根石観音【根石寺】(愛知県岡崎市若宮町)岡崎三十六地蔵四番札所、岡崎西国観音十番札所

寺院情報

寺院名根石観音【根石寺】
所在地岡崎市若宮町1-11
御本尊木造聖観世音菩薩立像
宗 派曹洞宗
創 建不詳
札 所岡崎三十六地蔵 四番札所
岡崎西国観音 十番札所
御朱印
H P

参拝日:2020年11月25日

沿革・由緒

 創建は不詳ですが、根石観音堂の境内に「曹洞宗 根石寺」と彫られた真新しい寺号標が据えられていて、最近寺号を有する事になったのでしょうか。

 由緒について、おかまいりの公式サイトでは、

 和銅元年(708)に悪病が流行したことから、43代元明天皇が悪疫を絶やすよう行基法師に祈祷を依頼しました。行基は自ら六体の観音菩薩を彫り、そのうちの二体を根石の森に勧請して17日間祈祷を続けたところ、霊験が現れて疫病が治まったと伝えられています。
 また、家康公の嫡男・信康が天正元年(1573)の初陣の際、この聖観世音菩薩像を祈願して軍功をあげて以来開運の守り仏としてあがめたそうです。本堂は公民館を兼ねていて、地域住民の集いの場になっています。

おかまいり「根石寺(根石観音)」紹介記事由緒・歴史より

 と記されています。

しかし、昭和四年発刊の岡崎市史(第七巻)では、おかまいりのサイトで紹介されている由緒・歴史とは少々異なる伝承が記されています。

【観音堂】

観音堂は若宮町八十一番地に在り。もとは若宮八幡宮境内に在りしが、明治初年今の地に移転し、同二十三年十二月二十日中町大泉寺受持の説教所となる。

 岡崎古事伝に曰く、根石原観音堂は人皇四十六代孝謙天皇の天平寶字二年戊戌一宇を創建ありて菅生妙音寺と号す。釋園珍の開基也。後に「行基」と傳ふ。その後兵火に罹り堂宇悉く焦土となり、唯観音像ばかり残り、若宮八幡宮の社地に移してあり云々。
 岡崎舊記に曰く、筧圖書屋敷に観音あり。石造の堂あり石佛を安置す。俗伝に古堂は今の若宮八幡宮中に引、其跡印に石佛の観音を建つといへり。同書曰く、若宮八幡宮は天正七年清水万三郎浜松城にて御内意により根石原観音堂内へ岡崎三郎殿を葬り奉る。同八年八幡宮を崇め奉る云々。

 本尊は木造観世音菩薩立像二體(行基作と伝)を奉安す。共に古色して原形を失う。

昭和四年発刊岡崎市史第七巻より

 「行基」によって創建された「菅生妙音寺」の本尊だった観音像を現在の岡崎市朝日町に鎮座する「若宮八幡宮」の境内に移し、観音堂を造営奉安したとされているようです。その後、天正七年(1579年)九月十五日、徳川家康の長男「松平信康」が遠江二俣城にて自害し、その首は一度”織田信長”の元に送られ、その後若宮八幡宮に埋葬されていますが、この埋葬された場所が観音堂内であったと伝承されているようです。

岡崎市史には江戸時代の頃の若宮八幡宮の境内の様子が描かれた図が載っていました。この図の瑞垣内の宝形屋根の建物が観音堂、その左隣は信康公の首塚になります。その左側の妻入りの建物が若宮八幡宮の社殿なんだと思いますが、建物の中で横になっている人物が描かれていますね・・。

 若宮八幡宮なんですが、創建の時期は不詳となっています。信康公の首が埋葬される前からこの地に神社が建っていたのか、よくわからないのが実状の様です。一説では以前から仁徳天皇を御祭神とする神社が鎮座しており、信康公の首を埋葬後、天正八年、岡崎城代「石川数正」が松平信康を御祭神として合祀、菅生八幡宮と改称したと伝えられています。

 ただ、岡崎市史を読むと、菅生八幡宮の御祭神は岡崎三郎信康(松平信康)一座であるという史料も記されています。この資料に即すると、信康公の首が埋葬された後に、信康公を御祭神とする神社がこの地に建立されたという事になりそうです。そうすると、観音堂の由緒にも影響が出てきそうな感じもします。ただ、信康の自害については徳川家としてもあまり事を大きくしたくないという思惑もあったはずで、この辺りの由緒のあやふやさはこの辺りが非常に大きく影響してそうです。

霊場をいく

 岡崎十二社「徳王稲荷社金刀比羅社/紹介記事」の参拝を終え、岡崎市保健所が入る「げんき館」方面に向かって進んでいきます。この辺りは、一方通行の道路が多いので、車で巡る場合は注意が必要ですね。

 この記事を書いている時点でスタンプラリーに使うスタンプ台などが設置されているのかは不明ですが、現在でも「おかまいり」の公式サイトが稼働している(H3.4.29現在)ので、まだスタンプラリーは実施されているのかも?。巡ってみたいと思った方は、まだスタンプラリーがやっているかどうかを岡崎市観光協会に問い合わせる事をお勧めします。

曹洞宗のスタンプは黒地に白ぬき!

参拝記

 根石観音【根石寺】の目の前の道路は旧東海道となります。この場所からもう少し東には冠木門の跡地があります。この門跡から岡崎城下の防衛力と高める為に設けられたとも言われる東海道の「岡崎城二十七曲り」の始まっています。岡崎城の規模縮小や区画整理などで現在では27曲がりすべては残っていないようですが、それでも岡崎市では「岡崎二十七曲り」の観光整備が行われているので、岡崎に来た際には江戸時代の東海道をなぞって歩いてみてはいかがですか?

 根石観音の全景になります。現在観音堂は地区の公民館と併用されているそうです。
 石標が三基設けられていて、一つ目は「根石原観音堂」と彫られた石柱、そして「岡崎西国第十番札所」と彫られた岡崎西国観音の札所案内石柱、最後は、「曹洞宗根石寺」と彫られた寺号標になります。

 根石観音堂でひときわ異彩を放っているのが、大神宮常夜燈ですね。こうして町中に設けられている常夜燈(灯篭)としては秋葉山常夜燈がこの辺りでは非常に多く、実際に岡崎城下には非常に多くの秋葉山常夜燈が設けられています。これがもう少し海沿いに行くと、海上交通安全を祈願して金毘羅山の常夜燈も見かける事があるのですが、大神宮と彫られた常夜燈はこの辺りでは初めて見かけたかと思います。大神宮=伊勢神宮の事なんだと思うので、お伊勢さん信仰の名残なのかな?

 この常夜燈は昭和四十二年に若宮八幡宮の氏子の方々により再建された物のようです。

 公民館と共用されている観音堂になります。こちらに行基作と伝わる観音像が二体奉安されているようです。

 こちらが岡崎三十六地蔵四番札所となっている地蔵尊が奉安されている地蔵堂になります。三体奉安されている中央の地蔵尊像が札所本尊でしょうか。

 岡崎三十六地蔵スタンプラリーのスタンプ入れは地蔵堂のすぐ脇に設置されていました。支柱に据えらえた一番シンプルな造りとなっています。

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所在地を地図で確認

寺院名根石観音【根石寺】
所在地岡崎市若宮町1-11
最寄駅名鉄バス「岡崎げんき館前バス停」徒歩3分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある”村の鎮守の神様”と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな”知多四国霊場”を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

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