神社情報
神社名:野宮神社
鎮座地:西尾市野々宮町北大割五五番地
御祭神:天照大御神、豊宇気昆売神
旧社格:神饌幣帛料供進指定村社
神明帳:三河国神明帳「従四位下斎宮明神」
創 建:貞観元年(859年)
境内社:秋葉社、岩戸神社、天満宮、天王社、御鍬社
例大祭:十月十四日
御朱印:ー
H P:ー
参拝日:2010年10月24日
参拝日:2017年10月31日
御由緒
社記に、清和天皇、貞観元年(859)大嘗祭悠紀斎田の地に社殿を造営し斎宮明神とした。今も大字を野の宮という。元禄十年(1697)領主土井利忠社殿を再建し改めて伊勢両大神宮より大麻を頂き累代崇敬あつく、寛永三年(1626)五月、西尾城主松平氏三石七斗三升九合の社領を寄進する。社殿の改築は領主の藩費によった。明治五年十月十二日、両社とも村社に列し、同四十三年四月二十日、両社を合併して野宮神社と改め、同四十四年十二月二十七日、神饌幣帛料供進指定をうけた。昭和四年九月五日、郷社に昇格した。尚明治十七年四月二十日、従前字北大割百六十八番より現在地に社地を移す。
愛知県神社庁 発刊
「愛知県神社名鑑」より
参拝記
矢作川右岸、愛知県道41号西尾幸田線の横手交差点を南方に曲がってもらい、一つ目の歩行者信号のある交差点を右折(西方)に向かうと、野々宮の集落の中に鎮座するのが今回紹介する野宮神社になります。ちなみに、野宮神社は"ののみや"と地名と同じ読みをします。
神社前の道路幅が広くなっていますし、神社前の独特な雰囲気ですぐわかると思いますよ。
ストリートビューで神社周辺の雰囲気を感じて下さい。
境内入口
境内は玉垣で囲まれています。一部は公園として開放されていますね。
社号標
旧社格の郷社と彫られた社号標になります。建立年月は調べ忘れました・・・。
この野宮神社にはもう一基社号標があります。
こちらが社格"村社"が彫られた野宮神社の社号標です。
野宮の野の字が・・・これなんて文字なんですかね・・・。同じ様に拝殿に掲げられている扁額にもこの野宮神社が文字が書かれています。
鳥居
昭和五十七年に建立された神明鳥居です。
手水舎・水盤
二本柱タイプのコンクリート造瓦葺の手水舎になります。
主観なんですが、コンクリート造りに塗られる色はなぜにピンク色が多いのですかね
狛犬
野宮神社には狛犬は生息してませんでした。
社殿
改めて社殿を望みます。拝殿というより礼拝所の様な感じの社殿になっていますね。
神明造を模した拝殿になっています。
拝殿にも千木と鰹木が設けられています。
この千木、鰹木を見ると祀られている祭神が男神か女神がおおよそ判る様になります。
(ただし、例外があるので、100%じゃないですよ。)
ここは、後日説明記事をアップするよていです。
神明造の本殿が鎮座しています。
瑞垣がとても低いので、本殿から祭場がよく観察することができますね。普段、流造の本殿を見ることはありますが、神明造の本殿を拝見するのは新鮮な気分です。
野宮神社の扁額になります。・・やっぱり読めませんね。
境内社
社殿向かって左手に鎮座する境内社です。
秋葉社の祠と岩戸神社、天満宮、天王社、御鋤社の相殿になります。
懸魚・鬼瓦
神明造の為、鬼瓦、懸魚が存在しないので、甍覆と鞭掛、千木を見て頂きます。
悠紀斎田記念碑
清和天皇悠紀斎田跡の記念碑。
この野宮神社も清和天皇悠紀斎田推定地に鎮座していると由緒にも書かれていますが、もう一社、西尾市熱池町の八幡社も悠紀斎田の地に鎮座していると書かれています。
両社の距離は1.2km離れているので、両方とも斎田だったのかあ。
そうなるとかなり広い斎田ですね。
征露記念
日露戦争の戦勝記念碑です。
碑の上に載っている砲弾は、当時の榴弾砲ですかね。
参拝を終えて
清和天皇所縁の神社になります。
清和天皇は56代天皇(嘉祥3(850)年-元慶4(881年)年)で平安時代初期の天皇になり、いまから1150年以上前の天皇の即位の時に行われた大嘗祭に使われるお米を作った田が悠紀斎田と言います。もう少し後世になると機内で選ばれるようになったので、愛知県で悠紀斎田を選定された箇所はここ以外に1~2ヶ所しかありません。
そんな時代の香りを感じる神社です。悠紀斎田つながりで、次回は熱池町の八幡社を紹介したいと思います。