ONE POINT
名古屋市北区如意に鎮座する延喜式内社とされる大井神社の紹介です。創建は不詳ですが南北朝時代に塩竈六所明神が合わせて祀られる様になった神社です。
神社情報
神社名 | 大井神社 |
鎮座地 | 愛知県名古屋市北区如意二丁目一(Googlemap) |
例大祭 | 十月十日 |
創 建 | 伝:和銅・養老年間(708-23年) |
御祭神 | 罔象女命 速秋津彦命 速秋津姫命 事勝国勝長狭命 中筒男命 底筒男命 豊玉姫命 猿田彦命 |
旧社格 | 指定村社 |
神名帳 | 延喜式神名帳:尾張国山田郡 大井神社 尾張国神名帳:山田郡従三位 大井天神 |
境内社
境内社 | 猿田彦社・直会社合殿 白山社・厳島社合殿 富士社・天神社合殿 八幡社・津島社合殿 神明社・御嶽社・山神社合殿 |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | ー |
参拝情報
御朱印 | 〇 |
URL | ー |
駐車場 | 〇 |
参拝日 | 2022年3月2日 |
御由緒
西春日井郡誌によると、創建年代は不詳だが、往古は大井天神と称し、延喜式神名帳に山田郡大井神社、尾張国神名帳に従三位大井天神とあるのはこの社であるとする。
主祭神は罔象女命、速秋津彦命、速秋津姫命の三柱とし、明徳四年(1394年)大炊介藤原重行が奥州塩竈六所明神の尊像をおい、尾張国春日井郡如意に居宅を構え長谷川重行と名をかえた。嘉吉二年(1442年)重行の子麻房が社殿を造営し相殿に六所明神を祀った。
石黒大炊介藤原重行とは
大井神社の社頭に据えられている由緒によると、
石黒大炊助藤原重行は後醍醐天皇の皇子宗良親王を貴船城に迎え、建武の中興に功績のあった越中国余呉郷貴船城主石黒越中守藤原重之の子で、勤王の志を継ぎ度々兵を挙げたが、遂に越中国を去り、一時奥州へ移る。後亀山天皇の明徳四年(1393年)に至り、奥州千賀に鎮座される塩竃六所大明神の御分霊を奉斎して、尾張国春日部郡如意郷に来て潜居し大井神社に合祀する。
社頭由緒板より
と記されています。これから推測できるのは、石黒重行は越中国を本拠とした南朝方の武将であるとするが北朝方に攻め込まれ越中から奥州に逃げ落ちたとしています。この地で塩竈六所明神の御分霊を勧請し、その後潜居した尾張国春日井郡如意郷にて奉斎した人物であるようです。
石黒氏は大井神社の社家として祭祀を執り行ってきましたが、慶安元年(1648年)に如意郷の産土神となっています。
社伝に、和銅・養老年間(708-23年)の勧請という。『延喜式神名帳』に春日井郡(山田郡の誤りか?)大井神社とあり、『国内神名帳』に従三位大井天神とある神社なり。明徳二辛未年(1391年)九月、石黒大炊介藤原重行、奥州千賀の塩竈六所大明神の尊像を負い、春日井郡山田庄如意郷の大井天神の合殿に祀る。これより六所明神と称えた。嘉吉二壬戌年(1442)三月八日、石黒右馬頭藤原朝房社殿を再建、慶安元戌子年(1648)正月、社殿修復から村民の奉賛により如意の産土神となる。明治五年、村社に列格し、明治四十二年十月二十六日、供進指定社をうく
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」
御祭神
大井神社の御祭神は、愛知県神社名鑑によると九柱であるとしています。このうち三柱が大井神社の御祭神であり、六柱は塩竈六所明神になります。
大井神社御祭神
- 罔象女命
- 速秋津彦命
- 速秋津姫命
塩竈六所明神
- 事勝国勝長狭命
- 表筒男命
- 中筒男命
- 底筒男命
- 豊玉姫命
- 猿田彦命
塩竈六所明神と聞くと思い出すのは当サイトでも紹介している豊田市松平郷に鎮座し「六所神社」と岡崎市明大寺町に鎮座し「六所神社」になります。両神社ともここ大井神社と同様に塩竈六所宮より勧請した六柱の神を御祭神としてます。ただ、こちらの六所神社の御祭神と大井神社の御祭神では違いがあったりします。
豊田と岡崎の六所神社の塩竈六所明神
松平親氏が勧請したという塩竈六所明神は「塩土老翁命、猿田彦命、衝立船戸命、太田命、興玉命、事勝国勝長狭命」の六柱になります。後年になり岡崎市明大寺町に六所神社の御祭神としてこの六柱のうち三柱(塩土老翁命、太田命、興玉命)を遷座しています。
