歴史紀行

令和三年(2021年)の年初めということで、今年は大久保氏所縁の場所を巡ってきました!

2021年1月23日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

 2019年は「知立三弘法/紹介記事」、2020年は「三河三弘法/紹介記事」と2年連続でほぼ同じ場所にある霊場を巡った年初めとなっていましたが、昨年2月ごろから日本国内でも蔓延し始めた新型コロナウィルス(COVIT-19)ですが、昨年末の感染第三波到来によって2021年年始から再び緊急事態宣言が発令されて、その後に愛知県も追加されてしまいました。不要不急の外出はするなというお達しですので、やはり参拝者が集まりそうな霊場の札所となっている寺院などは避け、もっといえば人と接する事がないであろう場所を年初めの巡礼としたいなと色々考えていました。
 そんな中、サイトの記事の見直しの中、犬頭(犬神)伝説のページを手直していた時に、大久保氏所縁の場所を巡ってみようと"ひらめいた?"ので、これを年始の巡礼にしようと思った訳です。

 スタート地点を「ドクターレザーおかざき」として、息子を保育園に送っていった後にスタートして、大体10kmちょっとの行程となります。リミットの3時半までに戻る事ができるでしょうか・・。本当はこの行程にさらに「犬尾神社」を足したかったんですが、少し距離が長くなりすぎるなという事で今回は外しています。あ!、今回はいつものバイクではなく徒歩で巡ります。

2021年年始め、寺社史蹟巡り
ドクターレザーおかざき・・・春日神社・・・勝髪寺・・・妙国寺・・・糟目犬頭神社・・・比蘇天神社・・・上和田城跡・・・大日堂・・・八百富社/坂崎陣屋跡・・・青塚古墳/経塚古墳・・・神明社・・・ドクターレザーおかざき

 まずは、大久保氏の三河時代の拠点だった上和田に向かっていこうと思います。今は廃止されてしまいましたが、名鉄バス福岡線に使われていたバス専用道に設けられていた「西若松バス停」跡をみながら先に進み、岡崎市若松町の鎮守社「春日神社」で今回の道中の交通安全祈願をして行きたいと思います。

春日神社

都市計画道路

この春日神社の境内をかなり削る感じで都市計画道路の建設が徐々に進行しています。ドミー若松などが入っているレスパ前のT字交差点から大規模区画整理が行われている西之切交差点を接続する計画の様で、徐々に立ち退きが行われていて既に数件は更地になっていますね。レスパのT字交差点のところにあった御殿場ハムでゆうめいな「米久」の配送センターが更地になっている事に気付いている方も多いのでは。

 この突き当りとなっている道路がぐぐっと延伸して藤田学園病院やルビットパークが完成した区画整理地区方面に接続します。この先、JR線をオーバーパスするのか、アンダーパスするのかがよくわかりませんが、たぶん、バス専用道がそうだったようにJR線をアンダーパスする方が可能性が高いかな?。

 春日神社の境内前は参拝者駐車場となっているのですが、元々から都市計画道路を避ける様に境内造営工事が行われた感じがしますね。ただ、古くからの都市計画道路あるあるなのか分かりませんが、いざ着工しようとすると道路建設に対する国からの補助金の規格が変更されていて、歩道の幅が足りないという事で拡幅の為に境界杭の打ち直しが行われたりします。ここ春日神社もかなり境内地に入り込んでしまうという話を聞いた事があります。さらに参拝者駐車場などが無くなってしまう訳ですから、代替地の確保も課題になる感じがします。

 「春日神社」の参拝を終え、そのまま西に向かい、県道43号線の西之切交差点に出ます。ここの交差点に都市計画道路が繋がる訳ですね。辻にはローソンがあるので、こちらで道中の飲み物を購入していこうと思います。
 ローソンを出て、県道43号線をそのまま北上していきます。大体500m程進むと、左前方に大きな寺院の本堂がみえてえきます。この本堂が真宗大谷派の寂光山/和田山勝髪寺になります。当サイトでちょこちょこと登場する、浄土真宗本願寺派(東西分裂前の旧本願寺派になります。)の三河三ヶ寺に名を連ねる寺院です。三河一向一揆の中心寺院の一つでしたが、一向一揆が鎮圧されると国外追放処分となり、その後許されるまで信濃に逃れていたそうです。
 この勝髪寺の境内前にも交差点があったのですが、これまた区画整理事業の一つとして道路が付け替えされて勝髪寺角にあった信号機は少し南にずれています。変則交差点だったので、移動して普通の十字路の交差点になったので事故は減るかと思います。

