知多四国霊場の遍路を始めて11日目の旅路となります。今回は、知多市佐布里町(そうり町と読みます。少し前まで"さふり町"と呼んでいたのは内緒で・・。)にある、現在では"佐布里五カ寺"と呼ばれている「後鳥羽天皇の勅願所として創建された雨宝山如意寺正法院を本坊とする一山九坊の寺院への納経から旅路のスタートとなります。
佐布里五カ寺を納経した後は、知多四国霊場七十二番札所「白華山慈雲寺」の門前の参道で見かけた「知多西浦二十一大師」の霊場である知多半島の西浦地区を進んでいき、東海市を北上してく旅路となります。当然、今回の旅路の途中には様々な名所・旧跡、その他霊場の札所などが存在しているのですが、今回の旅路では立ち寄る時間がなかった為、後日"寄り道遍"として紹介していけたらと思います。
知多市北部~東海市を巡る
知多四国霊場七十三番札所「雨宝山 正法院」から八十六番札所「大悲山 観音寺」を巡拝していきます。途中、妙楽寺の近くに鎮座する神明社を参拝の為立ち寄っていますが、それ以外はすべて知多四国霊場の札所を巡っていくコースになっています。
●所要時間 4時間30分
スタート地点は佐布里五カ寺の共同駐車場になります。
行程表
参拝順 | 札所 | 参拝先 | 住 所 |
1 | 73番 | 雨宝山 正法院 | 知多市佐布里 |
2 | 75番 | 雨宝山 誕生堂 | 知多市佐布里 |
3 | 74番 | 雨宝山 密厳寺 | 知多市佐布里 |
4 | 76番 | 雨宝山 如意寺 | 知多市佐布里 |
5 | 77番 | 雨宝山 浄蓮寺 | 知多市佐布里 |
6 | 78番 | 宝泉山 福生寺 | 知多市新知東町 |
7 | 79番 | 白泉山 妙楽寺 | 知多市新知 |
8 | 開山所 | 白泉山 妙楽寺 | 知多市新知 |
9 | - | 神明社 | 知多市新知 |
10 | 80番 | 海鳴山 栖光院 | 知多市八幡 |
11 | 81番 | 巨渕山 龍蔵寺 | 知多市八幡 |
12 | 82番 | 雨尾山 観福寺 | 東海市太田町 |
13 | 83番 | 待暁山 弥勒寺 | 東海市太田町 |
14 | 84番 | 瑞雲山 玄猷寺 | 東海市富貴島町 |
15 | 85番 | 慈悲山 清水寺 | 東海市荒尾町 |
16 | 86番 | 大悲山 観音寺 | 東海市荒尾町 |
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佐布里五カ寺
前述していますが、後鳥羽天皇の勅願所と「雨宝山如意寺正法院」を中心とした一山九坊として創建された古刹となります。時に元暦元年(1184)。明治期まで残っていた正法院とその塔頭であった四カ寺を称して佐布里五カ寺と呼ぶようです。この五カ寺はすべて知多四国霊場の札所として選定されており、結果札所が密集する事に。この辺りは、大井の医王寺を中心とした五カ寺、野間の大御堂寺を中心とした五カ寺と同様の感じと言えばわかって頂けるかと思います。
この五カ寺を地図で確認すると、
正法院が知多四国七十三番札所
密厳寺が知多四国七十四番札所
誕生堂が知多四国七十五番札所
如意寺が知多四国七十六番札所
浄蓮寺が知多四国七十七番札所
となります。かなり密集しているのが地図でもわかって頂けるかと。
実際、現地では五カ寺の共同駐車場に車を停めて徒歩で各寺院を納経して回る形になります。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
五カ寺と言っていますが、七十五番札所の誕生堂は、元々は塔頭"泉蔵坊"だったのですが、明治6年廃仏毀釈の影響を受け、泉蔵坊が無住・無檀家と言う理由により廃寺となってしまった為、正法院の境内の高台にお堂を建て、泉蔵坊に奉安していた大師像を安置し 「誕生堂」 として知多四国霊場七十五番札所を受け継いだそうです。ちなみに、誕生堂の名称は、本四国霊場の七十五番札所の名称が"誕生堂"であった為、その名を頂いて名付けたそうです。
これだけ知多四国霊場の札所が密集していても「知多西浦二十一大師」の札所にはどこも選定されていません。この辺りはどういった経緯で選定されたのでしょうね。
福生寺
佐布里五カ寺の納経を終えて、七十八番札所「宝泉山 福生寺」を目指します。
"知多満作道"との名称がついている道を西に向かっていきます。丁度区画整理地区と未区画整理地区の境になる様な道の様で、左手には田園風景、右手は住宅地には広がる中々見る事のない風景を見ながら進んでいきます。
福生寺へは「イトーヨーカドー知多店」を目印に進んでいくと宜しいかと思います。
福生寺で目に入るのは、「やけん大黒天」ですね。「やけん=焼けない」という事で火伏のご利益が期待できるとか。
こちら福生寺は知多四国霊場の開山である「亮山阿闍梨」が亡くなった寺でもあります。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