現在宮城県仙台市に鎮座する塩竈神社の御祭神は「塩土老翁命」であるとしています。しかし、大井神社の塩竈六所明神には「塩土老翁命」の名がみえませんが、塩土老翁命と事勝国勝長狭命を同一視する説もある事から、もしかしたら石黒重行が勧請した当時は塩土老翁命は事勝国勝長狭命と称されていたのかもしれません。
さらに大井神社の六所明神の特徴として、住吉三神とも呼ばれる「表筒男命、中筒男命、底筒男命」と海神である綿津見大神の娘で火遠理命の子「鸕鶿草葺不合尊」の母である「豊玉姫命」という海(水)に所縁のある神が四柱が加えられている点になるかと思います。
長い歴史の中で神社の御祭神については結構変動があったりします。塩竈六所明神についても、南北朝時代に勧請された六柱と室町時代中期に勧請された六柱では違いが生じている事からも御祭神の変動が見て取れます。
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
参拝記
大井神社は名古屋市立北高等学校の南東に位置しており、県道59号「名古屋中環状線」の如意一丁目交差点の辻に鎮座しています。駐車場は社殿裏手側に用意されています。
境内入口
社号標、石灯籠一対、石造神明鳥居など石造物が据えられている境内入口になります。
社号標
旧社格ではなく延喜式内社であることを示す「式内」が合わせて彫られている社号標です。
手水舎
木造瓦葺四本柱タイプの手水舎です。屋根の大きさに対して柱が少し細めかな?
蕃塀
尾張国の神社建築様式の特徴の一つ「蕃塀」が据えられています。あまり正面から撮影していなかったので、蕃塀越しこんなかんじで社殿を望むことができます。
石造支柱付きの蕃塀になります。この蕃塀の構造については特化して紹介してくれているサイトを参照してもらえたらと思いますが、支柱のあるなしの違いはありますが、大体このスタイルの蕃塀が多いような気がします。
蝋燭台
蕃塀を超えて、社殿を再び正面から望みます。これまた尾張国の神社建築様式の特徴の一つかなと思っている「蝋燭台」が参道を挟んで一対据えられています。
最初は違和感しか感じなかった蝋燭台ですが、尾張地方の神社を何社も参拝してくると、逆にあれ?この神社には蝋燭台がないのか?とついつい蝋燭台を探してしまう様になってきました。
社殿
切妻瓦葺妻入りの切妻破風の向拝が設けられた拝殿と渡で繋がれたコンクリート造りの幣殿、本殿による尾張造の社殿になります。
木造部分とコンクリート部分が混在する非常に珍しいハイブリット構造の社殿になります。
本殿部分を囲んでいる瑞垣は木造の塀となっています。
祭文殿の造りを見てると拝殿から繋がる渡がなければ拝殿・幣殿・本殿が一体となった造りの社殿と紹介できしまうような造りになっています。そう考えると尾張造の社殿の特徴は妻入りの拝殿にあることがよくわかるかなと思います。
石造犬張子
拝殿前に初宮参の時に使うという石造犬張子が据えられていました。犬張子を初宮参りで使うようになったのは実は「熱田神宮」が発祥とも言われています。犬は出産が軽く多産であることから「子宝・安産」のお守りとしても用いられている様です。
境内社
鞘堂が設けられ石造の瑞垣に囲まれた境内社になります。五社鎮座しているのですがそのすべてが合殿となっています。
しほがま桜
境内には「しほがま桜」の石碑が設けられた桜が一本植樹されていました。石碑をよく見ると国指定天然記念物と書かれています。Google先生に「しほがま桜」を訪ねてみると、塩竈神社の境内にある桜の事の様で、境内には54本の「塩竈桜」があり内31本が天然記念物に指定されているみたいです。「塩竈桜は八重桜の一種」
鎮座地を神社で確認
神社名 | 大井神社 |
鎮座地 | 愛知県名古屋市北区如意二丁目一 (Googlemap) |
最寄駅 | 電車:城北線「比良駅」徒歩30分 バス:名古屋市営バス「如意一丁目バス停」徒歩2分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。