寺院情報
寺院名:長寿尼寺
鎮座地:愛知県西尾市西幡豆町北橋ノ下五番地一
本 尊:地蔵菩薩
宗 派:臨済宗妙心寺派
創 建:明治四十二年(1909年)
H P:-
御朱印:-
沿革・由緒
廃寺となった西尾市巨海町の長寿尼寺をうけて創建。
「幡豆町誌」より
参拝記
以前、巨海町にあった当時の長寿尼寺の跡地をご紹介しています。その記事は下記から
吉良氏の勢力が強かった頃は、大伽藍を有したこの地屈指の寺院だったそうなのですが、吉良氏の衰退と共に寺勢も衰えていったそうで、最終的には明治の時代に廃寺となってしまっています。
その後、由緒にもありますが明治四十二年、長寿尼寺の名跡を継いだ寺院が西幡豆に建立されます。それが今回紹介する長寿尼寺になります。
ぱっと見、寺院が鎮座している雰囲気がしませんが、中央のカエデの木周辺に長寿尼寺が鎮座しています。地元では"もみじ寺"とも呼ばれているそうで、紅葉の季節は真っ赤な紅葉に包まれているようです。
近づいていくと、長寿尼寺の入口脇に"はずの民話"のサイン板が設けられています。
山門、寺号標などは存在していませんね。
最近建て替えられた様子の手水舎になります。
かなり雑草が伸び放題になっていて、一瞬廃寺?と思ってしまう雰囲気ですね。
境内入口に掲げられた"はずの民話"です。
孝行むすこと山津波 というお話
明治の頃、小野ヶ谷には
明治のころ、小野ケ谷には、わら屋根の農家があって、東の高い山のふもとにも、一人暮らしのおばあさんが住んでいました。そこへ一人の若者が養子に入りました。名を勇吉といい、大変働き者で、おばあさんをとても大事にしました。
やがて、勇吉はよめをもらい、子どもも三人生まれ、ますます仕事に精を出しました。
その年は雨が多く、入梅には少し早いというのに、もう五日も降り続いています。
「山くずれだ!」
と叫んだ勇吉は、家の中へ飛びこみました。家が押しつぶされ、みんな生き埋めになりました。勇吉はおばあさんを背負ったまま、柱の下敷きになって見つかりました。
長男のだけは、うつぶせになったうすの中で、きせき的に生きていました。
という悲しいお話が言い伝えられています。そして、明治三十一年、愛知県知事から顕彰され、記念に長寿尼寺に顕彰碑が建てられたそうです。