白泉山 妙楽寺
知多四国霊場の開山「亮山阿闍梨」が住職と務めていた寺院になります。文化六年(1809年)三月十七日、弘法大師の霊夢をみた亮山阿闍梨は知多四国霊場の開創に向け、翌日には本四国霊場を巡拝する為に四国に旅立ちます。
天保十一年(1840年)に隠居するまでの間、亮山阿闍梨は妙楽寺の住職を続け、隠居後は知多四国霊場七十八番札所「宝泉山 福生寺」に移ったそうです。
こちら妙楽寺は、七十九番札所と共に、知多四国霊場開山者を奉安する三開山所のひとつにもなっています。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
神明社
妙楽寺とは県道を挟んで対面に鎮座する神明社を参拝していきます。Googleマップなどの地図では「古見神明社」と表記されています。
「愛知県神社名鑑」によると創建は明徳三年(1390年)と伝えられ、明暦三年(1657年)に現在の地に遷座されたそうです。祭神は国常立尊(国之常立神)。
神明社は元来は神宮の内宮を総本社とする神社であり主祭神は「天照大御神」を祀っています。しかしここ古見の神明社では、祭神を神世七代最初に登場する「国常立尊」としています。
海鳴山 栖光院
妙楽寺から国道155線の旧道を北上していきます。名鉄常滑線「朝倉駅」を超えると、踏切が現れるので、それを通過し、最初の路地を右折します。(交差点角の電柱に栖光院への案内看板が設置されているのですが、カーブミラーでかなりわかりにくくなっているので注意して下さい。)再び、踏切を通過して右手に見えてくるのが「海鳴山 栖光院」になります。
参拝した時は、客殿の建て替えの工事中で、駐車場に設けられた仮設のプレハブが(仮)納経所になっていました。ちなみに、参拝した平成30年11月21日は丁度客殿の建前が行われた日の様で、次から次へと柱と梁がくみ上げられていました。
山門を潜り、正面にある石段を上った先に栖光院の本尊である聖観世音菩薩像が奉安されている本堂(観音堂)があります。その本堂の右隣に知多四国霊場八十番札所の大師堂があります。本堂と大師堂の周囲には弘法大師の石造が並んでいて、よく見ると本四国霊場の写し大師像の様です。
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巨渕山 龍蔵寺
知多市最後の知多四国霊場の札所となる寺院になります。
龍蔵寺の正面は国道155号線の旧道に面しているのですが、駐車場が非常にわかりにくい場所にあるので注意が必要です。龍蔵寺から少し南にいった「小根交差点」を西に曲がると駐車場があるのですが、交差点から駐車場まで非常に狭く車がすれ違う事ができないので注意して下さい。(小根交差点でよく周囲を見渡すと、龍蔵寺Pと書かれた看板があるのでそれに書かれた矢印の方に曲がって下さい。)
こちら龍蔵寺の境内の中に「秋葉三尺坊威徳大権現」と書かれた秋葉三尺坊が奉安されている社があります。秋葉三尺坊と聞けば東海地方に住んでいると間違いなく静岡県にある"秋葉山"(神仏分離で現在は袋井の可睡斎に「秋葉大権現像」が移されています。)を思い浮かべると思いますが、「秋葉三尺坊威徳大権現」とはまず呼びません。実は、秋葉信仰にはもう一つの本山があり、それが新潟県長岡市(旧栃尾市)にある常安寺境内に鎮座する「秋葉神社」では祀られている秋葉三尺坊を「威徳大権現」と称するそうなのです。
静岡県の秋葉山を「今の根元」と呼び、新潟県の秋葉神社の「古来の根元」とされ「日本二社(総本廟)秋葉大権現」とされています。
もしかしたら、龍蔵寺で祀られている秋葉三尺坊は、新潟県の秋葉神社から勧請されたのかもしれませんね。
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雨尾山 観福寺
龍蔵寺の納経を終えて、そのまま国道155号線を北上していきます。すると、遂に知多市を抜け東海市に入っていきます。そのまましばらく北上を続けると「高横須賀町交差点」が見えてきます。この交差点で、今まで国道155線と共用されていた国道247号線と分かれる事になります。国道247号線は直進、国道155号線は右折して大府方面に進んでいく事になります。次の札所である「雨尾山観福寺」は国道155号線方面にあるので、この交差点を右折して進んでいきます。
名鉄常滑線、河和線を続けてアンダーパスすると、「高横須賀町5丁目交差点」がありますので、この交差点を左折します。左折してすぐに、四国直伝弘法八十六番札所の「祥雲山長源寺」が見えるので、その前の交差点を右折してしばらく進むと、目的地である「雨尾山観福寺」が見えてきます。
こちらの観福寺は、開創が大宝二年(702年)、開山は行基菩薩、更に知多三山に名を連ねた古刹になります。
知多三山とは?
