寺院情報
寺院名 | 雨宝山密厳寺 |
所在地 | 愛知県知多市佐布里町地蔵脇24番地 |
御本尊 | 十一面観世音菩薩 |
宗 派 | 真言宗豊山派 |
創 建 | 元暦元年(1184年) |
札 所 | 知多四国霊場 七十四番札所 |
御朱印 | ○ |
H P | ○ |
参拝日:2018年11月21日
知多四国霊場札所一覧
沿革・由緒
元暦元年(1184年)に後鳥羽天皇の勅願寺として建立されたという一山八坊の規模を誇った「雨宝山如意寺正法院」の一坊である"密厳坊"を前身とする寺院になります。密厳寺の本尊である「十一面観世音菩薩像」は平安時代の作とされ、知多市の指定文化財になっています。
また、本堂横に据えられている薬師堂は、元々は同じ字名の場所にあったそうですが、明治十年に今の場所に移築されたそうです。同じ字名の場所ということは、廃寺となってしまった他坊にあった薬師堂になるのかなと思うのですが。
知多四国霊場を行く
知多四国霊場七十五番「誕生堂」から密厳寺方面に通じる石段を下りていくと、七十五番札所への案内石柱が出てきます。案内通りに進んでいくと、寺院裏側から入っていく形になる為、あえて案内石柱をスルーして山門方面に進み納経していきます。
こちらが、密厳寺裏手?に据えられている七十四番札所の案内石柱になります。こちらから境内に入っていくと、後述する薬師堂脇から入ることができます。
知多四国霊場を行く-11日目-旅行記
参拝記
先ほどの石柱をスルーして山門方面に向かうと、山門を有する境内の正面側に出る事が出来ます。
山門
袖壁が設けられた薬医門の山門になります。山門前に山号寺号が彫られた寺号標と「第七十四番札所」と彫られた知多四国札所案内石柱が据えられています。
さらに、山門脇には・・・
鎮守社
「天神社」と「白山社」の鎮守社が鎮座しています。寺伝によると、こちら鎮守社も300年以上の歴史があるんだとか。天神社前に掲げられている絵馬を見ると、学問の神様としてこの地域で篤い信仰を集めている事がわかりますね。
手水舎・水盤
小ぶりな水盤と木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。三河地区でこの手水舎があったら間違いなく支え棒が設けられていそうな様式かなと思います。
本堂
寄棟造瓦葺平入の向拝が設けられている本堂になります。
この密厳寺の弘法大師像は本尊の十一面観音像のすぐ向かって右側に奉安されています。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・・
薬師堂
本堂の脇には「薬師如来像」が奉安されている薬師堂が設けられています。
この薬師堂の周囲には十二支守り本尊が奉安されていて、薬師如来像を参拝した後に自分の干支の守り本尊を拝み、さらに家族の干支の守り本尊を拝んでいくそうです。
御朱印
参拝を終えて
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やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。 やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。
所在地を地図で確認
寺院名 | 雨宝山密厳寺 |
所在地 | 愛知県知多市佐布里町地蔵脇24番地 |
最寄駅 | 知多乗合バス「佐布里保育園前バス停」徒歩3分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
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次の目的地は?
「雨宝山如意寺正法院」の一山八坊の内、一山の「雨宝山如意寺」を参拝します。以前の寺号の中にも「如意寺」と書かれている様に、「正法院」と並ぶ一山の中心となる寺院になります。正法院の記事の中でも書いていますが、自分としては元々如意寺と正法院は同じ寺院だったのではと思っているのですが・・・・。