寺院紹介
ONE POINT
知多四国霊場十六番札所になっている天台宗の鳳凰山平泉寺の紹介です。野間で行われた源義朝の法要の帰りに源義朝が立ち寄り参拝したと伝えられています。
寺院概要
寺院名 | 鳳凰山 平泉寺 |
所在地 | 愛知県阿久比町大字椋岡字唐松二十九番地 |
御由緒
創 建 | 天長七年(830年) |
宗 派 | 天台宗 |
御本尊 | 不動明王 |
天長七年(830年)淳和天皇の勅命により鳳凰を求めて慈覚大師(最澄の弟子)がこの地に来た時、当地には一滴の水もなく病魔が流行していた。大師は涸井戸をみつけ、心身を清め大小の石に法華経を書き、井戸に投じて加持された。すると一念通じてか見る間に清水が湧き出で美しい水面には、あたりに一本の木もないのに、緑の松の影をうつし、里人を驚かせた。
「知多四国めぐり」より
大師はそこで平泉寺を建立し、本尊尾張不動尊をまつり、病魔退散を祈願されたという。以来「唐松の井戸」と呼ばれ、末期の水、延命の水として伝えられ寺のすぐ南の田の中に現存し、今日もなお信仰は厚い。
文治元年(1185年)源頼朝は亡父義朝の墓参りの帰途立ち寄り、本尊尾張不動尊に国家安穏、国運隆昌を祈願した。
時は中秋の名月、頼朝は「月の明らかなるに遮ぎる何もなくさえ渡れば、円月坊と称すべし」と命じ、以来坊内を円月坊というようになったという。
また文永十一年(1274年)蒙古襲来の秋、勅命により異国降伏の祈願を尾張不動尊に命じ郷氏参籠して祈願が続けられた。
平泉寺は天長七年(830年)淳和天皇が尾張国知多郡に鳳凰が舞い降りた夢を見られ、それを見てくるように言われた慈覚大師が、淳和天皇の霊夢にちなんで山号を鳳凰山と名付け、創建した一千年を超える古刹である。
また、かつてこの地に伝わる昔話によると、邪鬼が当地方を荒らして、人々を苦しめていたおり、大変武勇に優れた英比丸が、その邪鬼を退治して地中に深く埋め、再び出現しないようにと魔除けの柊を植えたと言われる。ある夜、邪鬼を埋めた柊の下で大師が野宿をされた時、夢のなかに角の生えた童子が土中に苦しんでいる姿を見られた。翌朝、大師は柊を倒して、その柊で仏像を刻み祀ったのが平泉寺の起こりであると言われている。本尊不動明王立像と毘沙門天立像(伝運慶作)は愛知県指定の文化財に指定され、阿弥陀如来像は県下最古の仁平三年(1153年)の在路仏で同じく県指定の文化財になっている。
「境内阿久比町教育委員会案内板」より
霊 場
- 知多四国霊場 十六番札所
文化財
国 宝 | |
国指定 | |
県指定 | 木造不動明王立像 木造毘沙門天立像 木造阿弥陀如来坐像 |
市指定 町指定 村指定 |
文化財
御朱印 | 〇 |
URL | ー |
駐車場 | 〇 |
参拝日 | 2018年5月16日 |
知多新四国霊場を行く
知多四国霊場十五番札所「龍渓山 洞雲院」を後に、名鉄河和線沿う様に、県道55号線、県道264号線を南下していきます。前方にアピタ阿久比店が見えてくると、次の十六番札所の「鳳凰山 平泉寺」はすぐ近くです。
道路左手に、平泉寺の道案内看板と、知多四国霊場の幟がはためいているので、左折するとすぐに平泉寺です。
ただ、駐車場は平泉寺の裏側になるので、参拝の際は、ぐるっと回って山門から境内に入られる事をお勧めします。
参拝記
アピタ阿久比店を目印にして頂くと非常にわかりやすいかもしれませんね。
自分は、十五番札所の「洞雲院」から十六番の「平泉寺」に向かう途中、一旦「平泉寺」を通り越してアピタ阿久比店で昼食を取ってから、「平泉寺」を目指しています。
境内入口
地図にある「角前田」交差点から東方面に進むと、丁度「平泉寺」の山門側に行くことができます。
すると・・
知多新四国霊場の道標の石柱が立っています。この石柱が目印になりますね。
石柱が立っている場所から平泉寺方面を望むと、こんな感じ。
なにやら看板が立っていますね。
本当にストリートビューは助かりますね。
こちらが平泉寺の山門側の入口になります。参道両脇が民家に囲まれていて、集落の中の寺院という雰囲気です。
山門
四脚門の山門に片側に袖壁がもうけられています。以前は山門の両脇に袖壁があったようなのですが、片側撤去したようです。
庫裏さんの自家用車でしょうか、山門前に車を留めるのは如何なものかなと思ってしまいますね。それだけ、裏手に用意された駐車場側から境内に入られる参拝者が多く、山門側から入ってくる参拝者が少ない為、本来表側になるはずの山門側が今や裏門的存在になってしまっているという事なんでしょうか・・・。ただ・・・それでも山門前はちょっと避けた方がいいと思うんですけどねえ。
手水舎
木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。
その奥に、なにやら基礎部分が残っている場所が見てわかると思います。
ちょっと切り取って拡大してみますた。
実はここには「オカラス大明神」という腰痛に後利益があると言われているので、参拝したかったのですが、お化粧直しの為不在だそうです・・・。残念です。
鐘突き堂
なかなかどっしりとした鐘突き堂になります。今でも夕方とか鐘の音が鳴らせているんですかねえ・・・。
除夜の鐘ですら騒音問題になる世知辛い世の中ですからねえ・・
阿弥陀堂(客殿)
本堂と紹介してしまいそうですが、阿弥陀堂(客殿)になります。
では、本堂はというと・・・
本堂
阿弥陀堂の脇に建っている寄棟造平入のこちらの建物が本堂になります。
向拝の柱に「本堂」と書かれた板が掲げられていますね。
弘法堂
入母屋造瓦葺妻入りの弘法堂になります。
正面に開創二百十年記念宝塔が建てられて、大師像から伸びる紐がくくられています。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
さらに、大師像から伸びる紐を握りしめ、再度、「南無大師遍照金剛」・・・・
懸魚・鬼瓦
鰭付きの蕪懸魚と鬼瓦です。鬼瓦に彫られている模様はこの平泉寺の寺紋なんですかねえ。
御朱印
参拝を終えて
平泉寺のすぐ近くを通る名鉄河和線を走り抜ける赤い列車。
由緒にも紹介した「唐松の井戸」は平泉寺の南側に現在でも存在しています。場所的には、参拝記1枚目の知多新四国霊場の道標のすぐ近くになります。参拝した時には、由緒も知らなく、当然井戸の存在も知らなかったのですが、やっぱりストリートビューはすごいですね。井戸の案内板をきちんと写していました。
こちらが唐松の井戸になります。
ちなみに、奥に見える建物がアピタ阿久比店になります。
是非、知多新四国巡礼で平泉寺の参拝の折にはこの唐松の井戸に立ち寄ってから次の札所に向かって頂きたいですね。
次の目的地は?
十六番札所「鳳凰山 平泉寺」を後に、次は十七番札所「樫木山 観音寺」を目指します。
参拝記
所在地を地図で確認
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