神社紹介
神社名 | 六所神社 |
鎮座地 | 愛知県岡崎市明大寺町字耳取四十四番地 |
御祭神 | 猿田彦命 塩土老翁 事務国勝長狭命 衝立船戸命 太田神 輿玉神 瀬織津姫命 伊弉册命 天照大御神 天細女命 須佐之男命 豊受大神 応神天皇 菊理比売命 高宮若御子 金山彦命 |
旧社格 | 県社 |
創 建 | 斉明天皇六年(660年) |
神名帳 | ー |
境内社 | |
例祭日 | 十月十四日 |
御朱印 | ○ |
H P | ○(公式HP) |
参拝日:2021年1月13日
御由緒
さすが徳川家康を輩出した岡崎市の神社だなと岡崎市の観光名所の一つに名を連ねている明大寺町に鎮座する「六所神社」になります。
既に当サイトでは紹介済みである岡崎市伊賀町に鎮座する「伊賀八幡宮/紹介記事」と同様に徳川家光の命により造営された朱塗りの社殿が特徴である神社になります。江戸時代までは五万石以上の大名でないと石段を登った先にある楼門を潜る事ができなかったとも言われる神社だったようです。
社伝によれば、斉明天皇の御代(660年)に勅願により奥州塩竈大明神を勧請、創建された神社であるとしています。そしてその後、岡崎を支配した松平家はこの六所神社を産土神として崇敬されたとしています。が、当サイトで既に紹介している豊田市坂上町の六所山に鎮座する「六所神社上宮/紹介記事」の由緒に書いていますが、初代松平親氏が塩竈大明神を松平家の守護神として六所山に勧請、六所神社を創建しています。歴代松平家の惣領からの崇敬を集めていましたが、徳川家康の時代になって、六所山の六所神社の御祭神のうち三柱を明大寺(当時は高宮村)に遷座させたと伝えられれています。
徳川家康が遷座させた三柱は、新たに社殿を造営して六所神社を創建したのか、元々この地に鎮座している六所神社に三柱を合祀させたのかは記されている史料は見当たらないのでよくわからないのですが、御祭神を見ると、塩竈大明神の六柱の祭神がすべてそろっている所を見ると、六所神社に三柱を合祀したと考えたほうがよさげな気します。この辺りは、「城岡崎城主記」、「参河見聞集」などに紹介されています。
その後、数多くの神社を合祀した為、神社名鑑では十六柱の御祭神となっています。
六所神社の境内の北側には現在では名古屋鉄道名古屋本線「東岡崎駅」がありますが、室町時代の松平清康が岡崎を支配下に置いた頃にはその場所に西郷氏時代の岡崎城(明大寺旧城または平岩城とも)がありました。清康はその後現在の岡崎城の場所に城を丸ごと移す形で築城したため、旧岡崎城は廃城となっています。
六所神社の参道の起点が丁度西郷氏時代の岡崎城があった付近になるのですが、六所神社の由緒の通り、西暦660年に創建されていたとすると、もしかしたら岡崎城に隣接するように六所神社の参道入口があった・・・のかもしれませんね。
東岡崎駅から空中回廊?で繋がっている「オトリバーサイドテラス」にある東岡崎駅向けの送迎者用の停車場?に西郷氏時代の岡崎城(案内板には平岩城とあります。)の発掘調査報告と城の概要が記された案内板が設置されていました。めっちゃ目立ちにくい場所にひっそりと設置されているので、知らない方も多いのでは?
