ONE POINT
尾張国神名帳に「小田天神」と記され、室町時代以降生駒氏の庇護を受けてきた「龍神社」の紹介です。御祭神は「八大龍王」を祀り、雨乞いに御神徳があるとして古くから信仰されてきた神社になります。
神社情報
神社名 | 龍神社 |
鎮座地 | 愛知県江南市小折町八竜八十四番地(Googlemap) |
例大祭 | 十月十日 |
創 建 | 不詳 |
御祭神 | 八大竜王(神社名鑑)、不詳(江南市史) |
旧社格 | 村社 |
神名帳 | 尾張国神名帳:丹羽郡従三位 小田天神 |
境内社
境内社 | 神明社(御祭神:天照大御神) 児社(御祭神:知恵文殊神) 源太夫社(御祭神:土田弥平治) |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | ー |
参拝情報
御朱印 | ー |
URL | ー |
駐車場 | ー(久昌寺公園駐車場使用) |
参拝日 | 2022年2月9日 |
御由緒
創建は不詳だが、尾張国神名帳に「丹羽郡従三位小田天神」と記されている古社。小田という名称は龍神社が鎮座する場所は古来「小田代」と呼ばれていた事からつけられたか?。
室町時代になると、大和国から生駒氏が移住してきてこの地を治める様になった。生駒氏三代「生駒家広」の長女である「吉野」は織田信長の側室となり、この地で織田信雄を産んだと伝えられている。現在でも龍神社の東側に吉野屋敷跡があり、織田信雄はこの龍神社を自らの守護神として庇護崇敬していたと言われています。
年代がわかる最古の資料は、元和八年(1622年)の棟札が現存しており、これによると織田信長と吉乃の方の娘「徳姫」と生駒五代生駒利豊によって社殿の造営が行われた。
尾張名所図会
江戸時代に書かれた「尾張名所図会」に久昌寺は挿絵付で取り上げられています。この挿絵を見ると久昌寺は非常に整備された寺院だったことが見て取れます。そして、その挿絵の左中ほどに今回紹介している龍神社が描かれています。神社名は八大竜王社となっていますね。
久昌寺と龍神社の位置関係も何となくこんな感じだとおもうので、久昌寺と龍神社の間はなにも描かれていませんがその昔は吉乃の館がこの辺りにあったのでしょうね。
「尾張名所図会」に八大龍王社小折村にあり。創建の年代しられず。慶長十五年(1610年)四月生駒氏造営の棟札あり。と織田信雄出生の地で氏神として崇敬した社である。古い棟札に元和八年(1622年)岡崎城主徳川信康の奥方見星院と生駒因幡守利豊が社殿を再建した。雨乞いでは「雨壺の池」の水を抜き神事を行う惣ちその霊験あり恵みをうくと。明治五年五月村社、昭和十五年一月三十日神饌幣帛料供進指定をうけた。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」
生駒氏
織田信長の側室「吉乃の方」の生家となるのが、この神明社を勧請した生駒氏になります。神明社の境内周辺は生駒氏の館があった場所で、社のすぐ北側には生駒市の菩提寺である「久昌寺」が建っています。
村基山薬師寺(愛知県江南市北山町)
江南市北山町にある曹洞宗の寺院である「村基山薬師寺」の紹介になります。江南市史では、江戸時代の創建の寺院であるとし、現在本堂前には切支丹石灯籠が据えられているとしています。布袋二十一大師、尾張国四郡大師
丹羽山本曽寺(愛知県江南市曽本町)
江南市曽本町に建つ曹洞宗の「丹羽山本曽寺」の紹介です。江戸時代に創建された寺院であり、境内入口には「足止め六部さん」の看板が設置されています。布袋二十一大師、尾張国四郡大師
神明社(愛知県江南市曽本町)
江南市曽本町に鎮座する神明社の紹介です。詳細は不詳なんですが、江戸時代には曽本の集落には神明社の他に天神社が鎮座していた様で、現在では天神社は神明社の境内社となっています。
八剱社(愛知県江南市北山町)
名鉄布袋駅近くに鎮座する「八剣社」の紹介です。創建時期は不詳ですが、元々は石作神社という尾張国造の祖「火明命」を御祭神とする神社だった様ですが室町時代に八剣社に改称したみたいです。
仙境山松岩寺(愛知県江南市布袋町)
名古屋鉄道犬山線の布袋駅から北に2~3分歩いた場所に建つ曹洞宗の仙境山松岩寺の紹介です。明治七年に緝煕義学校がおかれ、児童教育の場となった寺でもあります。布袋二十一大師霊場
御祭神
龍神社の御祭神は江南市史では「不詳」であると記されていますが、境内に設置された説明板などを読むと、
- 八大竜王
であるとしています。
八大龍王とは?