勝髪寺

 勝髪寺の境内は「白鳩保育園」が設置されています。この保育園が設置されている勝髪寺の境内北側には山門となる薬医門が設置されています。こちらが本来は表側なのかな?この薬医門側には勝髪寺の塔頭だったのかな?と思われる寺院が二ヶ寺あります。その内の一つ「徳円寺」では一月の定例法要が行われていました。もう一つは旧岡崎市史によると太子堂のようです。

 勝髪寺の参拝を終えると、次は、主たる目的地の一つとなる宇津氏(大久保氏)の菩提寺となる「本寿山妙国寺」を目指して北上していきます。そして、フィール柱店の裏側という説明があっているのかわかりませんが、碧海郡と額田郡の境界線となっている占部川に架かる「岡宮橋」を渡ると妙国寺までもう少しです。

 妙国寺の赤い山門の先に本堂があったはずなのですが、近代的な本堂に建て替えられていました。紹介記事内でも述べているのですが、神社を建て替える場合、極力今までの造りを崩さない様式で再建されますが、寺院の場合、外観に拘らない現代的な建物に建て替えされる所も非常に多いなというのが実感です。こう思うと仏教のが建築様式に寛容的なのでしょうか。

本寿山妙国寺

所在地:愛知県岡崎市宮地町寺北十九番地
・GoogleMap(こちら

 「妙国寺」の参拝を終え、大久保氏の遠祖とされる「宇都宮泰藤」が伝説では新田義貞の首を埋めたという「糟目犬頭神社」に向かいます。元は犬頭大明神と呼ばれ神仏習合の神社だった様で、資料を見つけた訳ではないですが、妙国寺が糟目犬頭神社の別当寺だった様な気がします。
 妙国寺からは中部電力の変電所が途中にあり、ここを抜けるとすぐに糟目犬頭神社の参道が見えてきます。元々はもっと長い参道が設けられていたそうですが、都市開発の中でかなり参道が削られてしまっているようです。

糟目犬頭神社

鎮座地:愛知県岡崎市宮地町馬場三十一番地
GoogleMAP(こちら

 糟目犬頭神社は犬頭(犬神)伝説が伝えられています。「鷹狩の途中突かれて昼寝をしてしまった宇都宮泰藤の傍らには白犬がよりそっていました。大蛇から主を守るため、昼寝をしていた主を起こそうと叫ぶと、うるさい!と白犬の首を切り落としてしまいます。切り落とされた白犬の首は大蛇の首に噛みつくように飛び、主の危機を救い、宇都宮泰藤はこの犬の首を犬頭神として糟目犬頭神社に祀った。」という伝説なんですが、実は、宇都宮泰藤が糟目犬頭神社の境内に密かに埋葬した新田義貞の首塚を守るために意図的に流した伝説であると言われています。

 糟目犬頭神社の参拝を終え、北に進んでいきます。この辺りは少し前まで田園が広がっていた記憶があるのですが、急激な宅地化が進み、風景が一変していますね。上和田城跡とされる上和田公民館に向かっているのですが、途中に延喜式内社の論社である「比蘇天神社」が鎮座していたので、こちらに立ち寄り参拝していく事にします。
 こちら比蘇天神社の境内に以前は「上和田城址」の石碑があったという情報があったのですが、自分が境内を見た限り見当たらなかったのですが、今はもうないのでしょうか。

比蘇天神社

鎮座地:愛知県岡崎市宮地町北浦四十二番地
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 比蘇天神社から北東進むと、県道48号岡刈線に面する場所に「上和田公民館」があります。その敷地の一角に大久保氏発祥の地の石碑が据えられています。丁度この公民館辺りを中心として大久保氏の居城だった上和田城があったといいます。残念ながら全く遺構は残っていませんが・・・。

上和田城跡

所在地:愛知県岡崎市上和田町南屋敷
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 そうそう、先ほど渡河した占部川なんですが元々は乙川の名残な事をご存知でしょうか?元々乙川は現在の岡崎城の南側あたりから大きく南に蛇行して六名を通り現在の占部川と同じように広田川に流れ込んでいたそうです。現在の占部川よりもっと河川幅が広かったのかもしれませんね。十四世紀というので1300年代に六名堤が築かれて現在の乙川の流れに付け替えが行われて、明大寺から六名にかけて急激に発展を遂げたとも言われています。
 宇都宮泰藤が上和田の地にやってきたのが丁度六名堤が築かれる頃になるかと思います。それまでの上和田は乙川だったこともあり流量も多く、川の周囲は湿地帯となり葦などが生い茂る場所だったのではないでしょうか。それが乙川が付け替えられて急激に流量が減ると、そういった湿地帯を干拓して田園に変える事ができ宇都宮氏(宇津氏、大久保氏)は力を蓄える事ができたと想像することができますね。

