幡頭神社(西尾市吉良町宮崎)

 延喜式神名帳にその名が記載されている式内社。祭神は「日本武尊」東征の際の副将軍であった「建稲種命」を祀る。建稲種命が東征の帰路、駿河湾沖で水難事故で死亡し遺体が「宮崎海岸」に流れ着き、地元の人々によって葬られた場所に鎮座すると伝えられている。

神社情報

神社名 幡頭神社
鎮座地西尾市吉良町宮崎宮前六十番地
御祭神建稲種命、譽田別尊、大物主神
旧社格懸社
創 建大宝二年(702年)
神名帳延喜式神名帳:幡豆郡三座の内、羽豆神社
境内社神明社、熊野社、山住社、稲荷社、伊勢神宮
綿津見神社、秋葉神社、津島神社、金比羅神社、岩清水八幡宮
例祭日十月第一日曜日
御朱印
H P

参拝日:2017年1月3日

幡豆神社誌project

御由緒

 現在では「吉良温泉/web」と海水浴場(恵比寿海水浴場、吉良ワイキキビーチ)が広がる砂浜で年間数多くの観光客が訪れる西尾市の宮崎地区の砂浜に景行天皇の四十年、一体の遺体が浜辺に打ち上げられたといいます。その遺体の名は「建稲種命」。景行天皇の御子である「日本武尊」の部下であり、東征の際には副将軍に任命されたほどの人物です。東征を終え、都に帰還する途中、駿河湾沖で水難事故により死亡したとされ、現在の西尾市吉良町宮崎の砂浜まで死体が流されたとされています。宮崎の人々は、流れ着いた遺体を弔い、埋葬したといいます。そして時は流れ、大宝二年(702年)、「文武天皇の勅命」により社殿を造営し「矛」を納め御神体としています。この時を社伝では「幡頭神社」の創建としています。

 「文徳実録(日本文徳天皇実録)」によると、「仁寿元年(851年)十月幡豆郡に従五位下を授けるとあり」とされています。

「文徳実録」の編纂は「清和天皇」が貞観十三年(871年)、藤原基経、南淵年名、都良香、大江音人らに編纂を命じた。年名と音人の死後、元慶二年(878年)に菅原是善を加え、基経・良香との3人で翌元慶三年年(879年)に完成した「六国史」の内のひとつ。

※菅原是善は、菅原道真の父

 醍醐天皇の御代「寛平九年(897年)-延長八年(930年)」の間に、幡頭神社の社殿が大破した為、「藤原時平」に命じて造営、そして神劔を奉納しています。

 実は、ここ「幡頭神社」の北東に道なりに5kmほど走った所に「幡豆神社/紹介記事」が鎮座しています。こちらには、建稲種命の遺骸が流れ着いたと言われる「亀岩」が保存されています。

 「延喜式神名帳」に小社幡豆郡とある神社で、景行天皇の四十年、大和武命、征東の副将軍建稲種命聖戦の帰途駿河湾にて逝去。その遺体幡豆の岬に漂着し里人手厚く葬る。その後文武天皇大宝二年(702年)九月九日社殿を建て矛を納め神体とした。「文徳実録」に仁寿元年(851年)十月幡豆郡に従五位下を授けるとあり、醍醐天皇(897-930)社殿大破したのを藤原時平に命じて造営神劔をおさめた。足利尊氏、今川義元、織田信長らの崇敬あり。住民の信仰もあつく、一名羽利神社とも称して漁民釣針を奉献する慣習あり。明治五年九月一日郷社に列し同四十年十月二十六日神饌幣帛料供進指定をうく。同四十三年八月四日、字丸山の八幡宮と字退張地の琴平社を本社に合祀する。大正十年三月二十六日、懸社に昇格した。昭和十九年十二月二十七日東海地震に幣殿八.七五坪、神門一.〇〇坪倒壊。平成二年拝殿の瓦葺屋根替、同三年三月本殿の桧皮屋根替を完了。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

幡頭神社

景行天皇の御代日本武尊東夷御征討の際大功をお立てになった建稲 種命は帰途海上で御薨去御遺骸この岬に着かれたのをお祭りしたのが本神社で大宝2年文武天皇勅して社殿を建て官社に列せられたと傳へられ延喜式に載り文徳実録に授従五位下とあり大日本史に正一位とあり明治4年郷社に大正10年県社に列せられて古来から由緒高く人々の敬仰厚い神社である
本殿 重要文化財
三間社流造り桧皮葺で桃山時代の勝れた建築である

