ONE POINT
豊明市沓掛町に鎮座する諏訪社の紹介になります。創建は、沓掛城が築城された頃の応永三十二年(1425年)に沓掛城の守護神として勧請創建された神社になります。
神社情報
神社名 | 諏訪社 |
鎮座地 | 愛知県豊明市沓掛町森元六番地(Googlemap) |
例大祭 | 十月第一日曜日 |
創 建 | 応永三十二年(1425年) |
御祭神 | 【主祭神】 建御名方神 【配祀神】 綿津見神 天照大御神 天津彦根命 日本武尊 応神天皇 |
旧社格 | 指定村社 |
神名帳 | ー |
境内社
境内社 | 菅原社 津島社 秋葉社 荒神社 厳島社 山神社 山神社 昭和社 水神社 風神社 秋葉社 |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | 諏訪社の棟札 諏訪社狛犬 |
参拝情報
御朱印 | ー |
URL | ー |
駐車場 | ○ |
参拝日 | 2022年3月9日 |
御由緒
「沓掛城」の記事の沿革の中で、応永年間(1394-14728年)に藤原義行によって築城されたと紹介しています。さらにここ諏訪社の社伝によると、応永三十二年(1425年)に諏訪上の守護神として信州諏訪大社より勧請されてと伝えられており、沓掛城もこの頃築城された事が想像されます。
永禄三年(1560年)の桶狭間の戦いの二日後に行われた織田信長による沓掛城攻めが行われます。こうした城攻めの際、周囲は焼き払われてしまうのが世の常なわけで、由緒では荒廃したと伝えていますが、もしかしたら兵火によって社殿は灰燼に帰してしまった可能性が高いのではないかと思われます。
宝永二年(1705年)に現在の境内地に遷座。
応永三十二年(1425年)乙巳十二月二十六日沓掛城主藤原義行が居城より戌亥(西北)の方(諏訪山)守護神として信州諏訪大社より分霊を仰ぎ創祀すと(張州府誌に詳し)、永禄三年(1560年)織田信長、今川義元との戦いに戦場となり荒廃したが、宝永三年(1706年)現在の地に社殿を遷座する。この地には旧来より天津彦根命を祀る氏神ありて合祀合併した。当時伊奈備前守より田・三反、畑・一反歩を新田として寄進あり。明治五年七月二十八日村社に、列格す。同四十四年十二月二十七日神饌幣帛料供進指定を受ける。現在の社殿宝永遷座の頃の古いものである。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」
御祭神
- 建御名方神
以前紹介した「鹿島社」の由緒で、「諏訪社の御祭神である「建御名方神」に対してより”強い”御祭神をということで「建雷御命」を勧請した。」という事を紹介しています。
建御名方神
建御名方神は大国主命(大己貴命)の子であり、日本神話の中の「国譲りの段」の中で、高天原の使者として遣わされた「建雷御命」に対し、国譲りの要請を拒否して武力で退けようとするが、諏訪の地に投げ飛ばされ、この地から出ない事で許されたという伝承がある神になります。実際はヤマト朝廷とイズモ国との間の戦いによってイズモ国が破れヤマト朝廷に組み込まれた事を示している伝承になるみたいですね。
簗田政綱ゆかりの地巡り
令和4年(2022年)3月9日(水)、豊明市と北名古屋市に点在している桶狭間の戦いで軍功一位とされた「簗田政綱」の所縁の地を巡る遠征に出かけました。桶狭間の戦い以降はしっかりとした史料が残っていなかったりしてある意味「謎の武将」の感がある簗田政綱の数少ない?足跡を辿っていきたいと思います。
高畑神明社(愛知県北名古屋市九之坪)
北名古屋市九之坪地区に鎮座している「高畑神明社」の紹介です。元和三年(1617年)に勧請されたと伝えらえる神社なのですが、どういった経緯で勧請されたのかは不明となっています。
月峰山松元院(愛知県北名古屋市九之坪)
北名古屋市九之坪にある曹洞宗の寺院である「月峰山松元院」の紹介です。戦国時代の連歌師「紹巴」がこの寺院にて宿泊したと富士見道記に記しています。
花厳山観昌寺(愛知県北名古屋市九之坪)
愛知県北名古屋市九之坪の曹洞宗の寺院である「花厳山観昌寺」の紹介です。開山が平田寺四世中山元甫であるなど平田寺との関係が強かった寺院であり、平田寺末寺になっていました。現在では大相撲七月場所(名古屋場所)の際に式秀部屋が宿舎としています。
補陀山瑞雲寺(愛知県北名古屋市九之坪)
北名古屋市九之坪に建つ曹洞宗の補陀山瑞雲寺の紹介です。以前は平田寺の末寺だったとか。この瑞雲寺に九之坪城主であり桶狭間の戦いで軍功をあげた簗田出羽守の位牌が安置されています。
大雲山平田寺(愛知県北名古屋市九之坪)
北名古屋市九之坪にある曹洞宗の大雲山平田寺の紹介です。平田城主だった平田氏により創建された寺院であることから寺号も平田寺にしたとか。雨乞いの龍神で知られており、さらに豊臣秀吉の位牌がある事でも知られています。
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
参拝記
現在では沓掛城の南西側に鎮座している諏訪社は、聖應寺と沓掛保育園と敷地を接するように鎮座しています。
参道入口
両側に桜が植えられている諏訪神社の参道になります。参道の入口から社殿方面を望むと、境内入口を超えて拝殿まで一直線に伸びていて非常に気持ちがいい参道です。
境内入口
石灯籠一対、旧社格が彫られた社号標、すこし奥まった所に扁額の無い明神鳥居が設けられた境内入口になります。
手水舎・水盤
非常に趣きのある水盤になります。
狛犬
生年月は不明ですが狛犬一対です。現在の狛犬に通じる造形ながら、装飾部分が現在ほどにはゴテゴテしない所をみると、明治後半から大正にかけて生まれた狛犬だとはおもうのですが・・・まったくこの予想には自信ありません。
社殿
切妻造瓦葺妻入りの拝殿を有する社殿になります。社殿を見て回っていると、鎮座する場所は境川の西側の尾張地方になるのですが、社殿の様式は尾張造の神社ではなく、三河地方に見られる様式の社殿になるかと思います。
どのあたりで社殿の様式が変わっていくのか・・・色々な神社を参拝してその境界を探してみたいですね。
境内社
諏訪社には非常に多くの境内社が鎮座していました。その中には、詳細は不明ですが観音像や石仏が祀られていたりします。
鎮座地を神社で確認
神社名 | 諏訪社 |
鎮座地 | 愛知県豊明市沓掛町森元六番地(Googlemap) |
最寄駅 | 電車: バス:豊明市コミュニティーバス「宿バス停」徒歩9分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。