神社紹介
神社名 | 天満宮 |
鎮座地 | 愛知県岡崎市鴨田町字北浦五十六番地 |
御祭神 | 菅原道真 |
旧社格 | 神饌幣帛料供進指定村社 |
創 建 | 天暦元年(947年) |
神名帳 | - |
境内社 | 熊野社,金毘羅社,秋葉社,神明社,三島大社,若宮社,八幡宮,津島社 |
例祭日 | 十月第一日曜日 |
御朱印 | - |
H P | - |
参拝日:2019年5月29日
御由緒
社伝に延喜元年(901年)正月、太政大臣「菅原道真」筑紫太宰府へ左遷の際、六人の子あり、諸国に移され、三男大弁従四位「資忠」は三河国乙見圧鴨田村に幽棲の内父君の尊容を慕って、尊像を彫み、朝夕礼拝す。時に譜代の臣、酒部甕彦供奉すと、延長四年(926年)四月、赦免あり、京に遷る。甕彦老体にてこの地に停まり、霊像を守る。天暦元年(947年)十一月、この地にも一社を建て、北野天満宮と称し、産土神として祀る。徳川家より代々社領三石を寄進する。
明治五年十月十二日、村社に列し、同四十年十月二十六日神饌幣帛料供進指定を受けた。大正十一年二月六日境内社の若宮社を八幡社へ、秋葉社と津島社を神明社へ合祀し、熊野社二社を一社に合併する。
「愛知県神社名鑑」より
由緒に出てくる「菅原資忠」は"Wikipedia"を参照すると、菅原道真の曾孫らしく「936年」生で「989年」に死去しており、由緒の内容には疑問符が付きます。菅原道真に連座して都を追われた一族の中で資忠の父親である「菅原雅規」が尾張国に配流されたとされています。想像するに、雅規の配下である「酒部甕彦」がこの地にやってきて、菅原道真像を本尊とする一社を建てたのでは?と想像します。
参拝記
三河新四国霊場二十一番、二十二番札所である「大樹寺」の楼門前を東西に走る市道を東に進むと、今回参拝する天満宮が鎮座しています。境内のすぐ隣には、酒井家菩提寺である「回向院」があります。
境内入口
玉垣と社号標と鳥居などの石造物がかたまって据えられている境内入口になります。かなり南北に延びた境内になっていて、玉垣に囲まれていなかったら参道といっても問題ないような感じになっています。
一の鳥居
扁額が設けられた明神鳥居になります。
真っ直ぐ社殿に向かって参道が伸びていて、二の鳥居の奥に社殿が見えています。
二の鳥居
一の鳥居から真っ直ぐ進むと、二の鳥居である朱塗りされた両部鳥居があります。
狛犬
明治33年生まれの狛犬一対になります。
阿は角が設けられ、吽は宝珠が設けられていますね。今まで見てきた狛犬の中でもかなり特異な姿だと思います。
社号標
旧社格である「村社」が彫られた社号標になります。
途中で社号標が折れてしまったのか、鉄製の枠で補強されています。
手水舎
コンクリート造りの手水舎になります。
境内の雰囲気の中でかなり場違いな感じの様式かなと思います。
社殿
入母屋造瓦葺平入の拝殿になります。本殿は流造になっています。
拝殿の前に蝋燭立てが一対設けられています。蝋燭立てが設けらえた神社は正直少数派ですねえ。
境内社
社殿の向かって左手に境内社が鎮座しています。
ひときわ目を引く朱塗りの社は、熊野社,金毘羅社の相殿となっています。
参拝を終えて
天満宮、天神社ではよく見かける臥牛の石造になります。
参道を挟んで対で据えられている神社もあれば、参道の真ん中に据えられている神社もあったります。ここ天満宮では参道の向かって右側に据えられており、狛犬とはちがって臥牛の据える場所は神社によってまちまちのようですね。
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地図で鎮座地を確認
寺院名 | 天満宮 |
所在地 | 愛知県岡崎市鴨田町字北浦五十六番地 |
最寄駅 | 名鉄バス 「大樹寺バス停」徒歩7分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
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南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。