(旧)三河新四国八十八ヶ所 三河新四国八十八ヶ所 豊田市

身掛山 観音院(豊田市越戸町) 三河新四国霊場 十三番,十四番札所

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

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寺院情報

寺院名 身掛山 観音院
所在地 豊田市越戸町松葉四十一番札所
御本尊 聖観世音菩薩
宗 派 真言宗醍醐派
創 建 寛文五年(1665年)
札 所 三河新四国霊場 十三番、十四番札所
(旧)三河新四国霊場 七十三番札所
御朱印
H P

参拝日:2019年5月15日

身掛山 観音院寺院紹介ホームページ


http://daigo.ne.jp/temple_new/?jiseki_id=100244&page=1

沿革・由緒

寛喜年間(1230年頃)、聖宝・理源大師が開基された霊場「猿投山」山麓の丘陵に大日如来を安置する大日寺という一伽藍が建立されました。その際、聖観世音菩薩をお祀りする観音堂が草庵されたといいます。その後、江戸時代の寛文五年(1665年)、三州・挙母の里に疫病が流行った折に、悪疫平癒を祈願するため、現在の地にくだんの観音像が将来されました。以来、遠近の盛んな信仰を集めましたが、これが当山の起こりであると伝えられています。
当山の本尊は、このような縁起のある聖観世音菩薩の木彫立像であり、昭和五十四年に開眼された聖観世音菩薩の石製立像とともに、「越戸の観音様」と親しまれて来ました。毎年二月には初観音大法要が営まれています。また、平成三年には厄除け修行大師像が開眼、同十二年には境内に大師堂が建立されました。例年五月には弘法大師の縁日がありますが、当山は「弘法さん」を慕う参詣客を集めて来ました。そのほか境内には、地元運送業者の同業組合「大正組」によって奉納された石製の馬頭観音や、矢作川の水運荷役の安全と繁盛を見守ってきた金比羅大権現、そして修験道の開祖である役行者・神変大菩薩など、古くから地元の信仰にゆかりある諸神仏が安置されています。

真言宗醍醐派ホームページ内「観音院」由緒より

三河新四国霊場を行く

三河新四国霊場十九番、二十番札所「水月山 雲龍寺」を後に、国道153号線沿いに建っている十三番、十四番札所「身掛山 観音院」を参拝していきます。※名古屋鉄道三河線「越戸駅」から平戸橋手前の間は国道153号線のバイパス区間との併用運用になっています。また、東海環状自動車道「豊田勘八IC」から矢作川を渡河して東名高速道路「豊田IC」に繋がっていく北豊田バイパスが現在工事中(2019年5月現在)の為、完成後は更に道路番号が変更される可能性があります。

・駐車場は境内裏手にとても広く確保されているので、安心して参拝することができます。

三河新四国霊場札所一覧


参拝記

ストリートビューでは国道420号と出ていますが、観音院前の道路は国道153号善、国道420号線が共用されています。国道を矢作川を渡河する平戸橋方面に向かっていくと左手に境内全体が築地壁に囲まれている寺院が見えてきます。その先に三河新四国札所看板がでていて、とても分かりやすい場所にあるかなと思います。

境内入口

観音院全体は近年造営工事が行われた様で、庫裏を含めた建物全体が新しい香りがしています。
この造営工事の際、山門にあたる石柱門が設けられていますが、寺院でよく見かける伽藍配置とは一線を画した感じになっています。通常だと街道に面するように山門が設けられるはずなのですが、造営工事の際に、大型観光バスも駐車できるようにするためなのか、山門の位置が通常とは異なり境内にかなり入り込んだ場所に設けられています。

山門

山号と寺号が彫られ、さらに仁王が彫られた石柱門になります。
前述していますが、この山門の位置は境内にかなり入り込んだ場所にあり、山門前には大型観光バスが止める事ができるスペースになっています。

水盤

水盤も作り直されており、花を模した形になっている様です。それでも給水口は水を司る神である龍なんですね。

本堂

入母屋造銅葺妻入りの向拝の設けられた本堂になります。本堂周囲には高覧のある濡れ縁が設けられていますが、この辺りの真言宗の本堂では濡れ縁がある本堂は少数派な感じです。

こちらの本堂が、三河新四国霊場十四番札所になっていて、本尊である聖観世音菩薩の向かって右側に弘法大師像が奉安されています。

十四番札所

弘法大師像と修行大師像が奉安されています。須弥壇の脇には三河新四国十四番札所と掲げられいますね。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

本堂の前には、仏足石が置かれていました。側面には「天上天下唯我独尊」と言った時の姿を模した像も彫られています。

大師堂

本堂の向かって右側には大師堂があります。
大師堂の前には記念宝塔が設けられていて、大師堂の中から紐が結ばれています。

納経しようかとおもったら、どうやら本堂から渡り廊下を使って大師堂の中にはいれるようで、そちらで納経することに。

十三番札所

大師堂の中に移動してきました。
ここまで間近で大師像を拝見できることはまずないので、じっくりと拝見させていただきました。

そして、この大師堂の中には、崇敬者の方々が奉納した弘法大師像が多数安置されています。今でも弘法大師像を奉納することができる様です。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

役行者・神変大菩薩像

修験道の開基ともいわれている役行者像になります。仏教の宗派に関係なく奉安されているイメージがありますが、特に真言宗の寺院では奉安されているというイメージを受けます。

馬頭観音像

観音堂に安置されている馬頭観音の石仏です。馬頭観音と言えば東部に馬の顔がある事で知られていますが、ここの馬頭観音像には馬の頭と牛?の頭の二つが彫られています。・・・そうなると馬頭観音ではなくなっていまうのか?・・・

金比羅大権現

鎮守社の金比羅社になります。
金比羅山といえば、海上交通の安全を祈願するために全国に勧請されていたりしますが、これだけ内陸にはいった観音院に金毘羅山が勧請されたのかな?って思っていたのですが、その昔この付近まで船が矢作川を遡上して長野県などに運ぶ荷物を運んでいたそうです。この付近で陸揚げして飯田街道で合流していたんだとか。その船の交通安全を祈願するためにここに金毘羅山が勧請されたんだと思います。

御朱印

参拝を終えて

観音院本堂前には、狛犬が一対据えられていました。神社で見かける狛犬の様に向かい合うように据えられる訳でではなく。正面を向いていますね。どうしても狛犬=神社というイメージが強い為、寺院で狛犬を見かけると、なんでお寺に狛犬?と思われる方も見えるかもしれませんが、江戸時代までは神仏習合だったのもあり普通に寺院に狛犬がいたそうです。まあ、そもそも狛犬の文化は仏教と共に中国から伝えられた物だそうで、寺院に狛犬がいても不思議でははずなんですけどねえ・・・。明治時代の神仏分離策によって寺院から神道色を排除したときに狛犬も排除されてしまったのが影響しているんでしょうねえ。

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やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。
やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。

所在地を地図で確認

寺院名 身掛山 観音院
所在地 豊田市越戸町松葉四十一番地
最寄駅 名古屋鉄道三河線「越戸駅」徒歩15分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

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少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

次の目的地は?

三河新四国霊場十三番、十四番札所「身掛山 観音院」を後に、国道153号線を豊田市街方面に進み、十一番、十二番札所「瑠璃光山 薬師寺」に向かいます。

 

-(旧)三河新四国八十八ヶ所, 三河新四国八十八ヶ所, 豊田市