2019年2月、サイト名を「神社のある生活って」から「あいちを巡る生活って」に変更致しました。

亀岳山 宝蔵寺(知立市宝町) 知立三弘法 一番札所

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寺院情報

寺院名 亀岳山 宝蔵寺
所在地 知立市宝町刈谷道五十六番地
御本尊 地蔵菩薩
宗 派 曹洞宗
創 建 喜祥三年(850年)
札 所 知立三弘法 一番札所
御朱印
H P

参拝日:2019年1月10日

沿革・由緒

宝蔵寺は古代神宮寺七坊の一坊で喜祥三年(西暦850年)に慈覚大師によって当時天台宗として創建され、後に天台宗→真言宗山階派→真言宗国分寺派と変わっていきました。現在の曹洞宗になったのは江戸時代中期の正徳4年(西暦1714年)、刈谷市元刈谷楞厳寺江水禅師によって再建され現在の山号「亀岳山 宝蔵寺」と改め曹洞宗となっております。

「知立市観光協会HP」より

知立神社の別当寺院として神宮寺七坊が整備されその一坊として創建されたのが宝蔵寺の開創となっています。そして宝蔵寺と改称して、現在では元刈谷に鎮座する楞厳寺の末寺となっています。

知立三弘法を行く

知立市の旧東海道沿いに鎮座する三寺院によって構成されている弘法大師霊場になります。似たような場所を霊場としている三河三弘法が有名な為、ちょっとマイナーな霊場になってしまっている感じがします。
実際、「知立三弘法」で検索しても「三河三弘法」の記事がHITしてきますからね・・・。

三河三弘法の一番札所であり、三河新四国の開創霊場となっている「弘法山 遍照院」に訪れた際には、ぜひとも巡礼して頂きたいですね。

参拝記

県道51号線「刈谷道」交差点を知立駅方面から進んでいくと左折してすぐの右側に鎮座しているのが宝蔵寺になります。
2019年現在、知立駅の高架工事中の為、周囲はどんどん景観が変わっていく事が予想されますので、数年後には周囲はガラッとかわっているかもしれませんね。

境内入口

潜戸のある袖壁が設けられた鐘楼門になります。
耐震用のL字鋼が四方につっかえ棒の様に取り付けられています。

山門から本堂を望みます。

真っ直ぐに本堂に向かって参道が伸びていますね。

本堂

寄棟造瓦葺平入の向拝が設けられた本堂になります。
禅宗の本堂らしく、周囲に廻縁が設けられていない本堂ですね。

弘法堂

宝蔵寺の境内には、本四国八十八ヶ所の移し大師像が並んでいます。
西国三十三観音の移し観音堂は結構な確率で参拝した先の寺院に設けられているのを見かけますが、ここ宝蔵寺の様に八十八ヶ所移し大師が一つの御堂に並んで安置されている所はあまり他で見かけないですね。

大師像

さらに、宝蔵寺には新四国八十八ヶ所と彫られた石柱と共に鯖大師の石造が安置されています。
この新四国八十八ヶ所とは、昭和になって再興された現在の三河新四国霊場ではなく、それ以前の当ブログでは(旧)三河新四国霊場として紹介させて頂いている大師霊場の事だとおもうのですが・・・。ただ、(旧)三河新四国の札所に宝蔵院という名前は無いんですよね。

この大師像と石柱は別の札所だった場所から移設されてきたのか・・・。いや、もしかしたら自分が知らない別の大師霊場が存在しているのか・・・。謎は尽きません。

「加賀野井弥八郎重茂」墓所

慶長五年(1600年)、池鯉鮒宿にて堀尾吉晴と加賀野井弥八郎重茂が出会い、堀尾吉晴は水野忠重との酒宴に加賀野井弥八郎を同席させる為に連れていきます。水野忠重は、快く快諾し、三名による酒宴が行われました。その席で水野忠重と加賀野井弥八郎喧嘩重茂が言い争い、喧嘩沙汰になり、重茂は忠重を切り殺し、更に吉晴にも襲い掛かるが逆に切り殺されてしまいます。

岡崎城主だった田中吉政は、この話を聞き宝蔵寺に加賀野井弥八郎重茂の墓所として宝篋印塔(全高45cm)を建立しています。この宝篋印塔は昭和40年に知立市の指定文化財(建造物)に指定されています。

この加賀野井弥八郎の墓は宝蔵寺の裏手側に安置されていて、参拝した時には気付かず実際には拝見していません。が、宝蔵院の墓地の一角に、加賀野井弥八郎重茂墓副碑と称された石碑と五輪塔がありました。

てっきり、これが加賀野弥八郎重茂の墓だと思ってたんですけどね・・・。また、近くに行った際には、宝蔵寺に立ち寄って、加賀野井弥八郎の墓所を拝見してこようと思います。

追腹塚

加賀野井弥八郎重茂に惨殺されてしまった水野忠重は刈谷城を本城とする城持武将でした。当然切り殺された時にも臣下は随行していたとはずで、付き人であった二名が詰め腹を切らされ切腹しています。この二名を葬ったのが追腹塚になります。

元々この追腹塚は、宝蔵寺ではなく、知立市宝町石亀にあったといいます。宅地開発の為、この宝蔵寺に移設されたそうです。主君を殺され詰め腹を取らされた付き人の気持ちを思うと、主君の仇となる加賀野井弥八郎重茂と同じ寺院に祀られるのはやるせないんじゃないかと思うのですが、時代の流れなんですかね。

物見の松

宝蔵寺には永禄三年(1560年)の桶狭間合戦時に当時美濃国の斉藤氏の家臣だった「竹中半兵衛重治」が、桶狭間に向かう今川義元軍を松の木の上から見物したと伝えられる物見の松があったそうです。

今川本軍は東海道を西に進軍していたんですかね?今川義元は知立古城に立ち寄ったという記録もあり、そうすると・・・遠目に見えたのかな?とおもうんですけどね。

参拝を終えて

知立周辺は非常に弘法大師信仰が熱心な場所な様ですね。(旧)三河新四国、三河新四国、三河三弘法、知立三弘法など、様々な大師霊場が存在しています。知立周辺の巡礼mapを作っていきたいですね。

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やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。
やっぱり、”るるぶ”を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。

所在地を地図で確認

寺院名 亀岳山 宝蔵寺
所在地 知立市宝町刈谷道五十六番地
最寄駅 名古屋鉄道 名古屋本線「知立駅」徒歩5分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある”村の鎮守の神様”と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな”知多四国霊場”を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

仏像とお寺の解剖図鑑
仏像とお寺の解剖図鑑

少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

次の目的地は

知立三弘法二番札所神前山 了運寺」を目指します。こちらの了運寺も知立神社神宮寺七坊の一坊になります。

投稿者プロフィール

成瀬晃ドクターレザーおかざき 店主
愛知県岡崎市で「かばん・くつ✚革の病院ドクターレザーおかざき」を営んでいる成瀬と申します。
史跡、神社などを巡った事をなどをつぶやきつつ、お店のブログではつぶやけないような事も書いていこうかと思っています。

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