

寺院名龍谷山長松院
所在地愛知県豊田市滝脇町西洞三十一番地
最寄駅松平地域バス滝脇JA松平線「滝脇バス停」徒歩5分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

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