古墳巡り 安城市

山伏塚及び野田家墓碑と白山御旅所

2020年6月29日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

山伏塚及び野田家墓碑

史跡名山伏塚及び野田家墓碑
所在地愛知県安城市桜井町印内南分地内
形状野田氏始祖の山伏を埋葬した塚(円墳か?)
江戸時代以降の歴代野田氏の墓碑
規模山伏塚:直径18m 高さ1.5m
指定・種別安城市指定史跡
平成15年11月3日指定

訪問日:2020年6月16日

歴史探訪

 当サイトで「桜井神社/紹介記事」を取り上げています。その記事の中で、歴代桜井神社の宮司を勤めた「野田一族の墓」が桜井神社の近くにあるという話をしています。その「野田一族の墓」と更に野田氏始祖の山伏を埋葬した塚と伝えられている「山伏塚」が桜井神社の西側に存在しています。この場所は平成十五年に「山伏塚及び野田家墓碑」という名称で安城市の指定史跡にとなっています。しかし、非常に分かりにくい場所であり、表通りからは建物によって隠れてしまっていて通りすがりに見ていくといった史跡ではないのが実状ですね。

野田熊勝は、紀伊国野田郷の修験者として養老二年(718年)にこの地に居を定め、この地の大神と共に桜井神社の御祭神の一柱である菊理媛神を奉祀したと伝承されています。
 江戸時代になり、三白山社として徳川家の崇敬と庇護をうけて神社は栄え、代々世襲にて野田家は神主をしていました。
 慶長年間(17世紀頃)以後の代々の墓は、平地に整然と並べられており、石塔の変遷を知る上で貴重な資料です。
 また、熊勝が葬られたとされる山伏塚は、東西13メートル、南北13メートル、高さ1.5メートルの円墳の形をしており、その墳上には宝篋印塔があります。

現地説明板より

 「桜井神社」の記事の中でも述べているのですが、養老二年(718年)にこの地に白山権現を勧請し桜井神社に祀ったというのは白山開山の時代を考えるとちょっとありえないかなと考えています。ちなみに、「泰澄」により白山が開山されたのが養老元年(717年)になります。

 桜井神社は、何時ごろからかは不明ですが別当寺として「神宮寺」が建てられていて、神宮寺の法主が祭祀を行っていたと言われています。そして神宮寺時代の社名は「神明社」であり主祭神は天照大御神であったといいます。これは大永七年(1527年)に行われた社殿造営時の際の棟札に「奉造立神明社一宇」と書かれている事から当時は神明社と認識されていた事がわかります。
 しかし、慶長十九年(1614年)の棟札には「奉造立白山社一宇」と書かれていて、1527年から1614年の間に白山権現が勧請されたのではと考えています。そうなると、慶長年代以降の野田氏の墓碑が整然と並んでいるという現地案内板との整合も取れると思うのです。

 桜井松平家の松平信定は養父である松平親房の菩提を弔う為、桜井神社の神宮寺を浄土宗に改宗させた上で移転し、新たに「桜井山菩提寺/紹介記事」という寺名に改称して中興開山させています。祭祀を行っていた神宮寺が桜井神社から去るのと入れ替わるような形で野田氏が桜井神社の宮司になったのではないでしょうか。そしてこの時に、野田氏が奉斎している「白山権現」を桜井神社に合祀し、社名を「白山社」と改称したのではないでしょうか。

 野田氏がどこから登場したのかというと、碧海郡桜井村史などを参考にすると現在の安城市川島町に白山社を建立し白山権現を祀っていたのではと言われています。そして、川島町には「白山社御旅所」と彫られた石碑が現在も存在しています。この石碑のいう「白山社」が野田氏が祭祀を行っていた「白山社」なのかは分かりませんが、こうした歴史のパーツがはまっていく様な感じはたまりませんね。

 旧碧海郡桜井町に当たる部分を巡っています。堀内貝塚から桜井古墳群そして城跡、神社仏閣などを紹介しています。是非一度見てみて下さいませ。

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訪問記

 県道44号岡崎西尾線からは全く見えませんが、この奥に今回訪れる「山伏塚及び野田家墓碑」があります。県道からまさに私道かな?と思う道を進んでいくとたどり着くことができるのですが、桜井神社の境内社である稲荷社の脇から向かうルートもあるようです。

 県道側から訪れると、こんな感じの場所に出る事ができます。まさに手前側の並んでいる墓碑が歴代桜井神社の宮司を勤めた野田一族の墓碑になります。新しい現代風の墓があった事から、この場所は今でも野田氏の敷地なのかなと思います。

 こちらのこんもりとした丘が山伏塚とよばれいる場所になります。こちらからみると確認できませんが墳丘上に宝篋印塔が一基据えられています。
 桜井古墳群の説明では「山伏塚古墳」とも記載されているのですが、残念ながら古墳としての確認ができていない為、古墳としての史跡指定は行われておらず、あくまでも史跡指定としては「野田氏の始祖である山伏(野田熊勝)が埋葬されたと伝承される塚」としての指定なんだそうです。

 桜井神社とは非常に結びつきの強い史跡になるので、桜井神社を参拝した折にはぜひこちら「山伏塚及び野田家墓碑」にも訪れてほしいと思います。

さて、ここから一気に安城市川島町にある「白山大神御旅所」に向かいます。

 桜井神社から東に歩く事大体10分くらいで目的地の御旅所に到着します。自分のようにバイクですと2~3分くらいでしょうか。地図を見ると、御旅所の南側の地名は川島町字山伏となっていますね。こういった地名からも山伏が始祖とする野田氏との関係性がありそうな場所と想像する事が出来ますね。

 御旅所というと、祭の時に神輿や山車が一時的に滞在する場所、又はやはり祭りの時に祭神を一時的に遷座していただく場所というイメージがあるのですが、ここの御旅所とはどういった物なのでしょうか。 

 桜井神社の記事を書いた後、Googleマップを見ていたら偶然この御旅所の存在を知り、さらにすぐ隣の地名が「山伏」となると、もうこの場所に野田氏が白山社を最初祀っていた場所だとしか思えなくなってしまいました。ただ、安城市の史跡案内板などで書かれている内容とは異なっている為、あくまでも個人的な推測でしかないわけですが。でもこういった推測が楽しいんですけどね。

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