 上和田地区で分っている限りの大久保氏所縁の場所を巡ったので、次はかなり離れた幸田町坂崎に向かっていこうと思うのですが、その前に、以前から気になっていた法性寺とも呼ばれる「大日堂」を参拝していこうと思います。

 元々は法性寺六坊と称されるほどの巨刹だったそうです。松平広忠が深く帰依していたそうで、塔頭である定光坊の永玖が先達となり鳳来寺の薬師如来に男子出生を祈願し、そこで誕生したのが徳川家康であるとされ、法性寺六坊は岡崎城の鬼門守護として甲山の地に移されています。
 現在の法性寺は、村人の願いで残された大日堂と、岡崎空襲の前日に疎開?していた仁王像が当時の面影を残しているようです。

法性寺(大日堂)

 法性寺町の由来となった「法性寺」ってどんな寺院なんだろうと漠然と思っていたのですが、今回参拝出来て現在からは想像できない巨刹だったんだと知る事ができたのも大きな収穫です。さて、ここから一気に歩いて、幸田町坂崎に向かっていきます。自分の足が持つのでしょうか・・。

 法性寺から幸田町坂崎に向かうルートは色々あるかと思います。それこそ十人十色かな。自分の場合田園などを歩くと進んだ気が全くしない為、住宅地など変化のある場所を好んで歩いていく傾向があります。その為、結構細い路地なんかも歩いていくので、中々紹介しにくい為、皆さん好きな道を進んでみて下さい。

 三河物語の著者で知られている「大久保彦左衛門忠教」が知行地の陣屋として築いたのが坂崎陣屋」になります。明治維新まで大久保氏の陣屋で、明治維新後は役場や小学校が設けられましたが、その後この地に坂崎陣屋の守護神として祀られていた八百富社が陣屋跡に遷座して現在に続いています。

八百富社/坂崎陣屋

鎮座地:愛知県額田郡幸田町大字坂崎字御屋敷十番地
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 八百富社から南を望むと古墳があるので、こちらを見ていこうと思います。
 近い古墳は経塚古墳といい、元々八百富社の社が墳丘上に鎮座していたといいます。そして少し離れたところにある古墳が青塚古墳といい、幸田町で唯一の前方後円墳になるそうです。

青塚古墳/経塚古墳

所在地:愛知県額田郡幸田町大字坂崎字弁天
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 古墳を見て回ったので、ドクターレザーおかざき方面に帰っていこうかと思ったのですが、そういえば、大久保氏所縁の場所ではないのですが、家康の家臣だった天野康景の居城だった坂崎城跡が近かった事を思い出しそちらに立ち寄って帰る事にします。

 現在、坂崎城址は神明社の境内地となっていて、城を思い起こすようなものはあまりありません。裏手側に土塁跡だとか、周囲の用水が堀跡なんじゃないかとか紹介しているサイトもありますが、正直どうなんでしょうかね。

神明社/坂崎城

鎮座地:愛知県額田郡幸田町大字坂崎字平蔵脇九十五番地
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 神明社に今回の企画の無事完走のお礼の参拝をして、ドクターレザーおかざきに戻ります。万歩計を見ると14,000歩を超えています。いや~歩きました。

 コロナ禍の緊急事態宣言下ですので、極力人と接しない様にと思っていたのですが、途中何人かとすれ違ったくらいでそれぞれの場所を見て回っている時には誰とも会わなかったので、接触を極力避けて巡るという企画は成功だったんじゃないでしょうか。ステイホームも必要ですが、こうやって太陽の下を歩くっていうのも大切ですので、皆様も人との接触を避ける事ができるウォーキングコースなどを作るのも気分転換になっていいのかもしれませんね。

そうそう、2023年の大河ドラマで再び「徳川家康」が取り上げられるそうで、当サイトでも2023年にむけて家康に所縁のある場所を紹介していけたらと思っています。行きたい所はたくさんありますが、コロナ禍が治まってくれないと中々巡れないこのジレンマが嫌ですね。

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