寺院紹介
寺院概要
寺院名 | 樫木山観音寺 |
所在地 | 知多郡阿久比町大字矢高三ノ山高 十五番地 |
御由緒
創 建 | 不明 |
宗 派 | 浄土宗 |
御本尊 | 十一面観世音菩薩 |
樫木山観音寺は浄土宗に属する。本尊の「十一面観音」は、出戸時代中期の元禄二年(1689年)の作で、五十年に一度しか開帳されない秘仏になっている。
「阿久比町教育委員会案内板」より
寺伝によれば、開基は善随大和尚であるが、創建は不詳である。
観音寺の前身は、この寺の西方にあった樫木田村の「観音堂」で、高岡村の現在地に移されたといわれている。山号の由来もまたここによるものであり、この寺の西方1kmほどの所に、現在でも「樫木田」という小字名が残っている。
移された年代は定かではないが、安政四年(1857年)の文書に「高岡の観音堂新四国十七番」とあり、新四国霊場が開かれた文政七年(1824年)以前であることがわかる。
なお、本堂軒下の元禄二年(1689年)と刻まれている鰐口も手掛かりの一つである。
昭和二十三年(1948年)「観音堂」から「観音寺」にかわった。
霊 場
文化財
国 宝 | |
国指定 | |
県指定 | |
市指定 町指定 村指定 |
文化財
御朱印 | 〇 |
URL | ー |
駐車場 | 〇 |
参拝日 | 2018年5月16日 |
参拝記
知多四国霊場を行く
十六番札所「鳳凰山平泉寺」の参拝を終え、十七番札所「樫木山 観音寺」を目指します。
平泉寺の駐車場から西に向かい、そのまま県道264号線を横切り、250mほど進むと、路地の交差点に案内看板と知多四国霊場、知多西国霊場の幟がはためいています。
左側に見える細い路地に入っていきます。
路地を進むと、上り坂になります。登り終わると突き当りにぶつかるので、右折すると「観音寺」の参拝者用の駐車場が見えていると思います。
観音寺からは少々離れた場所にある駐車場ですので、観音寺迄150mほど歩くと、山門側ではなく、境内の裏側から観音寺に入ることができます。
参拝記
観音寺のすぐ隣には、天満社が鎮座しています。
天満社の歴史のが古く、天暦二年(948年)の創建なんだとか。
その後、観音寺が天満社の境内に移設されたのでは?と想像しています。
境内入口
観音寺の正面側の入口になります。かなり長い石段がまっすぐ伸びていますね。
その階段の手前には、
四国霊場の札所も記載された寺号標になります。
この反対側には、
村社天満宮の社号標が据えられています。
ここ辺りを見ていても、神仏習合として一体管理されていた所を無理やり入口を分けた感がしてきますね。
石段の手前には、子育地蔵が安置されている辻堂が置かれています。
手水舎・水盤
退凡水と彫られた水盤とお地蔵様。
手水舎は、瓦葺四本柱タイプになります。・・・全体の写真を撮り忘れました。
本堂
元々が「観音堂」であった事もあり、本堂というには少々小ぶりな御堂になっています。
中心には御本尊である「十一面観世音菩薩像」が安置されており、その右側に弘法大師像が安置されています。
本堂中央で本尊に手を合わせ、向かって左手に移動し、弘法大師に手を合わせます。
真っ直ぐ宝塔に向かって紐が伸びています。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
御朱印
参拝を終えて
十番札所の「観音寺」もそうだったのですが、ここ「観音寺」も知多四国霊場を開創の為に、まだ寺院ではなく「観音堂」と呼ばれていたところにも弘法大師像を安置し設けられた札所なのかな?と。そして、知多四国霊場が広まっていくにつれ観音堂にも参拝者が多く訪れ、寺格を得たのかなと・・・。
それまでは、天満社の中に安置された「観音堂」という感じじゃなかったのかな~と・・。実際、観音堂と天満社の境内入口の様子は見て頂きましたが、観音寺の境内と天満社の境内も繋がっています。
手水社脇から石段があり、奥には天満社の社殿が見えています。
ぜひ、観音寺に参拝の際は、隣の天満社にも参拝してほしいですね。
所在地を地図で確認
寺院名 | 樫木山観音寺 |
所在地 | 知多郡阿久比町大字矢高三ノ山高 十五番地(Googlemap) |
最寄駅 | 鉄道:名古屋鉄道 河和線「植大駅」徒歩13分 |
次の目的地は
十七番札所「樫木山 観音寺」の参拝を終え、隣の天満社を参拝します。
知多四国霊場の巡礼はここ観音寺で2日目の巡礼がタイムリミットとなってしまいました。3日目の巡礼は、五十四番札所「亀嶺山 海潮院」からスタートとなります。