城跡巡り

巨海城址(西尾市巨海町)

2018年5月19日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

巨海城

城 名:巨海城
鎮座地:西尾市巨海町宮西
築城年:不明
築城主:不明
城形式:平城
遺 構:なし
規 模:不明

訪問日:2018年5月11日

沿革・詳細

大河内氏の紹介の記事にも出てきてますが、1517年吉良氏の引馬荘の代官として派遣されていたのが、大河内貞綱、その弟である巨海道綱であると言われています。この巨海道綱が居城していたのが今回紹介する巨海城になります。

巨海城があったと推定されている場所は、現在の寺津小学校、中学校の敷地になります。この場所なんですが、愛知県の指定文化財になっている枯木宮貝塚が発見された場所で、太古の昔からこの辺りの中心地であったことがわかります。

現地には巨海城の遺構は全く残っていません。

この巨海城は碧海台地の東側に位置し、周囲とは3~5mほどの標高差がありますので、まさに現在の北浜川側から攻め込もうとしたときには自然の擁壁になっていたとおもいますし、かなり遠くから軍勢の襲来を察知できたと思います。

寺津城、長縄城、巨海城の位置関係はこんな感じです。
江戸時代以前は吉良荘の一部だったんだろうと思いますが、明治維新以降、巨海城と長縄城の間を流れる弓取川なんですが、矢作川放水路(現:矢作川)が江戸時代に掘削されるまではこの弓取川の辺りを矢作川が流れていたんだとか。

そう思うと、矢作川の西と東でほぼ分かれていた吉良氏なんですが、寺津、巨海は西条吉良方、長縄城は東条吉良方に属していた可能性が高いのかな~って思ってます。

こう考えると、松平清康公仮葬地の碑の信憑性も少しはあがるのかな?

松平清康公仮葬地碑

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