西尾市

長寿尼寺(西尾市西幡豆町)

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名:長寿尼寺
鎮座地:愛知県西尾市西幡豆町北橋ノ下五番地一
本 尊:地蔵菩薩
宗 派:臨済宗妙心寺派
創 建:明治四十二年(1909年)
H P:-
御朱印:-

沿革・由緒

廃寺となった西尾市巨海町の長寿尼寺をうけて創建。

「幡豆町誌」より

参拝記

以前、巨海町にあった当時の長寿尼寺の跡地をご紹介しています。その記事は下記から

寺津・巨海で見つけたもの


吉良氏の勢力が強かった頃は、大伽藍を有したこの地屈指の寺院だったそうなのですが、吉良氏の衰退と共に寺勢も衰えていったそうで、最終的には明治の時代に廃寺となってしまっています。

その後、由緒にもありますが明治四十二年、長寿尼寺の名跡を継いだ寺院が西幡豆に建立されます。それが今回紹介する長寿尼寺になります。

ぱっと見、寺院が鎮座している雰囲気がしませんが、中央のカエデの木周辺に長寿尼寺が鎮座しています。地元では"もみじ寺"とも呼ばれているそうで、紅葉の季節は真っ赤な紅葉に包まれているようです。

近づいていくと、長寿尼寺の入口脇に"はずの民話"のサイン板が設けられています。
山門、寺号標などは存在していませんね。

最近建て替えられた様子の手水舎になります。

かなり雑草が伸び放題になっていて、一瞬廃寺?と思ってしまう雰囲気ですね。

境内入口に掲げられた"はずの民話"です。

孝行むすこと山津波 というお話

明治の頃、小野ヶ谷には

明治のころ、小野ケ谷には、わら屋根の農家があって、東の高い山のふもとにも、一人暮らしのおばあさんが住んでいました。そこへ一人の若者が養子に入りました。名を勇吉といい、大変働き者で、おばあさんをとても大事にしました。
やがて、勇吉はよめをもらい、子どもも三人生まれ、ますます仕事に精を出しました。
その年は雨が多く、入梅には少し早いというのに、もう五日も降り続いています。

「山くずれだ!」

と叫んだ勇吉は、家の中へ飛びこみました。家が押しつぶされ、みんな生き埋めになりました。勇吉はおばあさんを背負ったまま、柱の下敷きになって見つかりました。
長男のだけは、うつぶせになったうすの中で、きせき的に生きていました。

という悲しいお話が言い伝えられています。そして、明治三十一年、愛知県知事から顕彰され、記念に長寿尼寺に顕彰碑が建てられたそうです。

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