寺院情報
寺院名 | 尾風山 泉蔵院 |
所在地 | 愛知県知多郡南知多町南側六十九番地 |
御本尊 | 薬師如来、阿弥陀如来 |
宗 派 | 真言宗豊山派 |
創 建 | 神亀年間(724-729年) |
札 所 | 知多四国霊場 四十五番札所 南知多観音霊場 三十番札所 |
御朱印 | 〇 |
H P | - |
参拝日:2018年10月3日
知多新四国霊場公式ホームページのご紹介
http://chita88.jp/
沿革・由緒
泉蔵院は聖武天皇の御代である神亀年間(724-729年)に行基大菩薩によって創建されたと伝えらえています。本尊である阿弥陀如来と薬師如来は行基作と伝えれており、十万信者の現当二世安楽のために二仏御同座を奉安されたという。
「知多四国めぐり」より
今は廃寺となった一山九坊を有したという「井際山観福寺」の塔頭「泉蔵坊」として創建されたのが始まりなんだそうです。その後、「泉蔵坊」は南北朝時代にこの地を納めていた一色氏によって築かれた「一色城」の鎮守として、この地に移設されました。しかし、一色氏は応仁の乱の際西軍に与したした為、守護代を解任され尾張の地から去っていきます。
何時頃一色城が廃城になったのかは不明ですが、一色氏が去った後は一色家臣だった佐治氏がこの地を統治していきます。
知多四国霊場を行く
師崎方面から国道247号線を北上してくると、まさに内海の市街地の入口と思える場所に鎮座しているのが今回参拝する「尾風山 泉蔵院」になります。元々一色城が建っていたとされる場所であり、海岸線にせり出している山裾がなかなかの迫力で迫ってきます。
管理人が行く知多四国霊場巡礼の旅
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参拝記
国道247号線が内海の中心に向かって右に大きくカーブする内側に、山肌にそって泉蔵寺に向かう参道が設けられています。この参道、造りから見ても国道を拡幅する際に山肌を削った時に作られた参道ですね。
泉蔵院の参拝者駐車場は丁度上記ストリートビューの右カーブのすぐ外側に用意されています。
ただ、駐車場から泉蔵寺に行く際国道を横断しないといけないのですが、見通しのわるいカーブを渡らないといけないので、車に気を付けて渡る必要があります。通行量が結構多く、結構スピードを出している車が多いですから・・・。
境内入口
国道入口に作られた参道ではなく、山肌にそって歩いていくと、泉蔵院の正面参道の石段が見えてきます。
もう少し全体が写っている写真があればよかったのですが、なぜかこんな写真しか・・・。
南知多観音霊場を巡礼の際、写真を撮りなおした際には追記させて頂きます・・・。
石柱
「當国第六番當群四十五番弘法大師札所泉蔵院」と二面に彫られた札所石柱になります。
札所の番号から當群四十五番は知多四国霊場だという事がわかるのですが、當国第六番とな・・・国と考えると尾張国な訳で、尾張国弘法大師霊場第六番札所という事・・・なのでしょうか?
石段を挟んだ反対側には、内海観光協会によって設置された泉蔵院の説明板が設置されていました。こうやって案内看板が設置されていると非常に助かりますね。
手水舎・水盤
寄棟造瓦葺木造四本柱タイプの手水舎になります。
手水舎で寄棟造は非常に珍しい造りですね。それでいて形状がほぼ正方形に近い形になっていて、軒高が非常に高くなっているのが特徴です。
本堂
中央に本尊が安置されている入母屋造瓦葺妻入の向拝が設けられた本堂になります。
山裾を削った場所に建っている為か、境内の形が非常に細長くなっています。
大師堂
本堂の向かって右側に大師堂が建っています。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
金毘羅堂
江戸時代末期、地元の分限者の前野小平治によって寄進された金毘羅堂の拝殿になります。拝殿奥の石段を上った場所に社が建っています。
寺院に置かれている鎮守社の拝殿としては非常に荘厳なつくりになっていると思われます。
泉蔵院の文化財
愛知県の有形民俗文化財(指定日:昭和53年)
・算額・・[文化財ナビ愛知]
御朱印
参拝を終えて
内海を納める為に築城された一色城跡に建っているだけあって、まさに内海の待ちを眼下に見渡せる場所に鎮座しているのが泉蔵院になります。そんな景観の良さから前野小平治は海を見渡せる泉蔵寺に海洋交通の安全を祈願するために金毘羅宮を勧請したんでしょうね。
次の目的地は
知多四国霊霊場の札所ではないのですが、泉蔵寺と境内を隣り合わせに建っている「臨海山 慈光寺」を参拝していきます。