2019年2月、サイト名を「神社のある生活って」から「あいちを巡る生活って」に変更致しました。

八幡社(西尾市寺津町西市場)

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神社情報

神社名:八幡社
鎮座地:西尾市寺津町西市場四十一番地
御祭神:譽田別尊
旧社格:県社
創 建:建久年間(1190年-99年)
境内社:秋葉社・琴平社・津島社・愛宕社・春日社・浅間社・神明社・白山社
例大祭:十月二日
御朱印:〇 例祭等授与所が開いていると頂ける様です。
H P:ー

参拝日:2018年5月11日

御由緒

「和名妙」に、この地は大川郷と称し、幡豆郡八郷の一つで開拓の古い所である。建久年間(1190年-99年)大河内顕綱の信仰深く、寺津城主大河内家の鎮守として社殿の改築、宝物を献進する。五代の孫教綱は暦応二年(1339年)五月、鏡面に武運長久を刻んで奉献、貞綱も刀剣を献進する。
慶長十三戊申年(1608年)十一月二十五日、徳川家康、本殿を再興し将軍家の守護神として仰ぐ。家光が慶安年間(1648年-51年)朱印三十五石七斗を寄進、維新に到る。明治五年十月十二日、村社を列し、同四十一年十月二十六日、神饌幣帛料供進指定をうけた。大正五年九月一日、郷社に昇格し、同十年六月二日、県社に列格する。

愛知県神社庁 発刊
「愛知県神社名鑑」より

参拝記

国道247号線を寺津交差点から170mほど北に進んでいくと、丁度八幡社付近から国道が右にカーブしているからか、正面に八幡社が見えてきます。

寺津町交差点から寺津八幡社方面を望みます。
実はこの途中に、寺津城址の碑がある瑞松寺が左手に鎮座しています。


寺津城址(西尾市寺津町)


寺津八幡社から南方に向けて昔からの集落が広がっていて、寺津の語源となった、多数の寺院と西側には入江(津)が広がっています。元々、この八幡社周辺は碧海台地と呼ばれる台地の南端部分にあたり、周囲に比べても1m~4mほど地盤が高くなっています。

また、現在の寺津中学校が建っているあたりには枯木宮貝塚と命名された縄文時代の貝塚があります。貝塚自体が愛知県の重要文化財に指定されています。


"知恵伊豆"と称された江戸幕府老中”松平信綱”の本家筋にあたるのが、吉良家宿老としてこの地を治めていた大河内氏になります。大河内初代"大河内顕綱"によってこの八幡社が建立され、その後、徳川家康の三河統一までの間、大河内氏によって寺津の地は納められてきました。

また、幡豆郡に鎮座する二社の懸社の一社になります。
もう一社はすでに紹介している幡頭神社になります。


幡頭神社(西尾市吉良町)


境内入口

南入りの境内に南向きの社殿になります。
道路の感じから、元々は境内入口からまっすぐ南に向けて道路が伸びていたんだろうなと思わせる道路の構造になっています。

社号標

昭和十五年建立の旧社格"県社"が彫られた社号標になります。
ちなみに、この社号標を寄贈したのが大河内氏の子孫になる"大河内正敏"氏になります。
この大河内正敏氏は、貴族院の議員でもあり、理化学研究所の三代目所長も務めた方になります。

鳥居

建立年月を調べ忘れましたが、かなり大きな明神鳥居になります。

参道におかれた神道

八角形の五三桐の神紋が彫られた碑になります。神道とほられていて、参道の中心に立っている事から、参道の真ん中(正中)は神様の通る道という事で、参道の中心ではなく、少しずれたところを歩きましょうという意味がこの碑に込められているはずです。

以前、この八幡社を参拝した時にはこの碑は存在しなかったので、この10年ぐらいで設けられたものですね。

手水舎・水盤

非常に立派な四本柱タイプの木造銅葺の手水舎になります。ここまで重厚な手水舎を擁する神社も村の鎮守の神社では少ないですね。

以前参拝した時は、水が張られておらず水盤も乾いていたのですが、今回は水が張られていました。さらに、この龍をかたどった石造りの給水口から水が出ている所ももしかしたら初めて見たのかも・・・。

