稲荷社(西尾市長縄町)

神社紹介

神社名稲荷社
鎮座地西尾市長縄町鍵島九番地
御祭神宇迦之御魂神
旧社格無格社
創 建不詳
神名帳
境内社秋葉社(常夜燈)
例祭日十月二十六日
御朱印
H P

参拝日:2018年2月21日

記事更新:2020年2月21日

幡豆郡神社誌作成プロジェクト

矢作川神社巡り紀行

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御由緒

 西尾市長縄町には戦国時代まで「長縄城/紹介記事」があったといいます。城主は「長縄大河内氏」。西条吉良氏に仕え、「寺津城/紹介記事」主であった「大河内氏」の分家筋にあたります。何時頃長縄城が築城されかは不明なのですが、今回参拝する稲荷社は元々長縄城の鎮守社として勧請された神社であると伝えられています。
 幡豆郡福地村誌によると、

 古来清昭神社として存在したるものなり。其後明治三年四月山城国より稲荷社を勧請して現今に至る。境内九十坪、創立慶安年中、例祭十月十八日、末社一、御鍬社

愛知県幡豆郡福地村誌より

と書かれています。

清昭神社がどういった物なのかはGoogle先生で調べても全くヒットしなかったのでよくわからないのですが、想像するに神社として祀られているが祭神が何なのかよくわかっていない神社の事なのではないかと。神仏習合時代から神仏分離の時代へと急激に舵を切った明治政府によって、それまで仏像を御神体としていた神社では仏像を御神体と使えなくなり変更する必要でた出てきたりしたそうです。仏像を御神体としているわけですから、仏様の名前は解っても、神様の名前が分からない・・・。そんな神社の事じゃないのかなと思うのですが。ただ、情報がまったくないので、知っている方が見えたら教えてください。

 さらに、愛知県神社庁発刊の愛知県神社名鑑を見てみると、

 社伝に大河内小見守の城内の鎮守の神として創建されたという。明治五年十月、据置公許となる。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

なかなかあっさりとした由緒になっています。明治五年には明治政府より神社として認められていますね。ただ、長縄地区の氏子数が少ない為、無格社としての神社承認という形になっています。明治三年に稲荷社を勧請していなかったら、もしかしたら神社として認められず廃社となっていた可能性も無きにしも非ずな所が明治時代の社格制度だったります。

歴史探訪

 ここ西尾市長縄町に鎮座する「稲荷社」から新たな企画がスタートします。その名も「歴史探訪-歴史の繋がりを求めて-」になります。(次の目的地を決めるのに楽かなと思って始めたのが正直な所ですが・・・。)
 参拝、訪問した先の由緒や歴史を調べると様々な「キーワード」が登場します。そのキーワードのどれを選ぶかによって大きく物語が変わっていく(はず)企画になります。

 愛知県神社名鑑での由緒のなかででている「大河内小見」について少し見ていく事にしたいと思います。この「大河内小見」について愛知県幡豆郡福地村誌にその記述も載っていましたので紹介していきたいと思います。

大河内小見

寺津大河内の同族なり。累代長縄に居住す。基高に至り、吉良義昭に仕える。通称は善左衛門。出雲守という。基高又小見兵道の別名あり。永禄四年九月、藤波畷の戦いに於いて、本多広孝等と戦い、富永伴五郎忠元等と共に戦死す。享年四十六。法応寺に葬る。兵道塚是なり。又曰く、小見は基高には非ず、其の子大河内善兵衛正綱なりと。

幡豆郡福地村誌より

 「大河内小見」=大河内基高であると福地村誌では書かれています。そして基高は永禄四年(1561年)に起きた「藤波畷の戦い/紹介記事」において戦死したとなっていますが、大河内基高は慶長十七年(1613年)まで生きていたいう説もあります。この場合享年九十八才。基高の息子である正綱は吉良家滅亡後はしばらくして徳川家康に仕え、最後は紀州徳川藩の家老となっている武将です。

 この「大河内小見」という名前は、長縄大河内氏が関わっている場所の由緒などを調べていると、ほぼ登場してくる名前だったりします。最初は長縄大河内氏のだれか個人の名前なのかと考えていたのですが、ちょこちょこと調べていく内に、長縄大河内氏の歴代当主が付けていたものなんじゃないのかと思うようになってきました。こうやって考えると、今まで疑問に思っていたことがすっと理解できるような気がするんです。

何言ってんだこいつ?とこの記事を読んだだけでは思ってしまうと思いますが、是非「長縄大河内氏」が関わっているその他の場所の記事を読んでみてください。

長縄城址/紹介記事
松平清康公仮葬地碑/紹介記事
兵道塚・徳玄塚/紹介記事

参拝記

 西尾市熱池町の「八幡社/紹介記事」から田畑を挟んで西側にある集落のあたりが長縄町で、その集落の中に鎮座する神社が今回参拝する「稲荷社」になります。参拝した時はこういった集落によくありがちな神社だなと別に何とも思っていなかったのですが、記事を書こうと色々調べていく内に由緒でも述べたように「長縄城」の境内に祀られていた神社だという事を知りました。

 別に城郭に祀られていた鎮守社は珍しいものではないのですが、稲荷社から100mほど離れた場所に「松平清康公仮葬地」という石碑を見かけ、更にその由緒を調べていく内に、何か急激に意識してしまう様になった神社になります。

境内入口

南入りの境内に南向きの社殿になります。
境内と地続きで公民館が建っているので、実際の境内より広く感じます。

社号標

稲荷社には社号標は見当たりませんでした。

鳥居

昭和五十年建立の明神鳥居になります。

手水舎・水盤

隣地との境界ギリギリに置かれている水盤になります。

狛狐

平成三年生まれの狐一対。
狛犬もそうですが、新しくなればなるほど、前足を何かに乗せている確率が高くなっていく感じがします。あまりしっかり見てなかったのですが、この稲荷社の狐も何かに足を載せています。

社殿

入母屋造、瓦葺、平入、高覧のある廻縁の設けられた拝殿になります。
非常にコンパクトな拝殿なんですが、天井高が高く取れれているせいか、そこまで小さくは見えませんね。

資料では流造の本殿が鎮座しているそうなのですが、近年造営工事が行われているので、この本殿が鎮座している部分が本殿なのか覆殿なのかは外からでは判断できないですね。

境内社

社殿向かって右手に鎮座している秋葉社になります。
平成三年の造営工事で常夜燈も作り直されたようです。

懸魚・鬼瓦

鰭のない蕪懸魚になります。やはり、コンクリート製の懸魚より木製の懸魚のが味わいがあって自分的には好きですね。

参拝を終えて

境内から鳥居越しに南方を望みます。丁度注連縄で隠れてしまっていますが、100mほどの距離に先述した観音寺が鎮座しています。

岡崎からかなり離れた稲荷社を参拝することで松平清康に関係する史跡に出会えるとは思っていませんでした。さらにこの場所が城跡なんていうことも・・・。
これを切っ掛けに、また清康関連や大河内家関連の史蹟などを訪問して紹介していきたいと思います。

清康の埋葬地と言われている場所から稲荷社を望みます。

所在地を地図で確認

神社名稲荷社
鎮座地愛知県西尾市長縄町鍵島九番地
最寄駅名古屋鉄道 西尾線「福地駅」徒歩15分

投稿者プロフィール

成瀬晃ドクターレザーおかざき 店主
愛知県岡崎市で「かばん・くつ✚革の病院ドクターレザーおかざき」を営んでいる成瀬と申します。
史跡、神社などを巡った事をなどをつぶやきつつ、お店のブログではつぶやけないような事も書いていこうかと思っています。
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