寺院情報
寺院名 | 菅生山 大宝寺 |
所在地 | 愛知県知多郡南知多町内海大名切三十六番地 |
御本尊 | 釈迦如来 |
宗 派 | 曹洞宗 |
創 建 | 文化六年(1809年) |
札 所 | 知多四国霊場 四十四番札所 南知多観音霊場 二十七番札所 知多百観音霊場 五十九番札所 南知多五色観音霊場 |
御朱印 | 〇 |
H P | 〇 |
参拝日:2018年10月3日
「菅生山 大宝寺」公式ホームページのご紹介
https://www.daihoji44.jp/
知多新四国霊場公式ホームページのご紹介
http://chita88.jp/
沿革・由緒
宝暦元年(1751年)に弘法大師のお告げによって湧き出た霊泉のある池に、文化六年(1809年)半田市小栗万蔵二女好堅尼によって開かれ、四国四十四番の寺号を名乗ったものである。
「知多四国めぐり」より
上記にも書いてありますが、本四国霊場の四十四番札所も「菅生山 大宝寺」であり、昭和十六年の宗教法人登録の際に正式に寺号を「菅生山 大宝寺」にしたといいます。創建当初から尼寺だったのですが、平成31年現在副住職に初の男性の住職が赴任したといいます。
知多四国霊場を行く
名鉄知多新線「内海駅」から1.5kmほどの距離なんですが、地図で見ると・・・すごい山の中って感じてしまいますね。大宝寺を参拝する方の為に道路拡張に尽力した歴代住職のおかげで、現在では車でも楽に参拝できるようになっています。
とてもありがたいことです。
管理人が行く知多四国霊場巡礼の旅
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参拝記
内海町の小名切地区から上記ストリートビューに移っている道を道なりに進んだ突き当りに「大宝寺」はあります。分岐は一ヶ所しかないですし、案内看板も設置されているので迷う事はないと思いますよ。
境内入口
内海小名切から続く道を走っていくと、突き当りの大宝寺駐車場にたどり着くことができます。非常に大きな駐車場の奥に、「菅生山 大宝寺」と彫られた寺号標が据えられています。
石柱門
寺号標の奥の参道を進んでいくと、石柱門があります。
手水舎・水盤
この大宝寺の手水舎は非常に大きく、なかなか圧倒されます。
瓦葺木造四本柱タイプの手水舎なんですが、水盤を見て頂いても、その大きさがわかっていただけるかと思います。
さらに、妻の方から庇がむけられて、観音様が安置されています。
地震倒壊防止のために鉄製の筋交いが設けられていますね。こういった筋交いを設けた方がいいのか、斜めの支え柱を四方に設けた方がいいのか・・・見た目はどちらもう~んって感じですので、難しいところですね。
本堂
入母屋造瓦葺平入の向拝の設けられた本堂になります。
ここの本堂は、中央に弘法大師像が安置されていて、本尊である釈迦如来像は左側に安置されています。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
硯石大師
弘仁五年(814年)弘法大師四十一才の時、御時船で三河から知多半島の師崎にご上陸知多の地を布教伝導と修行をされながら、岩屋寺を経て陸路伊勢に向かわれた道中、小野村、久村を過ぎ、峰づたいに名切村にて湧き出る山清水の美味しさにしばらく休憩され、書を書く為に水を持ち帰った事から、硯石大師霊場として知られる様になりました。
そしてその湧き水の上に大師様をお祀りしています。
以前は、眼病に聞くと言われ、昭和初期まで点眼されていたそうですが、現在では禁止されています。
観音堂
本堂の脇には、南知多観音霊場の二十九番札所になっている観音堂(札所本尊:如意輪観世音菩薩)があります。
大宝寺のホームページでは、
昭和6年建立。建立時、着飾った黒い牛が観音様を引き、その後ろに稚児行列を従え、駕籠に乗った住職(春光尼)が内海の街中を練り歩き大宝寺まで来たと記録が残っています。
と紹介されています。
六地蔵尊
大宝寺駐車場の脇に鎮座している「六地蔵尊」になります。
現代的な地蔵尊ですね。よく見ると、それぞれ手に持っている神具が異なっているんですね。これだけそれぞれに特徴があると据える順番なんかもあるんですかねえ・・・。六地蔵尊への疑問が広がっていきます・・・。
御朱印
参拝を終えて
ここ大宝寺は庫裏が落成した頃から女性の駆け込み寺として開放されているそうです。住職と触れ合うなかで生きる活力を与えらえた女性がたくさん居ると知多四国めぐりの本のなかで紹介されています。
次の目的地は
大宝寺を後にして、次は知多四国霊場四十六番札所「井際山 如意輪寺」を目指します。