矢作川神社巡り紀行 西尾市

久麻久神社(西尾市熊味町)

2019年1月27日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

神社紹介

神社名 久麻久神社
鎮座地 西尾市熊味町山畔五十二番地
御祭神 倉稻魂神、久久能智神、天兒屋根命、豊宇氣毘賣命、多紀理毘賣命、狹依毘賣命、多紀都毘賣命
旧社格 指定村社
創 建 不明
神名帳 延喜式神名帳「参河國播豆郡 久麻久神社二座」
境内社 八幡社、神明社
例祭日 十月二十一日
御朱印
H P

参拝日:2018年10月22日

御由緒

社伝に、上古丹後国与謝部より久麻久蓮此の地を開拓し住民に農業を教える。後一社を建て祀ると「参河郡村正記」に持統天皇伊勢国三重部形部郷より参河国に行幸、信頼を献幣使にたて和歌を献じた。
「久麻久山雪降つむて高根をも佐美てそ見ゆる夜半の月影」
「延喜式神名帳」参河国幡豆郡久麻久神社二座の内の一社なり。中古は熊子明神、稲荷社と称した。慶安元年(1648年)社領二十石を寄進、明治に及ぶ。明治五年五月郷社に列したが、同六年三月村社に、同四十一年九月神饌幣帛料供進指定をうけた。大正二年二月二十五日、字大道南の三姫社と字珠弥堂の春日社と字大道南の神明社を本社に合祀した。

「愛知県神社名鑑」より


西尾町大字熊味字山畔に在り。伝説に上古、丹波国(後分国して丹後となる。)興謝郡より久麻久蓮此地に来たり、荒蕪を開墾して民に農業を教え、後一社を建てて、豊宇気比売命、久久廼遅命の二神を奉る。延喜式に載する所の久麻久神社二座は即ち是なりという。後世に到り、熊來明神と称し、更に徳川時代に入りて概して稲荷明神と称し慶安元年、徳川家光より社領二十石の朱印を附興せられたり。維新の際久麻久神社に復し、明治五年九月郷社に列し、六年三月村社に列し、明治四十一年九月神饌幣帛料供進神社に指定せられたり。祭神は豊宇気比売命、屋根久久廼遅命外四柱にして、例祭は十月廿一日なり。境内に末社八幡社、神明社あり。字大道南の三姫社及び神明社、字珠御堂鎮座の春日社は大正元年十二月に本社に合祀したり

「幡豆郡西尾町誌」より

矢作川紀行

徳次町の「白山神社」を後にし、県道319号線を北上し、途中「秋葉山常夜燈」を見学しつつ、熊味町にはいっていきます。熊味町の鎮守社である「久麻久神社」を参拝していく事にします。この久麻久神社という社名は、熊味町の隣の八ツ面町には同じ社名の「久麻久神社」が鎮座しています。

この久麻久神社がある熊味町から八ツ面町にかけては、吉良氏ではなく荒川氏が治めていた荒川城の領域に当たる場所になります。東条吉良氏末期には、本家筋の吉良氏よりも勢力が大きかったという資料も残っているんだとか。

矢作川紀行part.5


久麻久神社鎮座地

参拝記

県道43号線沿いに、久麻久神社へ続く参道の入口があります。
西尾市街から国道23号線の小島インター向かう道になりますので、知らず知らずの内に久麻久神社の前を通り抜けているかもしれませんね。

参道

境内に向かって真っすぐ伸びている参道になります。
社号標、鳥居、幟立石が据えられています。参道なんですが、その参道沿いん住んでいられる方々の生活道路にもなっているようで、鳥居の下を車が潜ることができるようになっています。本来は鳥居を迂回する様にできればいいんでしょうけど、きびしいですねえ。

社号標

「村社式内久麻久神社二座」と彫られた社号標になります。
当ブログでは久々に延喜式式内社への参拝となります。

参道を進んでいくと、再び「村社式内久麻久神社二座」と彫られた社号標が据えられています。

境内入口

参道を進んでいくと、境内に通じる石段が見えてきます。
ここ久麻久神社の境内入口には鳥居が設けられておらず、鳥居は参道入口にあった一基のみのようです。

石段を登っていくと、手水舎などがある境内の奥に、一段上がった社殿、神楽殿、社務所などが配置されている境内があります。上段の境内に通じる石段の脇には幟立石がありますね。
これだけ奥に入った幟立石もなかなか見かけないかと思います。

手水舎・水盤

瓦葺木造四本柱タイプの手水舎になります。
近年造営工事で新築される手水舎は、上部だけでなく腰高の部分にも貫がもうけられて、耐震性を向上させている様ですね。

祓所

神籬の榊が設けられている祓所になります。

神楽殿

鉄製の神楽殿に、なにやら増築されている様です。
例祭の時は幕が張られているので、こうやって閉じられている神楽殿を見るとすごく殺風景な感じですね。

狛犬

生年月を調べ忘れてしまいましたが、狛犬一対になります。
彫りの造形がシンプルなので、ちょっと古い狛犬かなとおもうのですが・・・。

社殿

入母屋造瓦葺平入に入母屋破風の向拝が設けられた拝殿になります。
最近造営工事された神社を参拝していると、ちょこちょここのスタイルの拝殿を見かけますが、同じ建築会社なのかなあ。

情報では覆殿中に流造の本殿が鎮座しているらしいのですが、新しい神明造風の本殿に遷座した様です。

境内社

西尾町誌では 「八幡社」、「神明社」の境内社が鎮座しているそうです。
今回参拝した時は、境内社の写真を撮影し忘れたので、以前(2010年)に参拝した時の写真を掲載させて頂きます。

社殿から少し離れた場所に鎮座した境内社。

本殿を囲む玉垣の中に鎮座している境内社。

表示がなかったため、どっちがどっちの境内社なのか解りません。

懸魚・鬼瓦

鰭付きの懸魚になります。
鰭がなにやら花木の彫り物になっていますね。通常は雲だったり波だったりするのですが、草木の鰭は珍しいです。

参拝を終えて

荒川氏との関係は解らなかったですが、徳川家光から朱印を頂いている所を考えると、なんらかの庇護はあったのではないかなあと思ってしまいます。

本来でしたら、八ツ面町の久麻久神社に向かう所ですが、ちょっと寄り道をしていこうと思います。

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