国の重要無形民俗文化財に指定されている「三河萬歳」を戦国時代末期から江戸時代にかけて全国的に普及させた「大行日吉法印」の墓石と彼を祀った御堂を紹介してきました。安城市西別所町にある大行日吉法印の墓がある場所から西を望むと、西別所町鎮守社である「神明社」の境内が見えていたので、参拝していく事にします。
神社紹介
神社名 | 神明社 |
鎮座地 | 安城市西別所町中新田十九番地 |
御祭神 | 天照大御神 |
旧社格 | 神饌幣帛料供進指定村社 |
創 建 | 不詳 |
神名帳 | ー |
境内社 | 大山袛社 |
例祭日 | 十月二日 |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2020年8月5日
御由緒
安城市西別所町の鎮守社である「神明社」になります。神社の資料などが残っていない為、創建時期など由緒に関わることが不明となってしまっている様です。
ただ、弘化年中に正三位藤原実睴による扁額が奉納されたとし現在でも残っているそうなのですが、どういった経緯でここ神明社に奉納されたのでしょうか。
創建は明らかではないが、山新田の産土神として古くより鎮座村民の崇敬あつく弘化年中(1844年)正三位藤原実睴扁額を奉納する。明治五年十月十二日、村社に列格し、同四十年十月二十六日、神饌幣帛料供進指定となる。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より
歴史探訪
安城市西別所町は江戸時代までは安城市大岡町に鎮座する「白山神社/紹介記事」の氏子だったと白山神社の由緒でかかれていましたが、明治時代になり「一村一社制度」の氏子制度改革によって「神明社」が西別所町の鎮守社となったようです。
それまでは、集落に鎮座する小さな祠の様な神社だったのかもしれませんね。
参拝記
「大行日吉法印の墓」から西を望むと、まさに鎮守の森という感じの木が茂っている場所が確認できます。この森が今回参拝する「神明社」になります。もし別の場所からこの神明社に向かう場合は、神明社のすぐ隣にある「慈恵幼稚園」を目印に向かうと良いと思います。
境内入口
神明社の境内は南入りの境内となっていて、農道を兼ねている感じの参道からは鳥居越しに社殿を望むことができます。
社号標
大正六年に建立された旧社格「村社」が合わせて彫られた社号標になります。村社の部分はコンクリートで埋められていた様なのですが、徐々に剥がれつつあるようにみえます。
鳥居
貫の部分が角材となっている「靖国鳥居」になります。神明鳥居は使われている部材がすべて丸材で構成されているのが異なる点ですかね。なぜこの様式を靖国鳥居というのかといえば、靖国神社の大鳥居がこの様式で作られ、全国の護国神社でも見る事ができる鳥居の様式であることが由来だと言われています。ただ由来がそうだというだけで、神社を巡っていると神明鳥居、明神鳥居に次いでよく目にする鳥居になるかと思います。
手水舎・水盤
鳥居の脇に据えられている露天となっている水盤になります。
祓戸
基壇の上に瑞垣が設けられている祓戸になります。
狛犬
昭和四年生まれの子乗り玉乗りの狛犬一対になります。
社殿
切妻瓦葺妻入りの拝殿の社殿になります。
地図で鎮座地を確認
神社名 | 神明社 |
鎮座地 | 愛知県安城市西別所町中新田十九番地 |
最寄駅 | あんくるバス5号東部戦「東別所バス停」徒歩4分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。