平岩城址も現在ではこんな感じに。あっ!二階部分からしかほとんど見る事ができない徳川家康像もここからだと何とか見えますね(後ろ姿ですが・・・)。
六所神社は、明大寺町字耳取四十四番地に鎮座。境内三千四十一坪を有す。当社は徳川家康の産土神にして、徳川氏歴代の崇敬ありし社である。
社記によれば、人皇三十八代斉明天皇の御宇、勅願に依て、奥州塩竈六所大明神を勧請し、桓武天皇の御宇、田村将軍東夷征伐之時、祈願を籠め、其後源氏代々の崇敬あり。又新田義貞矢作合戦の時、願文を納む等の由を載すれど、徳川氏即ち松平氏の産土神としての崇敬は、松平初代親氏より始まれる東加茂郡六社明神に對する信仰の松平氏の勢力発展に伴うて、此地の六所明神に移りしものと見るべきである。彼の有名な賀茂六所神社の奉加帳に「抑当社大明神者、当国鎮守之霊廟郡村加護の明神也。就中松平一党之氏神、先祖崇敬之霊社也」とあり。此奉加帳は大永七年十二月に社殿の回禄せるを再興せんとするものにして最後に百疋道閔、五百疋祐泉とありて道閔は五代(松平)長親、祐泉は六代(松平)信忠にして、東照宮の祖父清康の岡崎城に在る時のものである。
・・・(中略)・・・
慶長七年徳川家康社領六十二石七斗の朱印を附し、同九年八月社殿の造営を行はる。寛永十一年家光将軍上洛の時、岡崎城に於て本社を遥拝せられ、松平伊豆守信綱を名代として社参せしめ百石の社領を寄附し、次いで岡崎城主本多伊勢守忠利を奉行として社殿を改築せらる。寛文二年家綱将軍金千両を寄せて社殿の修復を命じ、元禄元年綱吉将軍、岡崎城主水野右衛門大夫忠春を奉行としてまた修復を行われた。その後も度々修復の事があった。明治五年十月十二日、村社に列格。
明治四十三年七月九日、明大寺町に鎮座し各社と境内社を合祀し、高宮神社と改称する。
・村社天白神社(祭神:瀬織津姫命)字天白前鎮座
・村社朝日神社(祭神:伊弉冉命、天細女命、天照大御神)字下郷中鎮座
・無格社津島社(祭神:須佐之男命)字下郷中鎮座
・無格社事比羅社(祭神:金山彦命)字栗林鎮座
・無格社稲荷社(祭神:豊受姫命)字向山鎮座・八幡社(祭神:応神天皇)境内社
・天白社(祭神:瀬織津姫命)境内社
・白山社(祭神:菊理比売命)境内社
・高宮社(祭神:高宮若獅子)境内社
・先駈社(祭神:不詳)境内社大正九年十月二十二日県社に列格。
大正七年発刊「岡崎市史第七巻」より
対象十一年十月七日、六所神社に改称。
社伝に斉明天皇(660年)の勅願により奥州塩竈六所大明神を勧請したという。慶長七年(1602年)、徳川家康社領六十二石七斗を朱印寄進。同九年八月、社殿を造営する。寛永十一年(1634年)家光の名代松平伊豆守信綱が参拝百石の社領を寄進する。翌十二月八月、岡崎城主本多伊勢守忠利を奉行として社殿を造営(現在建物)。寛文二年(1662年)家綱将軍金千両にて社殿修理。元禄元年(1688年)綱吉将軍社殿を修復する。明治五年十月十二日、村社に列し、同四十三年七月九日、字天白前の天白神社、字下郷中の朝日神社、津島社と字栗林の事比羅社と字同山の稲荷社と境内社の八幡社、天白社、白山社、高宮社、先駈社を本社に合祀し、高宮神社と改称す。大正九年十月二十二日、県社に昇格。同十一年十月七日、六所神社に復旧した。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より
岡崎十二社を巡る
岡崎城下に鎮座する神社を巡る「おかまいり岡崎十二社スタンプラリー」
かつては岡崎城下に鎮座する十二社を巡る霊場として造られたようですが、その後神社の合祀などがあり、今回スタンプラリーを実施する辺り松平家ゆかりの神社を加えるなどして十二社を再編した「(新)岡崎十二社」として生まれ変わっています。
岡崎十二社のスタンプは奇数は赤地に白抜き、偶数は白地に赤文字のスタンプ!
