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雨宝山如意寺(愛知県知多市佐布里町) 知多四国霊場七十六番札所

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新企画「愛知県下新十名所」

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寺院情報

寺院名 雨宝山如意寺
所在地 愛知県知多市佐布里町地蔵脇十三番地一
御本尊 地蔵菩薩
宗 派 真言宗豊山派
創 建 元暦元年(1184年)
札 所 知多四国霊場 七十六番札所
御朱印 ○(七十三番札所「正法院」にて授与)
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参拝日:2018年11月21日

知多四国霊場札所一覧

沿革・由緒

佐布里村字地蔵脇に在り。境内三百九十二坪、真言宗、中島郡長野村萬徳寺末たり。創建年月詳ならず。往古後鳥羽天皇の勅願所にして初め天台宗なりして應永年中憲譽法印再興の後今の宗となす。累年の兵火に由り諸堂宇多く焼失して唯た地蔵堂一宇を存するのみなりしを後暫漸く密院を爲すに至れり。一山八坊あり法性坊、松本坊、法蔵坊、成就坊、泉蔵坊、実相坊、密厳坊、浄蓮坊と曰く今存するもの密厳・浄蓮の二坊宇のみ。古鰐口あり銘に曰く明応七年五月十日檀那平朝臣宗宣と其他寺宝数多あり。

明治二十六年発刊「愛知県知多郡誌」より

元々、知多四国霊場七十六番札所は、一山八坊の「実相坊」が選定されていたそうですが、明治初めに廃寺となった為、如意寺に札所本尊の弘法大師像を奉安し七十六番札所となります。その後、明治二十年には、当時知多市で最古の建物であり室町時代に建立されたという本堂に対し、その由緒をもって内務省より勅額と保存金を下賜されていたのですが、昭和六十三年(1988年)に火災により焼失してしまいました。今の本堂は平成六年に再建されたものだそうです。

如意寺の本尊は、運慶作とも言われる地蔵菩薩で、「雨乞いの本尊」いわれ、雨乞いの霊験あらたかだという。ここの山号 “雨宝山(うほうざん)” も、この本尊の霊験から名付けたとも言われています。

知多四国霊場を行く

佐布里五カ寺の納経も四カ寺目になります。今回納経する寺院は「如意寺」です。明治以前から伝えられている寺号は「雨宝山如意寺正法院」となり、既に紹介している知多四国霊場七十三番札所「正法院」と並びその寺名を現代につないでいる寺院となります。

一山形式の寺院だったと言われており、一山八坊の規模を誇ったと由緒で紹介した明治期に発刊された「愛知県知多郡誌」にも記載されています。「如意寺が一山にあたり、本堂の役割をし、本坊は第73番正法院が担っている」と紹介している所もあるのですが、如意寺と正法院が別々の寺院だったとは思い難く、院号を持つ寺院だったのではと想像しています。ほかの寺院でも「○○山〇〇院〇〇寺」となっている所もあるので、可能性は高いと思っています。

如意寺は無住の寺院の様で、正法院が管理をしている様です。その辺からも如意寺と正法院の関係性が見えてきそうですね。

参拝記

佐布里五カ寺が立ち並ぶ一番奥にあるのが今回紹介する「雨宝山如意寺」になります。一山の一番奥に建っていると、何となく本山かな?という気がしてしまいます。街道に面する場所から一番奥に本山があって、その手前側に塔頭が並んでいるというのが塔頭を有する巨刹に対する自分のイメージなんですよね。

密厳寺の山門前から如意寺を望みます。
室町時代からの建物である地蔵堂が如意寺の本堂になっていたようです。現在では平成六年に再建されていますが、山門の位置関係からほぼ同じ場所に建っているんだと思います。

山門

朱塗りの四脚門の山門になります。こちらの山門は昭和六十三年の火災の際、焼けずに残ったんだとおもいます。その山門の脇には

「第七十六番札所」と彫られた自然石を利用した札所案内石柱が据えられています。
七十五番の誕生堂でも見かけましたが、自然石を利用した札所案内石柱は他ではあまり見かけない様式だと思います。

手水舎・水盤

木道銅葺二本柱タイプの手水舎になります。
水盤とバランスの取れた手水舎の様に感じます。こちらの手水舎は本堂の火災の際焼けた・・・もしくは老朽化によって本堂の再建の際同時に作られた感じがします。

本堂

入母屋造瓦葺妻入りの向拝と濡れ縁が設けられた本堂になります。建物の大きさ的に、本堂というよりまさに地蔵堂といった称した方がしっくりくる感じがしますね。

中央に本尊の地蔵菩薩、向かって右側に弘法大師、左側に興教大師が奉安されています。

興教大師
嘉保二年六月十七日(1095年7月21日) - 康治二年十二月十二日(1144年1月18日)
平安時代後期の真言宗の僧であり、当時の高野山の荒廃を憂いて高野山を再興を考えるが、旧勢力の抵抗を受け高野山を下野して根来寺を建立。新義真言宗始祖。

真言宗の中興の祖とも言われている興教大師は、空海以外では唯一の仏教哲学「密厳浄土」思想を打ち立てた僧として高く評価されている人物になります。

ちなみに、佐布里五カ寺は真言宗豊山派なのですが、豊山派は新義真言宗の一宗派になります。

十王堂

十王堂になります。
こちらの御堂の建築様式何といえばいいのでしょうかね・・・・。御堂の屋根は寄棟造瓦葺平入なんですが、向拝に当たる部分が切妻屋根の・・・こういった造りをなんと総称したらいいのかがわからないのですが、切妻造瓦葺妻入りな屋根を持つ向拝が設けられています。御堂の屋根と向拝の屋根の一部がくっついているので向拝と言っているのですが、分かれていたらこれまた何と呼んでいいのか・・・。

御朱印

参拝を終えて

なぜかピントが合わずピンボケな写真となってしまいましたが、見る限りでは本堂の再建時に同時に作られたと思われる袖壁の設けられた四脚門の山門が設けれていました。

今後、こちらを表側に変えてくのでしょうかね。

山門前には、寺号標が据えられていて、側面には由緒が彫られていました。

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所在地を地図で確認

寺院名 雨宝山如意寺
所在地 愛知県知多市佐布里町地蔵脇十三番地
最寄駅 知多乗合バス「佐布里保育園前バス停」徒歩3分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

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少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

次の目的地は?

如意寺を後にして、佐布里五カ寺最後の納経先となる知多四国霊場七十七番札所「雨宝山 浄蓮寺」を目指します。浄蓮寺は佐布里五カ寺の中で一番県道側にある寺院になります。

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