神社情報
神社名:若宮八幡社
鎮座地:西尾市斉藤町下側九十七番地
御祭神:大雀命、菊理姫神、伊邪那美命、奥津比古神、奥津比売神
旧社格:村社
創 建:不明
境内社:津島社
例大祭:十月二十六日
御朱印:ー
H P:ー
参拝日:2017年12月6日
御由緒
社伝に貞観元年(859年)清和天皇、大嘗祭にあたり、幡豆郡を悠紀の地とし、找穗使の斎館をこの地に置き、斎戸と称したのを後世斉藤と改め地名にし、找穗使の大祓を行った川を忌取川という。今の用水路なり、縁故の地に古くから鎮る社である。明治五年十月十二日、村社に列し、同四十四年三月一日、字郷中の白山社と同字の竈神社を本社に合祀した。
愛知県神社庁 発刊
「愛知県神社名鑑」より
由緒詳ならず。天正の頃この地の豪族斎藤太郎左衛門信長の明臺院焼討に反抗して滅され、怨霊化して黒蛇となり。諸人を悩ますときに斎藤藤五郎なる勇士あり。黒蛇を退治し其霊を若宮八幡社に合祀せしとの傅説あり。
明治五年十月村社に列す。例祭は十月七日。境内百八十一坪。
末社一社、津島社。合祀社二社、白山社、竈社。
幡豆郡福地村 発刊
「愛知県幡豆郡福地村誌」より
参拝記
天皇が即位して最初の新嘗祭を大嘗祭と呼びます。その大嘗祭の神饌に用いる新米を収穫するための田を斎田と呼びます。東日本から一か所、西日本から一か所それぞれ選ばれ、東日本は「悠紀」西日本は「主基」と呼ばれます。
第五十六代清和天皇の大嘗祭の悠紀斎田として、野々宮町の野宮神社、市子町の神明社、熱池の八幡社、斉藤町の若宮八幡社の四社を中心とする場所が選定されました。
斎田の斎宮跡に設けられた野宮神社
斎田の跡地に設けられた八幡社
孟子内親王の領地の鎮守として設けられた神明社
そして、
斎田の斎館が作られた場所に鎮座しているのが今回紹介する若宮八幡社になります。
境内入口
南向きの社殿に東入りの境内になっています。
境内入口部分に鳥居が据えられておらず、参道が曲がった社殿正面に据えられています。
本来でしたら、社殿入口部分に鳥居を据えてないと結界の入口という意味が薄れてしまうと思うんですが。
社号標
大正六年建立の旧社格も彫られた社号標です。
少々細身の社号標に独特の書体で彫られていて印象的な社号標です。
鳥居
大正二年建立の八幡鳥居になります。
ここに鳥居があるということは、元々は南入りだったんでしょうか・・・。
手水舎・水盤
ここは水盤だけが置かれています。
ただ、水道も整備されていますので、きちんと管理されているのがわかります。
狛犬
この若宮八幡社には狛犬は生息していませんでした。
社殿
入母屋造の瓦葺、平入、木造の拝殿になります。
二間幅のどちらかというと細身の拝殿かな?という印象です。
流造の本殿が鎮座しているという情報ですので、こちらは切妻の覆殿ですね。
境内社
社殿向かって左手に鎮座する末社。実際現地で確認し訳ではないので断言はできませんが、幡豆郡誌では津島社となっているので、津島社と紹介させていただきます。
懸魚・鬼瓦
鰭付きの蕪懸魚になります。鰭の造形が細かく彫られています。
参拝を終えて
由緒に出てくる找穗使がどんな役の物なのかが調べても出てこないので不明なんですが、由緒の続きで找穗使の大祓を行った川という文言から修祓を行う祓主の事かな?と想像しています。ただ、祓主が斎田に常駐する必要はない気がするので、斎田の管理者的な役割も兼ねていたのかな?
現在の大嘗祭と1000年以上前の大嘗祭ではかなり様式も異なると思うので、どんな感じの斎田だたのかなかなか想像できないですね。