それほど、神社の手水が張られている所は珍しいという事なんですが・・・。

祓処

参道右手に置かれた祓所です。

梛の木

非常に繊維が多い為、葉が切れにくいという事から、縁結びとかのお守りに最適な木として有名です。また、和歌山県新宮市に鎮座する熊野速玉神社の御神木は天然記念部にも指定されている梛の木です。

御神馬舎

元々、神社に馬を奉納する文化があったそうなんですが、実際に馬を奉納されたら維持が大変なので、徐々に金属製の神馬象やこの八幡社にあるように建物の中に木製の神馬象を据えたりする神社が増えてきたそうです。さらに時代が下ると、こういった象も維持管理が大変なので、絵馬にかわっていったとか・・・。絵馬って神馬の代わりだったんですね。

御神水

謎の施設・・・御神水
井戸が掘られて実際ポンプを動かすと水が汲めます。飲めないそうですが・・・。

これもこの10年以内に設けられたものですね。

神楽殿

神楽殿と授与所が一体となった建物が社殿手前に置かれています。
入母屋造、妻入りの神楽殿、大祭以外は現代建築らしくシャッターが下りています。この辺りは昔ながらの木のはめ戸のが趣きがあっていいのになあと思うのですが、ガラガラで開け閉めできますからね・・・。

何気に書いてますが、神楽殿と授与所が一体となっているのもめずらしいのでは?

狛狐

生年月日が不明な狛犬一対になります。造形的には古そうな感じがします。

社殿

 

切妻造、銅葺、妻入り、向拝が設けられた、高覧付き廻縁のある拝殿になります。
妻入りの拝殿というのが非常に珍しい造りなのですが、拝殿の大きさもあって非常に迫力のある姿をしていますね。

妻入りの拝殿の特徴なのか、平入の拝殿に比べて奥行きがとられている気がします。

流造の本殿が鎮座しています。この本殿もかなり大きい造りになっています。

公爵徳川家達氏による扁額になります。
なぜ徳川家の方が?と思っていたら、愛知県神社庁の由緒書きと境内の由緒書きを合わせて考えると、慶長十三年に徳川家康が本殿を再興し、家光が将軍家の守護神として35石7斗の朱印地を寄進。さらに、寛永九年(1632年)に寺津領主松平正久により社殿を改築した祭に、徳川家康を祀っています。この縁から、徳川家達氏に書いてもらったんだと思います。

境内社

社殿向かって左手にある境内社になります。

写真手前から、秋葉社、琴平社、津島社、(愛宕社、春日社、浅間社)合祀社、神明社、白山社の六社が鎮座しています。

この境内社の前には、灯篭も六基据えられています。

社殿向かって右手には護国神社が鎮座しています。

懸魚・鬼瓦

懸魚、鬼瓦を取り忘れました・・。

参拝を終えて

平成十九年に造営工事が行われた造営工事で、かなり一体的な設計が行われた様です。

今でそ、八幡社の北側にも住宅地が広がっていますが、明治時代まではこの八幡社が寺津地域の北端に位置していました。道路ができ、三河線が通り、街は大きくなっていますが、これからもこの寺津の鎮守として皆さんを見守り続けてほしいですね。

近隣の神社


アパートなど賃貸物件に住んでいるとお札を置く場所に困ると思います。そんな時、このお札立てが非常に助かると思います。

地図で所在地を確認

”西尾市寺津町西市場四十一番地”

矢作川神社巡り紀行

矢作川沿いに鎮座する神社を参拝、紹介をしております。興味がありましたら、順次更新しておりますので、のぞいてみてください。

神社誌作成プロジェクト

投稿者プロフィール

成瀬晃ドクターレザーおかざき 店主
愛知県岡崎市で「かばん・くつ✚革の病院ドクターレザーおかざき」を営んでいる成瀬と申します。
史跡、神社などを巡った事をなどをつぶやきつつ、お店のブログではつぶやけないような事も書いていこうかと思っています。

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