矢作川神社巡り紀行 西尾市

諏訪神社(西尾市今川町)

2019年1月20日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

神社紹介

神社名 諏訪神社
鎮座地 西尾市今川町東堀五十七番地
御祭神 建御名方神、多紀理昆売神、多岐都昆売神、速玉之男神、狭依昆売神、伊邪那美神、事解之男神
旧社格 村社
創 建 不詳
神名帳
境内社
例祭日 十月十八日
御朱印
H P

参拝日:2018年4月10日

御由緒

創建は明らかでない。明治五年十月十二日村社に列格する。明治四十三年十二月十九日、字池端の三姫社と字土井堀の熊野社を本社に合祀した。

「愛知県神社名鑑」より


西尾町大字今川東堀に在り。創立年月詳からならず。祭神は建御名方命他六柱にして例祭は十月二十六日なり。明治五年十月、村社に列す。本殿二二.六八八平方米、拝殿二八.八七五平方米、境内一,二六〇.六平方米あり。合祀社は二社にして、三姫社、熊野社は何れも明治四十三年樹二月十九日、本社に合祀せり。なお、右合祀社熊野神社は元若一王子宮俗に笹神と呼び、古来疣に効験著しと称せられる。すなわち安永郷村雑書に帰する所次の如し
「若一王子宮 俗に笹神とも云疣落としに候に立願奇妙なり、尤落候へば為御禮御神酒上候也但し社の笹を取参清水に移し戴候事」

付記:
本社境内には大正四年大記念として、愛知県の建設せる「今川氏発祥地」と題せる標柱あり。

「幡豆郡西尾町誌」より

矢作川紀行

「今川氏発祥の地」から道沿って西に進んでいくと、南西方面に鳥居が目立つ諏訪神社の境内地が見えます。由緒にもありますが、元々今川氏発祥の地の石碑は諏訪神社の境内にあったんだとか。

旧幡豆郡福地町を抜け、幡豆郡西尾町に入って最初の神社参拝となります。


矢作川紀行part.5の記事はこちらから

参拝記

普通にこの周辺を車で走っていても全く気付くことがないであろう場所に鎮座しているのが諏訪神社になります。今川氏発祥の地とセットで参拝するのが一番だと思うのですが。

境内入口

鳥居の影の方向を見て何が気付きますでしょうか?。
そう、この諏訪神社は北入りの境内になっています。いや、道路との接続の関係で北入り境内は多数あるぞというご意見もあるかと思いますが、そういった北入りの境内でも社殿は南向きに建っている神社が大多数だと思います。(参道がぐるっと南側に回り込んでいる形になっているかと。)
しかし、ここ諏訪神社は、北入り境内、北向き社殿だったりします。これはかなり少数派の社殿配置ではないかと思いますよ。ぜひ、皆様の近くの神社を想像してみてくださいね。

社号標

大正六年九月に建立された旧社格が彫られた社号標になります。

鳥居

明治二十四年建立の扁額のない明神鳥居になります。鳥居の土台部分は倒壊防止の為なのかコンクリートで補強されていますね。

手水舎・水盤

銅葺木造二本柱タイプの手水舎になります。柱の中間部分まで基礎?があって、安定感が出ていますね。

狛犬

昭和四年生れの狛犬一対になります。

社殿

入母屋造瓦葺平入の高欄の設けられた廻縁が設けられた拝殿になります。
拝殿の四隅には、倒壊防止用の支柱が設けられています。

流造の本殿が鎮座しています。かなり大きい本殿ですね。

懸魚、鬼瓦

六葉部分が無くなってしまっていますが、鰭付きの蕪懸魚になります。
風化具合がちょっと心配ですね。

鬼瓦にはなかなか強そうな亀が飾られていますね。
鬼瓦にこうやって装飾されている神社も珍しいかなと思います。

参拝を終えて

ここ諏訪神社は一説では今川氏の居館跡だったという説があります。
ただ、遺構などは存在していない為、どういった館だったのかは不明です。

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

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南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

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