竹谷神社(蒲郡市竹谷町)

神社情報

社 名:竹谷神社
鎮座地:愛知県蒲郡市竹谷町王子一番地
御祭神:伊邪那美尊、事解男命、速玉男命
旧社格:郷社
創 建:不明
境内社:御鍬社、稲荷社、秋葉社、神芦社、阿須賀社
例大祭:十月第二日曜日
御朱印:-
H P:-

参拝日:平成30年8月18日

御由緒

往古より竹谷庄の産土神として齋き奉りしところにして夙に従五位上竹谷天神と称へ奉れり中世藤原俊成卿三河国守となるや熊野権現を勧請して若一王子宮と称へ奉り爾来此地熊野山領たりしも後幾許もなく再び神領に復す戦後の世の初松平左京亮守家公創めて竹谷築城以来四百年の久しきに亘り時に吉田城主くり或は西郡城主となると雖代と竹谷松平氏の崇敬甚厚く毎年元旦には城主公式の参拝あり或は慶長以後社殿を造営修復して敬神の誠を捧げらる氏人亦尊崇借かす仍ち再度宝鐘を鋳て神前に奉献し以て欣喜業に安し為に庄内農穣日夜神徳を景う仰す
慶應四年領主氏子等拝殿を再築し境域を整へ其の業成るに及び壮麗神厳近隣に比類なし昭和二年更に幣殿及社務所の新築を見重ねて宝蔵の新設成る神域の壮大々夕斯の如し
明治五年村社に列隠し更に大正五年五月昇格して郷社に列す今や神威彌と高く彌と広く竹谷柏原両郷の氏子朝夕亦心を捧げて舊の如

境内由緒書より

藤原俊成とは?


平安末期から鎌倉初期の公家であり歌人です。
久安元年(1145年)三河守に任ぜられ、久安五年に丹後守に遷任されるまでの約四年間、国守として三河国を管理しています。蒲郡とも縁が深く、今回紹介している竹谷神社の他に、大宮神社も熊野権現を勧請しています。さらに、竹島には琵琶湖の竹生島より弁財天(神仏分離によって現在では「市杵島姫命」)を勧請しています。
現在の豊川の地に国府の他に、蒲郡の温暖な気候を好み、蒲郡駅周辺に屋敷を有していたようです。

竹谷松平氏の崇敬も厚かったようで、関東移封後の吉田藩主、その後の西郡領主の時代も竹谷神社を崇敬していたことが由緒書きに書いてあります。

参拝記

竹谷城の北東側に鎮座しているのがこの竹谷神社になります。

今年(2018年)開通した国道247号線の新道からほど近い場所に鎮座していますね。

境内入口・社号標

バイクを止める場所が近くになかったので、失礼して社号標脇に止めさせてもらいました。

社号標は旧社格が彫られていないタイプになります。

一の鳥居

扁額のある明神鳥居になります。大正十年建立、昭和三十年再建されています。

二の鳥居

一の鳥居から続く石段の中間部分に建つ二の鳥居になります。
一の鳥居に比べて島木、笠木の反りが大きくなっていますね。

手水舎・水盤

木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。
水盤横には井戸を有していて、手水社も少し大型になっています。

この竹谷神社の水盤には綺麗な水が張られています。

狛犬

装飾が非常にシンプルな狛犬一対になります。

社殿

入母屋造平入木造の高覧が設けられた廻縁のある拝殿になります。

拝殿と右側に見えている舞台の間には、竹谷神社の扁額が掲げられています。

拝殿には、

改称前の若一王子社の扁額が掲げられています。

改称前の扁額を正面に掲げている神社も珍しいのではないでしょうか?

境内社

どの社殿がどの境内社なのかは不明なんですが、社殿向かって右側には、境内社が三社あります。由緒書きには五社書かれているので、相殿の社もあるようです。

社の前に置かれている石灯篭・・・。たぶん、境内社にもある秋葉社の常夜燈なんではないかと想像しているのですが、真相はいかに?。

懸魚・鬼瓦

蕪懸魚の変種と鬼瓦になります。瓦の風化が進行していますねえ。

参拝を終えて

竹谷松平氏、藤原俊成の所縁の神社となります。
平安末期から鎌倉時代にかけて、熊野詣が盛んになっていました。そんな背景もあり、熊野権現を勧請したんだと思われます。三河湾か海路で伊勢地方との物流航路が運用されていたとも聞きますので、伊勢、更にその先の熊野の信仰が広がっているだと思います。

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