名古屋市緑区

豊藤稲荷神社

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

名古屋市緑区作の山町の住宅地の真ん中に鎮座する豊藤稲荷社の紹介です。かなり広い範囲で崇敬を集めている稲荷社の様で、朱塗りの社殿が印象的な神社になります。

神社情報

神社名豊藤稲荷神社
鎮座地名古屋市緑区作の山町一八〇番地(Googlemap
例大祭二月初午の日
創 建嘉永四年(1851年)
御祭神倉稲魂命
猿田彦命
大国主命
事代主命
旧社格無格社
神名帳

境内社

境内社秋葉社
水神社
天宇受売社
藤龍社

文化財

国 宝
国指定
県指定
市指定
町指定
村指定

参拝情報

御朱印不明
URLhttps://toyofujiinarinagoy.wixsite.com/toyofujiinari-nagoya
駐車場
参拝日2022年4月6日

御由緒

 由緒では、幕末ともいえる嘉永四年(1851年)に山城国の伏見稲荷神社より勧請奉斎されたと伝えています。ちなみに、嘉永六年に「黒船来航」として知られているアメリカのペリー提督率いる艦隊が浦賀沖に現れた年になります。この頃から一気に日本国中がなにやらキナ臭くなってきた頃だともいえます。まあ・・・黒船が登場しなければもっと江戸幕府は続いていたでしょうし、歴史の転換点がまじかに迫った年に稲荷社が勧請されたといえます。

 ただ、愛知県神社名鑑では、名古屋城天守閣の守護神として祀られたとか嘉永四年以前からこの地に神社が鎮座していた様な記載があります。この事から、嘉永四年に勧請された稲荷社は元々この地に鎮座していた境内社として奉斎されたが、「特殊な」と書かれている稲荷信仰がどんな信仰なのか全くわかりませんが、とにかく非常に熱心な稲荷信仰に支えらえれて明治期になり崇敬を集めていた稲荷社が主祭神となっていたのかもしれませんね。

名古屋の辰巳(東南)の方、朝日山に鎮座。嘉永四年(1851年)四月十六日、山城国伏見稲荷神社より勧請奉斎され以来特殊な稲荷信仰に支えられ、尾張三河の崇敬者の崇敬あつく。この鎮座地朝日山は桶狭間合戦の折、織田信長が三千余の兵を山麓に集結し、起死回天の大勝をおさめた栄光の地と知られ名古屋城築造後天守閣の守護神として奉斎されたとの伝承もある。明治十八年十二月一日、火災に社殿を焼失、翌十九年四月再建し、大正十四年九月三日、公認許可、昭和六年社殿を改築す。同三十四年伊勢湾台風により社殿損傷倒木多数。同五十二年社殿を造営面目を一新する。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」

御祭神

  • 倉稲魂命
  • 猿田彦命
  • 大国主命
  • 事代主命

 主祭神は稲荷神とも呼ばれる「倉稲魂命」。古事記では「宇迦之御魂神」とも称される穀物・食物の神として知られています。

 ほかの三柱である猿田彦命、大国主命、事代主命は、もしかしたら元々祀られてた神社の御祭神なのかもしれません。

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?

参拝記

 緑区にある新海池の南側の小高い山に鎮座している豊藤稲荷社になります。周囲は区画整理が行われて住宅地となっていて、区画整理された為なのか非常に境内がわかりにくい場所になってしまっていますので、参拝される際は気を付けて運転してください。駐車場はしっかりと用意されており、かなり多くの参拝者が訪れる神社なのかなと感じます。

境内入口

 扁額の成り石造り明神鳥居が据えられている境内入口になります。道路からは駐車場を超えた先に境内入口が用意されています。

 その脇には豊藤稲荷神社と彫られた社号標が据えられています。

手水舎

 コンクリート造銅板葺四本柱タイプの手水舎になります。かなり綺麗な朱色をしていおり、本殿を造営した時に同時に造られたのだと思います。

社殿

 入母屋造銅板葺き平入の切妻破風が設けらている社殿になります。

 全体的な社殿の雰囲気からも御祈祷を主とする神社なのかな?と感じるのですがどうのかな。

境内社

 朱色の鳥居の先に境内社が基壇上に鎮座しています。内二基は鞘堂が設けられていますね。鞘堂に覆われているのは水神社と天宇受売社になり、もう一社は秋葉社になります。

 ちなみに、この鳥居を奉納された方は・・・

 中日ドラゴンズの大島洋平選手でした。

奥之院

 社殿左手奥には奥之院が据えらえており、豊藤大神と彫られた霊磐となにやら人物像が据えられていました。この人物像は、豊藤稲荷社初代宮司「坪井栄蔵」になるようです。この初代とは、江戸時代に稲荷社が勧請創建された時の宮司ということなのかな。

藤龍

 奥の院に向かう場所に非常に印象的な藤の木があります。この藤、御神木となっており、元々自生した藤の様で、枝が長い年月でまるで龍を彷彿とするような枝ぶりとなった事から「龍藤」と名付けられたそうです。

鎮座地を神社で確認

神社名 豊藤稲荷神社
鎮座地 名古屋市緑区作の山町一八〇番地(Googlemap
最寄駅電車:
バス:名古屋市営バス「鹿山バス停」徒歩5分

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

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