寺院情報
寺院名:正祷山 長存寺
鎮座地:愛知県蒲郡市上本町四番地五号
本 尊:十界曼荼羅
宗 派:法華宗陣門流
創 建:文安二年(1445年)
H P:-
御朱印:-
沿革・御由緒
境内に乘圓坊(寛永十四年十二月創立)智積坊(慶長十五年三月創立)の二坊あり。寺領三石この寺は往昔天台宗だと伝わる。鵜殿氏の墓あり。
宝飯郡誌より
文安二年、越後国三条市の本成寺三世である日存により天台宗の寺院であった実相坊を法華宗に改宗しています。その後、下ノ郷城主である鵜殿長存の帰依を受け、伽藍を整備、長存が死去後、法号「長存院日長」に因んで正祷山長存寺と改めたと言います。
上ノ郷城主であった鵜殿氏の菩提寺が上ノ郷城北西に位置する場所にあった"久古山妙了寺"でした。松平元康により上ノ郷城が攻め落とされ、妙了寺も荒廃してしまいます。その後、延宝六年(1678年)に長存寺乗園坊の住職慈眼院日儀によって正行院と改称し再興しています。
長存寺は西郡四大寺の一つに上げられています。
やはり松平氏に属していた武将の菩提寺の名前が挙げられていますね。
一族も然りですが、菩提寺となっている寺院も、桶狭間の合戦後、松平氏に与するか、今川氏に与するかの選択でその後の運命が大きく変わっているという事でしょうね。
参拝記
蒲郡私立図書館から北に100mほど進むと、長存寺の参道が見えてきます。参道入口自体は50mほど表通りから入った場所に存在しています。
寺号標と参道
山号と寺社名が彫られている寺号標になります。
山号が表示されてなくて、調べても解らないケースが多々あるので、こんな感じで彫られていると参拝記を書く際に非常に助かります。
参道の両脇に植えられている黒松なんですが、蒲郡の名木50選に選ばれています。
非常に目を奪われる参道ですね。
これからも末永く参拝者の目を癒してほしいですね。
山門
四柱門の山門になります。白い壁とのコントラストで非常に引き締まった感じがします。
屋根には鯱が一対据えられていますね。
塔頭
山門を潜ると、参道の両脇に塔頭が二ケ寺あります。
塔頭を有する寺院は、歴史・規模などから名刹と言われる事が多いと思います。
向かって右手にあるのが乘圓院。その昔は乘圓坊と称していました。
由緒でも出てきた、上ノ郷鵜殿氏の菩提寺である正行院を復興したのがこの乘圓院の住職になります。
向かって左手にある智積院になります。
この智積院の境内には、稲荷大権現と客人権現が鎮座しています。
この客人権現には、なにやらこの地に伝わる民話があるそうなのですが・・・。
大国堂
参道を進んでいくと、右手に大国堂が鎮座しています。
中は、大黒様が鎮座しているのかしら?
手水舎・水盤
瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。
貫がかなり上の方にあるので、耐震性に不安を残す造りになっていますね。
あと、水盤の大きさに対し手水舎が大きく、井戸も含めてみても少々バランスが・・・。
手水社の大貫部分にはご覧の様に弁天様?を象った化粧瓦が設けられています。
これは細かい造形ですね。
本殿
入母屋造瓦葺平入の本堂になります。
近年修繕工事が行われた様で、新旧の木材の色のコントラストが目を引きます。
日蓮像
なかなかの大きさの日蓮上人の石像になります。
下ノ郷鵜殿氏墓碑
長存寺の墓地の一画に下ノ郷鵜殿氏の墓碑があります。
中央の五輪塔が鵜殿長存の墓になります。
長存の墓の右手の供養碑は、昭和四十八年に鵜殿氏の子孫の方が建立された先祖の供養碑になります。裏側に鵜殿氏の歴史が彫られています。
参拝を終えて
鵜殿氏は熱心は法華宗の門徒だったそうで、立派な伽藍を持った長存寺を整備していったんだとおもいます。現在では塔頭を擁していて、当時を反映を現代に伝えている気がします。