神社紹介
神社名 | 八幡社 |
鎮座地 | 愛知県安城市野寺町宝殿六十八番地 |
御祭神 | 譽田別尊、保食神、加具土命 |
旧社格 | 無格社 |
創 建 | 明治十二年か? |
神名帳 | ー |
境内社 | ー |
例祭日 | 十月十三日 |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2020年5月25日
御由緒
愛知県神社庁が発刊している「愛知県神社名鑑」には創建明かならず、ただ、地名から宝暦四年以前から鎮座しているとありますが、昭和十八年発刊の「碧海郡桜井村史」には、「明治十二年九月十三日、雲龍山本證寺を開基した慶円(教円)上人が奉祀していたという「八幡社」を分祀して野寺の産土神とした。」とあります。
そして、大正四年に野寺の集落にあった無格社秋葉社と無格社稲荷社を本社に合祀する神社統合を行った上で、大正六年に今までの境内地と現在の境内地を交換した形で遷座したといいます。
野寺地区はすぐ隣の寺領に鎮座する「素戔嗚神社/紹介記事」を産土神としていたようです。しかし、おらが村にも何とやらではないのでしょうが、明治に入り、神道は「国家の宗祀」とされるようになると、野寺の集落にも神社を建立する機運が高まったのでしょう。それまで雲龍山本證寺の鎮守社として祀られていた「八幡社」から勧請する形で野寺に八幡社を建立したようですね。
創建は明らかではないが、字地名から宝暦四年(1754年)以前の鎮座なり。明治制度改め際明細書脱漏のため明治二十二年四月、据置公許となる。大正四年四月五日、字野寺六番無格社秋葉社と字野寺八十二番無格社稲荷神社を本社に合祀する。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より
歴史探訪
「雲龍山本證寺/紹介記事」の寺内町又は門前町として発展してきた現在の安城市野寺町ですが、本證寺の記事の中で一向一揆後雲本證寺は二十年ほど国外追放となり織田領となっていた加茂郡に移っていたと紹介しました。当然、野寺周辺も中心となる本證寺を失う事で活気が失われたと思うのですが、許され加茂郡から野寺に本證寺が戻ってくると再び門前町として活気を取り戻していったのかなと思います。
あまりにも雲龍山本證寺の存在が大きかったのか、鎮守社となる神社が野寺に江戸時代まで存在していなかったとは不思議な感じがしますね。
桜井町の色々な史跡を巡っていく中、一覧みたいな記事を書こうかなと思って勝手に「桜井町誌」を作成してみました。「綾姫伝説」についてもまとめていく予定ですので、是非ご覧ください。
参拝記
本證寺の西側の田んぼの中に鎮座する「八幡社」になります。本證寺の本堂裏手から西を望むと田圃の中に鎮守の森が見えるので、農道を進んでいくと八幡社にたどり着くことができます。ストリートビューでみてわかる様に農道に面した神社で駐車場が無い為、本證寺から歩いて向かうのがいいのかもしれません。
雲龍山本證寺の裏手から見た八幡社の境内の遠景になります。
令和二年五月には田んぼには麦が植えられていて、そろそろ麦刈りが出来そうなくらい黄金色に穂が実っていました。そんな麦畑の向う側に鎮守の森があります。
境内入口
境内全体は周囲より一段高くなっています。石垣が設けられた分地上げされています。そして境内全体に瑞垣が設けられ、石段で上がった先に一の鳥居と社号標が据えられています。
手水舎
木造銅葺二本柱タイプの手水舎の亜種型と呼んでもいいだろう様式になります。日本の柱に前後二対の支え柱が設けられいてる手水舎はこれまでも紹介していましたが、ここ八幡社の手水舎は前後+外側に合計3本の支え柱が設けあれています。
絶対に倒壊させないぞという気合を感じる事ができますね。
二の鳥居
本殿まえには明神鳥居の二の鳥居が据えられています。
狛犬
昭和五十四年生まれの狛犬一対になります。まさに現代型狛犬のスタイルですね。
社殿
切妻造瓦葺平入の拝殿になります。拝殿の四隅にそれぞれ二本ずつの支え柱が設けられています。ここでも倒壊させないぞという気合が・・・。
地図で鎮座地を確認
神社名 | 八幡社 |
鎮座地 | 愛知県安城市野寺町宝殿六十八番地 |
最寄駅 | あんくるバス2号桜井線「野寺本證寺前バス停」徒歩7分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。