知多四国霊場四十三番札所「大慈山岩屋寺」
知多四国霊場六十一番札所「御嶽山高讃寺」
知多四国霊場八十二番札所「雨尾山観福寺」
が名を連ねている古刹の寺院を集めた"名数"になります。
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本堂の外陣の一角には、なにやら鎧の様な物が展示されています。説明書きを読むと、真田十勇士に出てくる"三好青海入道"と同名の「三好青海入道」が寄進した鎧の様子。
真田十勇士の"三好清海入道"は真田という名が示す通り"反徳川家"な訳ですが、鎧を寄進した「三好青海入道」は池田輝政の家臣であったという事から"親徳川家"という事から、名前は同一でも背景は真逆な感じですね。
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待暁山 弥勒寺
観福寺の納経を終え、次の目的地である弥勒寺を目指します。東海市役所の近くに弥勒寺があるという事で、まずは東海市役所を目標に進んでいきます。
東海市役所の西側を南北に走る街道の「東海市役所前交差点」の南側に弥勒寺への札所案内の看板が設置されているので、看板に沿って路地を入っていきます。
弥勒寺の山門の仁王門となっています。現在では二対の仁王像が安置されていて、新しい仁王像は平成二十年に作られた物になります。もう一対の仁王像は平安時代後期に作られた仁王像であり、東海市の指定文化財となっています。
弥勒寺には他の寺院ではまず見ないと思うのですが"宝篋印塔"を参拝するための八角形の拝殿が設けられています。確かに他の寺院にも"宝篋印塔"は建立されていますが、境内の片隅もしくは本堂の前くらいに置かれているだけで、ここ弥勒寺に訪れるまで"宝篋印塔"に参拝するなんて思ってもみませんでした。
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瑞雲山 玄猷寺
弥勒寺の納経を終え、県道243号線を東に進んでいき、玄猷寺を目指します。「姫島交差点」が出てきたらこの交差点を右折すると、すぐに玄猷寺が見えてきます。
近年造営工事が完了した様子で、非常に真新しい楼門、本堂、庫裏が目に飛び込んできます。特に楼門の一階部分には四天王が据えられており、その姿に目をひかれると思います。
玄猷寺のホームページによると、元々は草庵であったが、暦応ニ年(1339年)に「夢窓疎石」により、後醍醐天皇の菩提のため開山されたとあります。安国寺の建立を幕府に進めていた夢窓疎石が後醍醐天皇の菩提の為となると、どうしても、安国寺利生塔の建立に関係しているのではと思ってしまいますね。
「夢窓疎石」といえば、知多四国霊場七十二番札所「白華山慈雲寺」の開山でもあります。当時、知多半島は一色氏の勢力下にあったと考えられ、室町幕府の意向も伝わりやすい場所だったと思います。
本堂の裏手には「涅槃像」が据えられています。知多四国霊場で唯一の涅槃像になるのかな。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
慈悲山 清水寺
玄猷寺の納経を終えて、清水寺を目指して進んでいきます。自分的には、知多四国霊場の札所の中で一番場所がわかりにくかった札所です。住宅地の中にある寺院というか、住宅地に馴染んでいる寺院の為、少し離れた場所からあのあたりに寺社がありそうという感がまったく効かなかった為、かなり迷った記憶があります。
本尊の聖観世音菩薩は、東海市の指定文化財であり、「火防せの観音様」として信仰されているそうです。元禄時代にこの辺りは大火に見舞われ、二度と大火が起きないようにと観音菩薩を奉安して建立されたのが清水寺のはじまりとされ、それ以降大火に見舞われていないそうです。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
大悲山 観音寺
清水寺の納経を終え、いよいよ本日最後の納経先となる「大悲山観音寺」を目指します。アピタ東海荒尾店の南西側に位置する場所にあるので、比較的わかりやすいかと思います。
創建は文永三年(1266年)。火事にて伽藍が全焼するが、天正十三年(1585年)に再興し、後柏原天皇の勅願寺となる。その後、豊臣秀頼の勅願寺にもなり、豊臣家の庇護を受けています。太平洋戦争際にも空襲で伽藍を焼失しましたが昭和二十七年(1953年)に本堂が再興しています。
この観音寺は「細井平洲」が幼少期に学問を学んだことで有名な寺院になります。江戸時代屈指の名君として知られている「上杉鷹山」の師匠になるのが「細井平洲」です。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
まとめ
大悲山観音寺の納経を終え、今回の知多四国霊場を巡る-11日目-の旅路も終了となります。佐布里五カ寺の駐車場から観音寺まで約17kmほどの旅路でした。
息子の保育園の送り迎えがあるという中々シビアな制限がある中、これだけ多くの札所での納経が出来た事はこのあたりの札所は非常に回りやすかったという事が大きかったのかなと思います。あとは・・・知多四国霊場の納経にここにきて慣れてきたという事かもしれませんね・・。
しかし、改めて考えると、観音寺から岡崎の自宅までGoogleマップで距離を測ると39kmとか出てくるので、いかに現地までの往復の時間がかなりかかることを改めて実感する訳です。
さて、知多四国霊場を巡る-12日目-では残る札所の三箇寺を巡っていきます。そしてさらには、結願後、四国直伝弘法霊場の一番札所「龍蟠山 瑞泉寺」を納経しています。これは一体?