寺院情報
寺院名 | 宝生山辨天寺 |
所在地 | 愛知県名古屋市港区多加良浦町四番地二七八 |
御本尊 | 辨才天 |
宗 派 | 真言宗智山派 |
創 建 | 大正十四年(1925年) |
札 所 | 名古屋二十一大師 十二番札所 名古屋三弘法 二番札所 なごや七福神/弁才天 |
御朱印 | 〇 |
H P | - |
参拝日:2019年12月25日
名古屋二十一大師札所一覧
名古屋三弘法札所一覧
由緒・沿革
大正十四年(1925年)、滋賀県琵琶湖に浮かぶ竹生島にある「巌金山宝厳寺/公式web」の名古屋別院として建立されました。竹生島の宝厳寺といえば、「日本三大弁才天」と呼ばれる名刹です。その歴史は古く、奈良時代聖武天皇の御代まで遡ります。
竹生島宝厳寺は、神亀元年聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。 すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう。」というお告げを受け、僧行基を勅使として遣わし、堂塔を開基させたのが始まりです。
宝厳寺公式ホームページより
竹生島には、今津港、長浜港、彦根港から高速船がでています。料金は、出発する港によって変わってきますが、大体往復3,000円ほどの様です。神仏習合時代の寺院、神社の雰囲気を味わえる島だと聞いたことがあります。一度は訪れてみたいです。
「日本三大弁才天」は、「巌金山宝厳寺」の他に、広島の「厳島神社」と神奈川の江の島に鎮座する「江島神社」とされています。七福神は神仏習合の際たる存在の様で、「弁財天」は神仏習合時代は「市杵島比売命」と同一視されていた神様?仏様?になります。三大弁才天には寺院と神社が混在していますね。
厳島神社の弁財天は「亀居山大願寺」に移されていますが、江島神社の弁財天もどこか近くの寺院で奉安されているはずなのですが・・・。
「辨天寺」の本尊である「辯才天像」は彦根藩主の井伊家が竹生島の「宝厳寺」に明治はじめに奉納したものなんだとか。
名古屋二十一大師を行く
名古屋二十一大師十一番札所「如意山宝珠院/紹介記事」を納経した後、前田利家所縁の場所を巡り(「犬千代ルート/紹介記事」)、一路南に進路をとり、名古屋市港区にある十二番札所「宝生山辨天寺」を目指します。辨天寺は「名古屋三弘法」の札所と「なごや七福神」の札所を兼ねた寺院です。
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参拝記
辨天寺周辺は航空写真で見ると池の様になっていて、池の中に浮かぶ寺院の雰囲気です。伊勢湾台風以前はもっと周囲の池が大きかったそうですが、治水工事などでだいぶ小さくなったとか。
やっぱり、弁財天といえば、池の中に浮かぶ御堂に奉安されているというイメージがあるので、こういった雰囲気がある寺院はいい感じですね。
社号標
「名古屋三弘法第二番開運弘法大師霊場」と彫られた札所案内石柱と
「竹生島名古屋別院 宝生山辨天寺」と彫られた寺号標になります。
ここ辨天寺が札所となっている三霊場は現在でも活動が盛んな霊場で、納経帳が用意されていて、自分が納経している間でも、それぞれの霊場を巡っている方が参拝に訪れていました。
本堂
宝形造瓦葺重層屋根に唐屋根の向拝が設けられた本堂になります。
重層造の本堂自体が少数な上に、宝形型の屋根を有する本堂となると、なかなか貴重な本堂様式なのではないかと思うのですが。
境内に、以前の屋根の頂点に据えられていた宝珠が置かれています。下から見ると大きさが分かりにくいのですが、想像以上に大きいですよ。
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所在地を地図で確認
寺院名 | 宝生山辨天寺 |
所在地 | 愛知県名古屋市港区多加良浦町四番地二七八 |
最寄駅 | 名古屋市営バス 「弁天浦バス停」徒歩5分 名古屋市営バス 「多加良浦バス停」徒歩5分 |
次の目的地は?
名古屋二十一大師霊場のこの日の納経はここ辨天寺が最後となります。十番、十一番、十二番と三カ所しか巡っていませんが、その分寄り道で色々な所を巡ってきました。実はこの日はまだ巡っている場所が二カ所ありまして、そちらを巡って帰路に付くことになります。
名古屋二十一大師霊場を行く-三日目-は、九番札所「味鏡山護国院」から逆打ちとなってしまいますが遍路していきます。岡崎から一番遠いというか所要時間が一番かかる札所になります。
名古屋二一大師を行く
名古屋市北区にある九番札所「味鏡山護国院」の納経から名古屋二十一大師霊場を行く-三日目-がスタートします。
名古屋二一大師を行く-寄道遍-
「辨天寺」の向いに鎮座する「熱田神社/参拝記事」を参拝していきます。