古墳巡り 安城市

姫塚古墳(安城市姫小川町) 綾姫伝説

2020年5月15日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

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古墳名姫塚古墳
所在地愛知県安城市姫小川町姫地内
形状円墳 又は 方墳
規模28m×25m、高さ4m
指定・種別昭和40年 安城市指定史跡

訪問日 2019年9月26日

姫塚古墳訪問記

 前回紹介した「獅子塚古墳/紹介記事」から南に200mほど進むと住宅地の中にこんもりと木々が茂った場所が現れます。この場所が今回紹介する「姫塚古墳」になります。

 家々の奥に見える森になっている所に「姫塚古墳」があります。

姫塚古墳の麓には、

 最近整備されたと思われる安城市教育委員会による説明板が設置されています。
 姫塚古墳の全体の様子がよくわかる説明板ではないでしょうか。すべての桜井古墳群に設置してくれるといいなあと思います。

市指定史跡 姫塚古墳 昭和40年11月3日指定

 桜井古墳群を構成する古墳の一つで、碧海台地端部に築かれています。この古墳はかつて円墳とも考えられていましたが、発掘調査によって南北28m、東西25m、高さ4mの方墳に復元されています。墳丘の西側から南側にかけては、幅7.3m以上の周溝が発見されています。出土遺物はわずかであるものの、古墳時代前期後半(4世紀後半)の築造と推定されます。
なお、地元では、姫塚古墳は都より配流された孝徳天皇の皇女綾姫の墓という伝承が残されています。明治12年(1879)の「姫小川村全図」には「ヒメ墓」とあり、この頃すでに伝承と古墳が結びつけられていたようです。墳頂には「姫宮墓」「白鳳十辛巳年」と刻まれた宝篋印塔があります。

安城市教育委員会

 現在、姫塚の墳丘上には一基の宝篋印塔が据えられています。一説には説明板に出てくる「綾姫」を供養するために建てられた物だと言われていますが、何時ごろ建てられたのかは不明のようですが、古くから姫小川に伝わる伝説が残っているそうです。

 桜井町の色々な史跡を巡っていく中、一覧みたいな記事を書こうかなと思って勝手に「桜井町誌」を作成してみました。正直な所、まだ巡っていない場所のが多く、何時完成するのかはまったくもって未定ですが、一度みてやってくださいませ。

姫塚古墳の沿革

 安城市による学術調査などでは「姫塚古墳」が築かれた時期は古墳時代前期~中期にあたる四世紀頃であるとしています。調査により方墳として復元されています。しかし姫塚古墳のすぐ南にある「崖古墳」が実は姫塚古墳の一部であり、「前方後方墳」もしくは「前方後円墳」なのではないか?という説もあったようです。

 説明板を見てると、方墳の周りに堀が彫られていた様で、岸古墳と繋がっているという説は現在ではちょっと現実的ではないっぽいですね。

綾姫伝説

 上記で紹介した安城市教育委員会の現地案内板にでてくる「孝徳天皇」は中大兄皇子中臣鎌足による政権クーデターである「大化の改新」によって即位した天皇になります。即位期は孝徳天皇元年(645年)六月十四日 - 白雉五年(654年)十月十日となっています。孝徳天皇元年六月十九日に日本初の元号である「大化」が使用され、大化元年六月十九日とされています。クーデターを起こした中大兄皇子が直ぐに皇位に着くと、やはり朝廷内の反対派による抵抗が強固になる事は想像に難くない為か、1代ないしは2代つなぎ役の天皇を据えてから本人が天皇に即位したという感じなんだとか。ですので、孝徳天皇の実権は中大兄皇子が握っていたとも言われています。

 孝徳天皇には資料上では謀反の罪で絞首刑となった「有間皇子」しか子女はでてこないのですが、姫小川町には、「孝徳天皇には「綾姫」がおり、大化の改新のその後の政変などで都を乳母と共に逃げ落ち、この桜小川の地にたどり着き、住み着いた。」という伝承が残っています。その後、乳母が亡くなり埋葬されたのが「獅子塚古墳」であり、綾姫が亡くなると「姫塚古墳」が造られ埋葬されたといいます。

 ただ、学術調査などから姫塚古墳が造られた時代は、古墳時代前期~中期の四世紀頃とされている事は現地の案内板にもあります。綾姫伝承によると、綾姫がいた時代は飛鳥時代の七世紀となるので、作られた時代は少しずれていますが、この地域の豪族の墳墓だという事以外中々古墳の埋葬者が分からない地方の古墳において、こうした伝承が残っているという所に歴史のロマンを感じてしまいます。

訪問記

 方墳だと言われても「そうなの?」としか正直思えない外観の姫塚古墳です。やはり、「二子古墳/紹介記事」でも感じたのですが、ある程度は木々の手入れがされていないと全く存在感を感じられないんですよね。
 究極の目標は、愛知県内でしたら名古屋市守山区にある志段味古墳群の中の一基である志段味大塚古墳の復元になるとおもいますが、ここまで復旧したら維持が大変そうですが・・。

 日本全国で古墳の復元保存が行われている様です。「古墳 復元」で検索してみてください。色々な古墳の復元状況をみることができますよ。

 安城市は歴史散歩道という事で桜井地区の史跡などを巡る散策ルートが設定されていて、写真の様なあんな表示がいたるところに設けられています。自分の桜井地区散策ルートは安城市が設定したルートとは全く違う道順になっているのですが、結局同じような所を廻っている訳ですから、素直に従って巡った方が順調に回れるのではないだろうかと・・「途中で気付きました」・・。

 姫塚古墳の墳丘上に据えられている宝篋印塔になります。かすかに「姫塚墓」とほられているのがわかります。何時誰が据えた宝篋印塔なんでしょうか。

 姫塚古墳の西側には、

 明らかに個人宅の庭先と思われる場所に「姫地下鉱」と呼ばれるものが発見されています。説明板によるとこの辺りの古墳は埋葬者を安置するための石室が設けられず、この地下鉱と呼ばれる地下に穴を掘りその中に埋葬者を安置していたと書かれていますね。

 古墳の埋葬者を安置するために作られた割には、ここ姫地下鉱のある場所は小高くなっていないのですが、これはどうしたことでしょうかね。

 発見されたときは高さ3m近くの竪穴が開いていたとされていますが、さすがに危ないですから埋められていますね。

地図で所在地を確認

古墳名姫塚古墳
所在地愛知県安城市姫小川町姫地内
最寄駅名古屋鉄道西尾線「桜井駅」徒歩10分

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