源義頼が長田忠致に勧められて法山寺にある湯殿で入浴中に襲われ絶命したとあります。(他の説では、初詣で法山寺の薬師如来を参拝後、傍らにある湯殿で入浴中、裏切った長田忠致に殺されたとされています。)
そんなお風呂跡を見たくて法山寺に伺ったのですが、湯殿後は法山寺の境内ではなく、てっきり存在しないのかと思い込んで、法山寺を後にしたのですが、帰宅後ネットで調べていたら、湯殿跡を発見・・・。法山寺への急坂を登るのではなくそのまま細道を進めばよかったのですね・・・。
←の道が法山寺に向かう急坂 →の道が湯殿跡に通じる細道
よくよく調べていかないと、湯殿跡にはたどり着けないかもですね・・・。右の道を進んでいくと・・・
源義朝公の石造も置かれている湯殿跡があります。
あぁ~行きたかった。
※再訪の2018年10月24日に湯殿跡を訪れました。
しかし、グーグルはどこへでも行ってますな・・・。
2018年4月19日
寺院情報
寺院名 | 曇華山 法山寺 |
所在地 | 知多市美浜町野間田上五十番地 |
御本尊 | 御湯殿薬師如来 |
宗 派 | 臨済宗天竜寺派 |
創 建 | 神亀年間(725年頃) |
札 所 | 知多四国霊場 五十五番札所 野間開運霊場 一番札所 |
御朱印 | 〇 |
H P | - |
参拝日:2018年4月19日
再訪:2018年10月24日
知多新四国霊場公式ホームページのご紹介
http://chita88.jp/
沿革・由緒
京都市嵯峨嵐山にある大本山天龍寺の末にて、臨済宗天龍寺に属する寺院です。
聖武天皇の神亀年間(725年頃)、諸国巡化のおり当地を訪れた行基菩薩が山上に優曇華の花の咲き競うのを見て衆生済度を祈願され、薬師如来像を刻み、一堂を建立して奉安されたのが起源とされています。
およそ、千二百八十年以上の歴史ある薬師如来像になっています。
「境内案内板」より
法山寺は、聖武天皇の神亀年間(725年頃)、僧行基が諸国巡化のおり山上に優曇華の花(三千年に一度咲くという仏教上の仮想の花)が咲き競うのを見て衆生済度の発願をされ、薬師如来像を彫刻なさって奉安されたのです。
その後、弘仁年間(810年頃)弘法大師が留錫なさり、霊泉に浴する病者の為に秘修を行われたといわれます。又、正和年間(1314年頃)夢想国師により七堂が再興し禅を宣揚されてから、現在まで700年を経過しています。
「知多四国めぐり」より
上記には記載されていませんが、「知多郡誌」の大御堂寺の記述の中に一山十二坊の中に法山寺の名前を見ることができます。大御堂寺が中興した頃に名前が見えるそうですので、この頃には法山寺は臨済宗に属していたはずですので、他宗でも一山の中に名前を連ねていた事になりますね。
知多四国霊場を行く
野間大坊からは、少し離れた場所の山中にあります。
車は境内に駐車することになるのですが、すこしわかりにくいかもしれませんね。注意深く進んでいく事をお勧めします。
管理人が行く知多四国霊場巡礼の旅
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参拝記
県道277号線「野間河和線」と法山寺へ向かう道の交差点には、道案内の看板や知多四国霊場の幟が建っているので素直に看板の指示通り向かうとよろしいかとおもいます。
ちなみに、ストリートビューに移っている石柱には、「源義朝公横死の湯殿水跡」と彫られています。
先ほどのグーグルストリートビューで出ていた急坂を登りきると、法山寺の境内にたどり着きます。ここの法山寺の境内はさほど広くはないのですが、正面に鎮守の社である山の神大明神が鎮座しています・・・。入った途端御堂より目立つ鎮守の社も珍しいかと。
手水舎
ここの手水舎は二本柱タイプなんですが、妻入りの形をしています。非常に珍しい形状ですね。大半の手水舎は平入になっていまして、妻入りの手水舎は、初めて出会いました。
というか、二本柱タイプに切妻、妻入りの屋根ってバランス取れている感じがします。
鐘突堂
鐘突堂になります。鐘の音が義朝公の霊を慰めるということなのでしょうか・・・。
というか、仏教には49日を過ぎたら仏になるのであって、"霊"という考えは存在しないはずなのですけどね・・。
本堂
本尊である御湯殿薬師如来が収められている御堂です。本尊が祀られているので本来なら本堂と呼ぶべきなんでしょうが、薬師堂らしいです。
大師堂
そして、こちらが弘法大師像が安置されている大師堂になります。
「南無遍照金剛大師」「南無遍照金剛大師」「南無遍照金剛大師」・・・
御朱印
この法山寺でも記念宝印を押していただけました。
これで50番、51番、53番、55番の知多四国霊場の御朱印を頂きました。
参拝を終えて
野間遠征も所要があり、この法山寺の参拝を終えると岡崎市への帰路に。
たぶん、近い将来再び戻ってくると思うので、その時はもう少しゆっくり参拝させて頂きます。(あれ?
美浜町野間にある知多四国霊場の札所のうち、大御堂寺、野間大坊、安養院、法山寺は二度目の参拝になる為、参拝の際カメラを持たずに参拝していたのもあり、所々、「あ~撮ってない」とちょっと抜けている部分も多々あり、寺院を巡り始めて、こうやって参拝記を書いたものを更新しようとすると、最初とは徐々に取り上げるポイントが変わってきたことを実感します。
次の目的地は?
最初法山寺を訪れた時は場所が解らず訪れることができなかった、源義朝が憤死したという湯殿跡を訪れます。