岡崎市西本郷町に鎮座する「和志取神社/紹介記事」を参拝し、同じ社名であり延喜式内社「和志取神社」の論社でもある安城市柿崎町に鎮座する「和志取神社」を参拝します。史料などからどうもこちらの柿崎町の和志取神社は江戸時代の頃から式内社であると主張してきた神社のようです。
神社紹介
神社名 | 和志取神社 |
鎮座地 | 愛知県安城市柿崎町和志取三十五番地 |
御祭神 | 天日鷲命、伊弉册命 |
旧社格 | 村社 |
創 建 | 不詳 |
神名帳 | 延喜式:碧海郡六座和志取神社(論社) 三河国:正五位下 鷲取天神 坐 碧海郡 |
境内社 | 不明境内社二社 |
例祭日 | 十月十五日 |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2020年8月5日
御由緒
岡崎市西本郷町に鎮座する「和志取神社/紹介記事」と共に延喜式内社「和志取神社」の論社のひとつとなっている安城市柿崎町の「和志取神社」になります。
「愛知県神社名鑑」では創建時期など詳細は不詳となっていますが、境内に設置されている由緒書きによると、継体天皇即位元年に建立されたとあります。実は、この建立時期は西本郷の和志取神社の社伝に伝えられる建立時期と同じだったりします。
そして、
永禄3年兵火に遭い焼失。爾後天正3年まで仮殿遷座にままなりしが、同年織田信長長篠城に向かう途次当社に詣で、みづから金作りの太刀を捧げ戦勝を祈願し、その折り奉行に命じて社殿を再建せしめたり。
即ち武門武将の尊崇厚く国司国守藩主領主の崇敬推して知るべし。
明治15年10月村社に列し、明治40年10月神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
即ち氏子58戸の産神にして旧矢作町の崇敬神社たり。
昭和3年伊弉諾命を合祀、昭和27年宗教法人となり、氏子崇敬者の誠心により社殿境内も整備され今日に至る。
と書かれています。
永禄三年(1560年)に兵火で消失とあります。永禄三年は桶狭間の合戦が起こった年になります。ここ柿崎の地は松平家・今川家の勢力圏だったと思うので、この辺りで戦いが起こったという事は、桶狭間の戦いの後、撤退する今川軍と追撃する織田軍との戦いが起こったのか、又は今川家から独立を計った徳川家康と三河に進撃する織田軍が激突したのか。しかし、天正三年(1575年)に長篠に向かう織田信長が戦勝を祈願し、その後社殿を再建したという事から、織田信長自身は何かこの神社に思う事があったのかもしれませんね。
江戸時代には和志取神社ではなく「白山神社」と称していた時期があったようですが、何時ごろか再び和志取神社と改称した様で、更に「延喜式内社和志取神社」と称するようになっていったようです。
これには、色々な江戸時代までに書かれた資料に柿崎の地に鎮座する和志取神社が延喜式内社または三河国神名帳に記載される鷲取天神であると書かれている事が根拠であるようです。
三河国神名帳 | 正五位鷲取天神 祭神気入彦命、この地に於いて逆臣を捕ふるの故に気志取と号す。 渡会近経が神名帳領書に依る。 |
和名抄 | 三河国碧海郡鷲取郷 |
官社考私考 | 和志取神社 志貴荘鷲塚村天神歟域云本郷村云々 |
大日本史 | 和志取神社国内帳作正五位下鷲取天神 今在柿崎村社傍有称和志取地云々 |
特選神名帳 | 和志取神社柿崎町なる神社にワシトリの字五カ所あり。 |
三河国官社考集説 | 和志取神社 政方云海道宇頭村柿崎村に字和志取と云ふ所あり云々。 村上忠順云柿崎村なる和志取神社まことに式社なりべし。 |
神祇志料 | 柿崎村字和志取あり(宝暦四年田畑名寄帳重原藩取調書) |
柿崎町に鎮座する和志取神社と延喜式内社を結びつけることができそうな内容が書かれている資料になるようです。こういった資料に基づいて境内前に「延喜式内社碧海郡六座和志取神社」という社号標を作成してくなど、式内社である事を疑いもしていなかったのではないでしょうか。
そんな中、明治七年、延喜式内社和志取神社として比定したのは西本郷町に鎮座する長谷部神社とし、社名を和志取神社と改称すると共に、柿崎町の和志取神社は社名を変更するようにという通達があったといいます。我が神社が式内社だと思っていたのに、まさか式内社ではないから社名を変更しろと言われてしまう訳ですから、住民たちの驚きや憤りはどんな感じだったんでしょうか・・・。すぐに反論を愛知県に上告した所から、当然社名を変えろという命令は受け入れる訳にはいかなかったのでしょう。
結局は、上告が受け入れられ、社名の変更は行わなくてもよくなりましたが、延喜式内社は未定となり、両社とも式内社を称する事は禁止されたまま、終戦を迎え、国による神社管理(国家神道)の時代は終焉を迎えます。現在の神社本庁の体制では延喜式内社を比定する事はまずありえないので、このまま式内社和志取神社の論社となっていくのでしょう。
