POINT
名古屋市昭和区を流れる山崎川沿いに「檀渓通」という地名があり、山崎川にかかる「檀渓橋」という名の端がかかり、その脇には「檀渓跡」の標札があります。現在の様に都市開発されるまでは文豪詩人に愛された静かな川辺であったようです。
紹介
名 称 | 檀渓跡 |
所在地 | 愛知県名古屋市昭和区檀渓通3丁目(山崎川檀渓橋付近) |
URL | ー |
駐車場 | ー |
訪問日 | 2022年4月6日 |
概要
名古屋市昭和区にある川名公園の西側を南北に走る県道30号線沿いに「檀渓通」という地名があります。この檀渓通を縫うように流れる川を「山崎川」というのですが、この川にかかる「檀渓橋」があり、この橋のすぐ脇に「檀渓跡」の石碑が建っています。
檀渓って何?
現地に名古屋市教育委員会が設置した名勝標札が掲げられていたのでこちらを紹介します。
北から流れる山崎川がここ檀渓橋あたりから湾曲して、丘陵の裾に沿って南流するところ、昔、文人墨客が葦を運んだ小仙境であった。「尾張名所図会」に「川名川の下流にして深淵なり。この辺十五軒屋と呼ぶ地より新豊寺山へ至る道にて土橋を架し樋を伏せて幽邃いふばかりなし。」とある。
これを読んでもいまいちよくわからなかったのですが、どうやら標札が設置されている辺りから南側は丘陵を縫うように流れていたようで、この川が流れる場所が文人たちに愛された風光明媚な場所だったという事だと思われます。

尾張名所図会には挿絵込みで記述があり、「川名川の下流にして深淵なり。この辺十五軒屋と呼ぶ地より新豊寺山へ至る道にて土橋を架し樋を伏せて幽邃いふばかりなし。」とあります。土橋とは、木で作られた橋の上に土を被せた橋の事を指すわけですが、樋を伏せてとは図会の挿絵を見てなにやら灌漑用水の様なもののようです。
グーグルマップの航空写真を見てても治水工事だけでなく都市開発が進んでしまっている為、往時の雰囲気はさっぱり分からないので、明治時代に造られた地図と比較しながら見てみましょう。
上記は現在の檀渓周辺の航空写真。周囲はものの見事に区画整理によって宅地化&都市化となっていますね。まったく物静かな場所だったことが想像できないくらい開発されていますね。

こちらは明治時代に作成された地図になります。まだ周囲は全く開発が行われておらず、山崎川の流れも丘陵にそって曲がりくねって流れているのが見て分かるかと思います。(流れは青色の線でわかりやすくしました。)川に沿って木々が生い茂っていたはずで、開発が行われる前まではひっそりとした場所だったのかなと思われます。
訪問記
前回紹介した「須佐之男命神社/紹介記事」から住宅地の中を西に向かってバイクを走らせていきます。途中何やら西洋チックな建物があり、何だろうと思っていたら南山大学でその名が知られている南山学園の中東部や高等部の建物でした。中々おしゃれな学校やねーと思いながら、更にバイクを西に走らせていくと、山崎川に向かって下り坂が続いていきます。下り坂を降り切った場所にあるのが檀渓橋になります。

川の両岸さらには川底がコンクリートで覆われているまさに都市側河川の護岸工事が施された山崎川の川辺に名古屋教育委員会が設置した標札がなにやらここに史跡があった事を示しています。

檀渓橋の近くには「檀渓之勝蹟」と彫られた何やら傷んだ石柱が建てられています。こちらの石柱も以前紹介した「五社宮/紹介記事」の社号標と同じく太平洋戦争による空襲によって折れてしまったが、平成になって修復され、再びこの地に建てられたそうです。

周辺は宅地開発が行われて明治時代以前の静かな川辺という訳にはいきませんが、それでも川は周辺のオアシスとなってこの辺りに住んでいる人たちの清涼剤になっているのは変わらないのではないでしょうか。
所在地を地図で確認
名 称 | 檀渓跡 |
所在地 | 愛知県名古屋市昭和区檀渓通3丁目(山崎川檀渓橋付近) |
最寄駅 | 鉄道:名古屋市営地下鉄・鶴舞線「川名駅」徒歩8分 バス:名古屋市営バス・栄20系統「檀渓通三丁目バス停」徒歩3分 |