参拝記
東岡崎駅前のオトリバーサイドにあるローソンにて肉まん&ブラックコーヒーで休憩して、六所神社の参道を通って岡崎三十六地蔵札所の「金寶山安心院/紹介記事」を目指したという事をそれこそ安心院の記事の中で書いていますが、安心院での参拝を終えて、六所神社に向かう事になります。
参道入口
東岡崎駅周辺の再開発事業によって、六所神社の参道入口となる一の鳥居が社号標が据えられている上記ストリートビューで写っている場所も、道路の拡張などによって少し境内地が削られていたります。以前はもう少し木々が生い茂っていた記憶があるんですけどね・・・。
2009年7月5日に六所神社を参拝した時の写真です。構造物の配置は変わっていないのですが、周囲の建物が無くなったりしたりしている為かこちらの写真は何となく狭く感じます。
この参道入口には、明治五年から大正十一年までの社名である高宮神社時代の社号標とその後ろには明治五年の神社合祀記念の碑が据えられています。この社号標を見て思い出したのですが、最初参拝した十年以上前には、この高宮神社の社号標を見て、六所神社と合祀された神社なのかな?と思っていましたね。
一の鳥居
朱塗りの両部鳥居の一の鳥居になります。名鉄の踏切を超えると、両側に松が植えられている六所神社の参道がまっすぐ南に向かって伸びています。
この踏切は東岡崎駅のすぐ西側にあるので、すべての列車が減速&加速をしていく場所に位置していて、比較的閉まっている時間が長い気がする踏切ですね。
踏切から駅を望むとこの距離です。(踏切の中で写真は撮影してはダメですよ。)
参道
全く参道の写真を撮影していなかったので、ストリートビューで確認してみて下さい。
二の鳥居
参道を進んでいくと、砂利敷きの参道に切り替わってその先に石造明神鳥居の二の鳥居が据えられています。ここから六所神社の境内になります。
手水舎
木造銅板葺四本柱タイプの手水舎になります。旧官幣社でない神社の手水舎としてはかなり大型ではないかと思います。この手水舎で手水をして振り返ると
楼門
岡崎市民だったら一度は見たであろうこのアングル。
石段を上がった先に、国の重要文化財に指定されている楼門が建っています。実は令和になって大規模修繕工事が行われていて、非常に鮮やかな朱色の社殿が復活しています。
社殿
こちらも国の重要文化財に指定されている社殿になります。拝殿、幣殿、本殿が一体となった権現造の社殿になります。やはり、大規模修繕工事後に参拝しているので、細部まで色鮮やかな装飾を見る事ができます。
日光東照宮、久能山東照宮など、徳川家光が建立した神社の社殿といえば朱塗りに色鮮やかな装飾が施されている社殿といったイメージなんですが、ここ六所神社の社殿もこのイメージのど真ん中といった感じになっています。
岡崎には、こうした色鮮やかな家光時代の社殿が六所神社、伊賀八幡宮、瀧山東照宮と三ヶ所も造営されていて、此のすべてが国の重要文化財に指定されて現在でも気軽に参拝、拝観する事ができるのはある意味贅沢なのかもしれませんね。
切妻破風と唐破風が設けられた向拝部分の屋根の造りの造形はたまりません。
参拝を終えて
紹介記事の順番がかなり入れ替わっているのであれ?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ここ六所神社で岡崎十二社のスタンプラリーを制覇しました!。そもそも一番札所である六所神社を一番最後に廻っている時点で自分らしいなと思います。
地図で鎮座地を確認
神社名 | 六所神社 |
鎮座地 | 愛知県岡崎市明大寺町耳取四十四番地 |
最寄駅 | 名古屋鉄道 名古屋本線「東岡崎駅」徒歩5分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。