創建は明らかでない。延喜式内社三河国二十六座の和志取神社と刻む旧石標あり。社地の附近にワシドリと称す耕地などあり。「三河国官社考集説」に村上忠準「北柿崎村に宇和志取と伝うまことの式社なるべし。」と。「神祇志料」に柿崎村字和志取あり(宝暦四年田畑名寄帳重原藩取調書)明治七年、西本郷村鎮座「長谷部神社」より和志取神社なりと上申あり、両社の上申により教部省は明治八年二月、未定の神社と達しあり。止む。昭和三年三月二日、字和志取一番無格社熊野神社を本社に合祀した。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より
歴史探訪
岡崎市西本郷町に鎮座する「和志取神社」を参拝し、同じ延喜式内社の論社となっている安城市柿崎町の「和志取神社」を参拝する事にしました。
ここ柿崎町の和志取神社の御祭神は「天日鷲命(あめのひわしのかみ)」になります。日本書紀に登場する神で、阿波国を開拓し、穀麻を植えて紡績の業を創始した阿波の忌部氏の祖神とされています。鷲取天神は神仏分離令により「気入彦命」とされているのですが、柿崎の和志取神社では、鷲取天神と天日鷲命・・・「鷲」の字繋がりで天日鷲命を勧請したのでしょうか・・。
話は変わりますが、実は郡違いの為、延喜式内社の論社とはなっていないのですが、加茂郡御立村(現:豊田市御立町)に御祭神に境内設置の由緒書では「五十狭城入彦命」、神社名鑑では「木入彦命」を祀る「鷲取神社」が鎮座しています。柿崎の和志取神社から北東に直線距離で約11kも離れている場所に社名も由緒も似たような神社が鎮座している事になります。
この3つのワシトリ神社をこれだけの範囲で建立する大和朝廷側の勢力が存在したのではないでしょうか。
参拝記
国道1号線「宇頭町交差点」を北に進みます。少し走ると「柿崎町交差点」が現れるので、その交差点を右折し、県道230号線を進みます。交差点から80mくらい進んだ十字交差点を左折し、住宅地を抜ける市道を北に進んでいくと、正面に今回参拝する「和志取神社」が見えてきます。
参道入口
国道1号線の「宇頭町交差点」から北に進んだ先にある「柿崎町交差点」の手前に、和志取神社の参道入口に立っていたと思われる社号標があります。
「延喜式■社二十六座内和志取神社」と彫られています。元々■には「内」が掘られていて延喜式内社となっていたはずです。
以前、これとまったく同じ処置された社号標をもつ神社を紹介しています。
安城市高木町の鎮守社「日長神社」も和志取神社と同じく、延喜式内社「日長神社」であるとし、延喜式内社を加えた社号標を据えています。
延喜式内社としての日長神社は、愛知県岡崎市中島町に鎮座する「日長神社」が比定されているといいます。中島町は岡崎市に合併する前は碧海郡に属しているのですが、矢作川を挟んで東西に分かれ、結構距離が離れている神社が互いに式内社であると主張している事から、奈良時代から平安時代に栄えていた神社の神名帳となる「延喜式神名帳」に載っている神社を比定するのは非常に難しい事なんだなと実感する所ですね。
社号標が境内の外側に据えられている様に見える和志取神社の境内入口になります。
元々は、ストリートビューを使って紹介している幟立石が建っている辺りから鳥居までは和志取神社の参道なんだと思うのですが、現在では一般道として共用化?されている様です。
社号標
「村社式内和志取神社」と彫られた社号標になります。明治三十五年に建立された社号標になります。式内未定社であり式内社と表現しないように沙汰があったはずなんですが、20年近く経過してしまうと、そんな沙汰も風化してしまうのでしょうね。
鳥居
扁額のない明神鳥居の一の鳥居になります。鳥居周辺は車や自転車などに乗って鳥居を潜る事が出来ないようになっていますね。鳥居前に設けられている車止めは、車が鳥居に衝突するのを防止する為ですかね。
一の鳥居と比べると小ぶりとなっている明神鳥居による二の鳥居になります。
手水舎・水盤
木造銅葺四本柱タイプの手水舎になります。比較的小ぶりな手水舎な感じですね。
祓戸
石造りの基壇の上に瑞垣が設けられた祓戸をその右には、同じように基壇に瑞垣の内側がに遥拝所と彫られた石碑と、その横に神社の由緒が彫られた石碑が据えられています。この遥拝所はどこの神社の遥拝する為に設けられたのかな。
狛犬
昭和四年生まれの狛犬一対になります。かなり鳩胸な狛犬です。
社殿
入母屋造瓦葺平入の拝殿になります。四隅には倒壊防止の鉄製の支え柱が設けられています。本殿は一体化されていない独立した流造の本殿が鎮座しています。
境内社
社殿向かって右隣りに、鳥居がある境内社が中に二社鎮座地ている鞘堂(覆殿)が鎮座しています。境内社の詳細は色々調べたのですが不詳です。
地図で鎮座地を確認
神社名 | 和志取神社 |
鎮座地 | 愛知県安城市柿崎町和志取三十五番地 |
最寄駅 | あんくるバス5号東部戦「柿崎バス停」徒歩7分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。