知多四国八十八ヶ所 知多郡東浦町

光明山安徳寺(東浦町藤江) 知多新四国霊場 十一番札所

2018年11月18日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

光明山 安徳寺

寺院紹介

寺院情報

寺院名光明山安徳寺
所在地愛知県知多郡東浦町大字藤江字西之宮八十二番地(GoogleMap
創 建天文十九年(1550年)
宗 派曹洞宗
御本尊釈迦牟尼仏

霊場

霊 場知多四国霊場 十一番札所
知多百観音  十六番札所
知多坂東観音 七番札所

知多四国霊場

 日本三大新四国霊場の一つに数えられる愛知県の知多半島全域を霊場とする八十八ヶ所の札所を遍路する弘法大師霊場になります。

 当サイトの知多新四国霊場の紹介ページは「こちら」から

こちらを参照
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知多四国霊場

霊場情報 霊場名知多四国霊場開創年文化六年(1809年)札所数番所:88 番外:7 開山所:3 (合計:98) 霊場域名古屋市、豊明市、大府市、東浦町、半田市、阿久比町、武豊町、美浜町、南知多町、常滑 ...

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【参考】知多四国霊場 公式HPは「こちら」から

Topics

令和五年(2023年)は「弘法大師生誕千二百五十年記念」という事で知多四国霊場では令和五年一月一日~令和六年六月三十日までの期間において記念宝印を授与して頂けるようです。

 また、記念の納経帳も併せて発刊されるようです。

 是非、この期間に遍路されてみては如何でしょうか?

文化財

国 宝
国指定
県指定
町指定薬師如来立像

参拝情報

御朱印
URL
駐車場
参拝日2018年5月16日

沿革・由緒

 天文十九年(1550年)の創建と伝えられてる。創建当初は衣浦湾に面した低地の場所に境内地があった為、水害の被害に悩まされていたという。海に面した低地の水害といえば台風の高潮とかかな?と想像できますね。
 そして享保年中に発生した火災によって堂宇が悉く焼失してしまったという。享保八年(1723年)に保山孚敢和尚が境内地を現在の場所に移し堂宇を再建。この保山孚敢和尚を安徳寺一世と知多四国巡りが発刊された時点で十四世を経て現在に至っています。

  • 天文十九年(1550年):開創
  • 享保年中(1716-36年):火災により堂宇を焼失
  • 享保八年(1723年):山寽敢和尚が境内地を移し再建する

天文十九年(1550年)の開創といわれ、当時低地にあったため水害に苦しみ、享保の頃大火にあい焼失したという。安徳寺一世住職となった保山寽敢和尚が享保八年(1723年)、現在地に堂を建立して以来、現住職で十四世になる。
恵心僧都の作として知られる薬師如来は新築なった薬師堂に安置されている。

「知多四国巡り」より

・恵心僧都の作として知られる薬師如来像は東浦町の指定文化財

東浦町ホームページー町指定文化財ー

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?

知多新四国霊場を行く

十番札所である「福聚山観音寺/紹介記事」の参拝を終えて、十一番札所「光明山 安徳寺」に向けて出発します。観音寺を出発してから国道366号線に出るまで、非常に道幅が狭い道路になるので、特に注意が必要です。

国道366号線に出たら南に向かいます。

地図の様に、国道から見ると旧道に沿う形で安徳寺が建っているのですが、自分が巡礼に廻った時、周囲に目印となる看板などが見当たらず、一瞬道に迷ってしまいました。
素直にカーナビを設定すればいいでしょうが、都度設定するのが面倒なので「感」で走ると大変なことになるので注意が必要です。

知多四国霊場を巡るツアーなど

 最寄駅から歩いて巡礼するのが辛い方は、名古屋駅発着のバスツアーがお勧めです。これまた、人気の知多四国霊場という事もあり、多数の旅行会社から知多四国霊場巡礼バスツアーが企画されていたります。こんな中、当サイトではクラブツーリズムの巡礼ツアーをお勧めします。

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※中部東海版を選択して頂き、キーワード検索で"知多四国"で検索すると、知多四国巡礼バスツアーが出てきます。

 実際自分が巡礼している時にこのクラブツーリズムの巡礼ツアーに遭遇しまして、こっそり添乗員として説明されていた先達さんの説明を聞いていた事があります。巡礼自体はせわしないのは否定できませんが、先達さんの札所などの説明が聞けるのは貴重な経験ではないかなと思います。

参拝記

ここ安徳寺も旧道に面している為、寺社前の道路は非常に狭くなっています。
車社会になる以前の道路はこれくらいの幅があれば十分だったんでしょうね。

境内入口

駐車場は、この石柱門をくぐった境内に設けられています。
石柱門の手前には知多新四国霊場十一番札所の石柱が建てられています。

山門は、写真を見て頂ければわかると思いますが、かなり奥まった場所に建っていますね。

山門

四脚門の山門になるのですが、扉が設けられていませんね。
そうそう、山門前に石柱が建っていますよね。

「不許葷酒入山門」

と書かれています。この文言が彫られた石柱は、寺社を巡っていると結構建っています。当たり前に立っていて見落としている方も多いかも知れませんね。

「不許葷酒入山門」とは?

単純に読めば、「葷酒は入山、入門することは許さず」という意味です。
では葷酒とは何ぞや?
酒はまさにお酒です。
葷はねぎ科などの刺激臭のする植物の事を指すようで、ニラ、ネギ、ニンニク、ラッキョウ、ショウガを五葷、または五辛と呼び、仏教の世界では食べることが禁止されたそうです。さらに日本や中国では鳥獣魚肉をも指すそうで、まさに精進料理しかとることができないという意味になりますね。

手水舎・水盤

山門を潜った先に、水盤が置かれているのですが、写真を撮り忘れてしまいました・・・。

本堂

入母屋造瓦葺平入向拝の設けられた本堂になります。

本堂の扉が空いていたので、中に入らせて頂き参拝。

本堂の欄間に掲げられた山号の扁額です。
光の山と最初読んでしまったのは・・・自分だけではないと思いたい・・・。

弘法堂

この安徳寺の弘法堂は本堂の右側側に寄り添う様な形で設けられています。
なんか、造り的にはおまけの様な感じがしてしまいますねえ・・・。

ちょっと引いた感じで見てもらうと、自分が感じた事が解ってもらえるかなと。

この写真で、しっかりと弘法大師像の手の部分に紐がくくられているのがよくわかっていただけると思います。この紐を握ることで大師様の力を感じ取ってください。

・・

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・・

弘法堂の脇には、元々なんらかの建物が建っていたであろう基石などが残っています。
何がここに建っていたんでしょうか。

御朱印

参拝を終えて

明治時代の頃まで、安徳寺周辺の海沿いは塩田が広がっていたそうです。
度々、台風などが来ると水害が発生していた事など、何となく西尾市の一色、吉良の沿岸を思い浮かべてしまいますね。

この安徳寺の境内に学校があったようですね。

あと、由緒書きの創建年と看板の創建年が異なっています・・・さて、どちらが正しいのかな?。

次の目的地は?

十一番札所「光明山 安徳寺」の参拝を終え、東浦町を出て半田市にある十二番札所「徳応山 福住寺」を目指します。

所在地を地図で確認

寺院名光明山安徳寺
所在地愛知県知多郡東浦町大字藤江字西之宮八十二番地(GoogleMap
最寄駅電車:JR東海・武豊線「東浦駅」徒歩10分
バス:東浦町コミュニティバス「渡船場口バス停」徒歩3分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

 元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

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