境内内御由緒書より

参拝記

神社周辺情報

吉良温泉街の一角に鎮座するのがこの幡頭神社になります。この温泉街の目の前には海水浴場の砂浜が広がっていて、夏は海水浴客で大賑わいの場所です。

伺った時は1月の真冬の真っ只中・・・だーれもいない海

社号標

旧社格が彫られた社号標と社名、御祭神、本殿の詳細が彫られた石碑
幡頭神社の参道の入口は非常に狭く、この社号標が無かったら解らないかもわかりません。

参道

社号標を過ぎると、こういった緩やかな上り坂の参道が続いています。

参道を進むと、再び社号標と一の鳥居が表れます。
ここから海沿いらしく松並木の中参道が続いていきます。

1月二日に参拝させて頂いたので、まだ幟が建っています。
なかなかの迫力ですね。

更に進んでいくと、正中部分に手すりが設けられた石段があり、その先に二の鳥居がお出迎え。
二の鳥居を潜ると境内になります。

一の鳥居と社号標

少し戻って、一の鳥居になります。扁額が取り付けられていない明神鳥居です。
鳥居の前には、式内幡頭神社と彫られた社号標

さらにその前には・・・

非常に小さい社号標があります。延喜式神名帳の内容が彫られています。

二の鳥居

二の鳥居越しに社殿を望みます。
さらに内側に社殿を囲む瑞垣が設けられています。

御神馬

鳥居をくぐって左手にあるのがこの御神馬殿。
中には白馬の像が置かれています。

手水舎・水盤

御神馬殿の奥にコンクリート造り四本柱タイプの手水舎があります。
水盤の大きさに比べて非常に大きい手水舎ですね。

瑞垣入口

正月の時期限定なのか、提灯が掲げらた神門が置かれています。
昭和十九年の倒壊した神門はこの辺りにあったのかもしれませんね。

狛犬

彩色された狛犬一対。生まれは調べ忘れてしまいました。
彩色の色跳び具合からまだ最近設置された狛犬ですね。

 

社殿

入母屋造、瓦葺、平入、高覧のついた縁が設けられた拝殿になります。
非常に大きい拝殿になります。これまで紹介してきた神社の中では一番大きな拝殿なのでは。

拝殿をぐるっと回って本殿近くまで行けるので、行ってみます。

桧皮葺の本殿が三社鎮座しています。
手前から、
愛知県重要文化財の熊野社本殿
国重要文化財の幡頭神社本殿
愛知県重要文化財の神明社本殿になります。

これだけ近くで重要文化財の本殿を見られる場所もあまりないので、非常に貴重な経験です。
また、正月期間に参拝したので、御扉が開いています。

神明社本殿側から三社を望みます。

非常に重厚感のある三間社流造の本殿です。いつまで見ていても飽きませんね。

境内社

社殿向かって左手に鎮座する境内社相殿(写真奥)と綿津見社
相殿には、岩清水八幡宮、金比羅神社、秋葉神社、津島神社が鎮座しています。

写真一番右が山住社
幡豆神社本殿と神明社本殿の間に資料では御鍬社なんですが、掲げられている社名では伊勢神宮が鎮座しています。

本殿を囲む瑞垣の外側には稲荷社が鎮座しています。

懸魚・鬼瓦

拝殿に設けられている鰭無しの蕪懸魚

本殿に掲げられた鰭無しの猪の目懸魚

熊野社本殿に掲げられた鰭無し蕪懸魚

参拝を終えて

 

ヤマトタケル由来の神社という事で、非常に歴史のある神社です。
本殿三社が非常に立派で、この本殿を見るために訪れる参拝者も数多いとか。
ぜひ、皆様も一度は本殿を間近で見てほしいと思います。

鎮座地を地図で確認

神社名幡頭神社
鎮座地愛知県西尾市吉良町宮崎宮前六十番地
最寄駅名鉄蒲郡線「鳥羽駅」徒歩37分

投稿者プロフィール

成瀬晃ドクターレザーおかざき 店主
愛知県岡崎市で「かばん・くつ✚革の病院ドクターレザーおかざき」を営んでいる成瀬と申します。
史跡、神社などを巡った事をなどをつぶやきつつ、お店のブログではつぶやけないような事も書いていこうかと思っています。

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