神社情報
神社名:瀬門神社
鎮座地:西尾市吉良町瀬戸宮西一番地
御祭神:天照大御神、豊受姫神、瓊瓊杵尊、國常立命、
御祭神:天児屋根命、建速須佐之男命、少名彦命、大己貴命
旧社格:郷社
創 建:不明
境内社:御鍬社、稲荷社、海神社
例大祭:十月第三日曜日
御朱印:-
H P:ー
参拝日:2018年5月21日
御由緒
社記は寛永八年(1631年)十月五日の神職宅火災の為焼失し、創建は明らかではないが、社伝によれば建久六年(1195年)二月、源頼朝上洛の際社殿を再建すという。その後正和元年(1312年)社殿を修造する。応永二十九年(1422年)三月、社司永井勝秀従五位下に叙し伊賀守となる。同年六月将軍足利義時社殿を造営、社領三百貫文を寄進した。永禄年間(1558-69年)徳川家康が途上の吉良左衛叡持広と対陣の際、家康開運勝利を社司永井勝永に祈願を修めた。その後元和三年(1617年)、明暦三年(1657年)、延宝六年(1678年)、元禄二年(1689年)、享保九年(1724年)、明和九年(1772年)、弘化四年(1847年)修理を行う。明治五年四月、郷社に列し同四十年十月二十六日、神饌幣帛料供進指定をうけた。昭和四十六年九月九日、字寄名山の高原社を合祀する。
愛知県神社庁 発刊
「愛知県神社名鑑」より
※足利義時と出てきますが、足利義持の誤植だと思われます。また、家康と対峙したのは吉良持広とありますが、吉良義昭になります。
参拝記
富永氏の菩提寺だった大通院を参拝した折にも由緒社名が出てきた瀬門神社ですが、由緒にある通り、1631年以前の記録については、棟札だったり口伝だったりでの記録だろうと思われます。
源頼朝、足利義持、徳川家康と歴代の将軍による参拝というのは、三河の地でかなり名前の知れ渡った神社だったことがわかりますね。
また、、この瀬門神社とすぐ隣に鎮座する"西林寺"の境内には、初代南極探検隊を率いた白瀬矗(しらせのぶ)氏の墓所があります。白瀬さんが亡くなった後、奥さんと娘さんがこの西尾市吉良町の瀬戸に移り住み、その後奥さんが亡くなった時に、娘さんは白瀬矗夫妻の遺骨を西林寺に埋葬した後、東京に移住したそうです。
その後、白瀬さんの甥の方が西林寺もしくは吉良町に分骨を依頼しに吉良町にやってきて初めて吉良町に白瀬さんの遺骨が納められいる事を吉良町としてわかったそうです。その後の吉良町の動きは早く、吉良町史蹟保存会は浄域と定めて、墓碑を建立したんだとか。
そんな歴史の香りがする瀬門神社を参拝していきましょう。
境内入口
県道42号から境内まで参道が続くのですが、その参道入口には社号標が建っていて、参道脇には灯篭が対で建っています。
県道42号線からみた参道入口をストリートビューで確認してみてください。
社号標
建立年月は調べ忘れてしまいましたが、旧社格が彫られた社号標になるので、建立は戦前ですね。
鳥居
参道を進むと、大正十二年建立の神明鳥居がお出迎え。
一の鳥居をくぐると、少し奥に二の鳥居が据えられています。
二の鳥居なんですが、ご覧の通り参道が二手に分かれた片側のみが鳥居をくぐる様になっています。この参道の設け方はどういった意味があるんですかねえ。
御神馬舎
参道を進んでいくと、左手に入母屋造妻入りの社が見えてきます。中に木製の神馬像が収められています。真っ暗なんでよく見ないと神馬は見えないんですけどね。
白瀬矗(南極探検隊隊長)墓所
前述していますが、白瀬矗南極探検隊隊長の墓所となります。墓碑の他に、写真中央の丸い構造物には南極大陸が刻まれて、白瀬探検隊が発見した大和雪原の場所が記されています。
その奥に見えるのが・・・
南極観測船「しらせ」のスクリューが置かれています。
以前参拝した時には、見た記憶がないんで、たぶんこの10年以内に据えられたんだとおもうのですが・・・
手水舎・水盤
これだけの由緒がある神社だったら手水舎があってもおかしくないとおもうのですが、水盤が置かれているだけでした。
狛犬
大正十三年生まれの狛犬一対になります。なかなかりりしいお姿ですね。
社殿
切妻瓦葺平入の木造の拝殿になります。
切妻型の拝殿としては、間口が広めな造りをしていますね。
本殿部分は覆殿が近年造営された様です。
拝殿側面には「金的中」と書かれた額がびっしりと掲げられていますね。
新しいもので平成二十五年とかありますね。全日本弓道連盟〇段とか弓道の達人の皆様が的中されているようです。日付も確認すると、例大祭の時、弓道の神事も行われているみたいですね。
境内社
社殿向かって左手に鎮座する境内社になります。写真には映っていませんが、もう一社鎮座しています。
真ん中の石なんですが、蛇枕石と言って、全国に同じような逸話が残っている雨乞いの石になります。
蛇や龍って水神の化身だと考えられていて、蛇が枕にしていた石なので、蛇のお力が宿っている石に違いない!。 → 干ばつや日照りの時には、この力の宿った石(蛇枕石)に祈祷すれば雨が必ず降った。 → 蛇枕石のお力は素晴らしい! → 神格化
こんな流れかと思います。今考えれば、いくら日照りや干ばつが続いていると言っても、日本なんですからいつかは雨が降る訳ですが。
元々この蛇枕石は黄金堤のある鎧ヶ淵にあったものが、県道の拡幅工事でこの瀬門神社に移動してこの場所に祀られているそうです。
懸魚・鬼瓦
ここの懸魚は二重猪の目懸魚になります。中々レアな懸魚になります。
参拝を終えて
この瀬門神社の境内には、寄名山一号墳・・通称「瀬門古墳」と呼ばれる古墳があります。
神社が置かれたにある小高い丘という事で、伊勢神宮の遥拝所が設けられたのかな?と想像します。その遥拝所の下は実は古墳だったという事でしょうか。
古墳頂上付近に建つ瀬門古墳址の碑・・古墳址?・・址はいらないんじゃないかなぁ。