仏法を守護する八尊の護法善神。インド、中国を経て日本に伝えれていく中で現在考えられている様な龍の姿になったとされる。そして、日本古来からの信仰されていた龍伝説と習合し龍神として信仰の対象となったという。
仏教所縁の神ということで、明治政府による神仏分離、廃仏毀釈の流れの中で八大龍王を御祭神とする神社はその社数を大幅に減らしてしまったが、現在でも「雨乞いの神」として八大龍王を祀る神社が存在する。また、寺院で八大龍王を安置している所があり、神社、仏教で祀られている奇異な神であるとも言えそうです。
龍神社の雨乞い神事
当社は八大龍王を奉祀し、往古より旱天の時は挙村一致雨乞いをなし、目的を達し難い場合は、神社の雨壺と称する御池を凌凛して、般若心経を読んで祈願をするときは、惣ちその霊験が顕われ、盆をくつがえすような急雨の恵みを受け、附近一帯その恩恵を受ける例であったと言われている。
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を補完されてみたらいかがですか?
参拝記
龍神社は「生駒氏」の菩提寺である「嫩桂山久昌寺」の北西側に位置する場所に鎮座しており、伝承では龍神社のすぐ隣に織田信長の側室である「吉乃の方」の館があったとされ、この館で織田信雄を出産したと伝えられています。
境内入口
扁額の無い明神鳥居の一の鳥居になります。結構な鳥居の大きさでして、中々の迫力があります。
旧社格である「村社」が合わせて彫られている龍神社の社号標になります。
吉野御殿跡
鳥居を撮影している場所から振り返ってみると、織田信長の側室「吉乃の方」の御殿があったとされる場所になります。現在はこの跡地の一部に龍神社の社務所が建っている所をみると御殿と龍神社は地続きだったのかも。
蕃塀
尾張地方の神社で見かける「蕃塀」になります。何のために設けられているのか・・・所説あったりしますが、確実に言える事は、全国的に見ると非常に地域性(ローカル色)の強い構造物の一つになるかと思います。この蕃塀なんですが、石造と木造と二種類のタイプに分ける事ができます。どちらが主流なのかはわかりませんが、どちらにしても尾張地方以外の方は「この壁なに?」と確実に思わせる事ができる施設になのではないでしょうか。
社殿
妻入りの開放型拝殿 ー 祭文殿 ー 本殿が一直線に立ち並ぶ「尾張造」と呼ばれる神社の建築様式の社殿になります。尾張造ってなんぞや?と思ってWikipediaによると「拝殿、祭文殿、本殿が回廊で結ばれている。」としています。
拝殿と祭文殿の間には石造の瑞垣が設置されていて回廊の様になっています。この回廊部分に鳥居が据えられているのは龍神社の特徴になるかと思います。
当サイトでも何社か紹介していますが、豊田市にも似たような社殿配置の神社があります。尾張造と豊田の神社様式との大きな違いの一つはこの拝殿と祭文殿をつなぐ回廊(瑞垣)があるかないかになります。豊田の神社の方は回廊(瑞垣)が設置さていない為、拝殿ではなく祭文殿または神門の前で参拝する様式になっているのが特徴です。
狛犬
大正三年生まれの子乗り玉乗りの狛犬一対になります。
鎮座地を神社で確認
神社名 | 龍神社 |
鎮座地 | 愛知県江南市小折町八竜八十四番地(Googlemap) |
最寄駅 | 電車:名古屋鉄道犬山線「布袋駅」徒歩18分 バス: |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。